川田くん

ヤマタケ

川田くん

 ――――――その日、俺は初めて、川田くんと再会した。


「……やぁ、久しぶりだね」

「――――――! ああ、久しぶり、川田くん」


 驚くべきことに、川田くんは俺のことを覚えていたらしい。再会したのは5年ぶりくらいだし、何よりこんな形で再開するとは、俺自身予想できなかったのだが。


 面食らってしまったが、俺はコホンと咳払いする。同席している人の視線が痛いし、何よりこの再会は、紛れもなく仕事だ。


「……思い出話はしたいが、それより。川田くん、俺は君を、助けに来たんだ」

「そうだろうね」


 川田くんは、俺の胸元を見やりながら笑う。彼の瞳には、俺の胸元で輝く金メッキのひまわりと天秤のバッジが、はっきりと映っていた。


「まさか君が弁護士になっているなんて、想像もしなかったよ」

「その割には驚かなったように見えるけど」

「そうかな? 僕は結構驚いたんだけどね」


 そう言いほほ笑む川田くんは、相変わらずの優男ぶりである。5年前から、全く変わらない。


「……やっぱり、はた目では信じられないな。君が、傷害事件の被疑者だなんて」


 俺の言葉に、川田くんはあの頃と変わらない、力の入っていないはにかみを見せた。


*****


 川田くんと最初に出会ったのは、俺が新卒で入社した会社で2年目に入ったころ。川田くんは、中途採用で入って来た男だった。年齢は俺より10個も上だが、立場は俺たちと何ら変わらない平社員。


 一般的なブラック企業に勤めていた俺は、目標というノルマにいっぱいいっぱいの状況だった。新卒のころはいざ知らず、2年目となると会社が俺たちに求めるものも厳しくなる。住民税まで給与から差っ引かれ、給料もモチベーションも上がらない。


 何か資格を取ろうと思うが、激務に激務が重なり、そんな時間はなかった。そして、毎日上司は俺たちに「どう目標を達成するのか」を口酸っぱく言わせてくる。仕事の考え方は、「どうやって上司の詰めを乗り切るか」にシフトしていた。


「川田! お前は30歳も超えて、こんな目標も達成できないのか!? お前みたいなやつを拾ってやった会社への恩は感じないのか!」


 そして俺たち若手以上に怒られていたのが、川田くんだった。中途採用で即戦力を期待されていた川田くんだったが、その実、目標の達成率は断トツで最下位だったのだ。


「すいません」

「すいませんじゃないだろ! お前、これからどうやって目標達成する気だ! 言ってみろ!」

「すいません」


 上司の川田くんへの怒りは留まることを知らず、現場の空気は常に最悪だった。そして最悪なことに、川田くんの席は俺の隣だった。


「……あの、川田……くん」

「ん?」


 痺れを切らして、川田くんに話しかけたのはこれが初めてだった。最初の挨拶で「気軽に川田くん、と呼んでください」と言われた時から、そう呼んだことも。


「さすがに、もう少し頑張った方がいいって」

「これでも頑張ってるんだけどなあ。ははは」


 不思議なことに、あれだけの叱責を受けたというのに、川田くんは笑っていた。俺にはそれが、到底信じられなかった。


「こっちの雰囲気もヤバいんだよ。誰かが怒られてるのを聞くのは、こっちもキツいんだからさ」

「そう? そうかぁ」


 俺の苦言も全く答えていないようで、川田くんはいつも通り仕事に取りかかっていた。その顔に、不思議と笑みを浮かべて。


 その日の帰り際、ぼそりと彼が言った言葉を、俺は今でも覚えている。


「――――――ちょっと早いけど、山田くんが参っちゃうなら、仕方ないかぁ」


 そう言って、川田くんは定時で帰っていった。上司は「アイツ、仕事もできないくせにまた定時か……」とぶつくさ言っていた。


 ――――――その翌日。俺と川田くんは、上司にそろって、別室の会議室に呼びだされた。その時、目標未達だったのは、俺達2人だけだった。


「だからお前らは! ―――――――! ――――――! ―――――――!」


 俺は上司の顔を見ながら、叱責の言葉を受け流していた。別に上司の顔を見たいわけではないのだが、顔を上げていないと「ちゃんと聞いているのか!」と余計に怒られるからだ。


 だが、その日の川田くんは、俯いていた。そしてそのことに、上司が気づかないわけがない。俺は焦った。


「……おい、川田! お前、聞いてるのか――――――」


 そう上司が言いかけた瞬間、川田くんの雰囲気が、急に変わった。

 見た目が変わったわけじゃない。ただ、隣にいた俺は、はっきりと川田くんが今までとは何か違うことを悟ることができた。


 そして、悟った時には、川田くんは上司の鳩尾に拳を叩きこんでいた。


「……かっ……はっ……!?」


 寸分の狂いなく、川田くんの拳は鳩尾を撃ち抜いていた。突然の攻撃に対応できるわけもなく、上司は息が止まって身体を俯かせる。


 川田くんは上司の髪を掴むと、近くにあった机の角に、額を叩きつける。額が割れて、オフィスの絨毯に赤黒いシミが飛び散った。


「な、何を……!」


 俺がそう言いかけた時には、川田くんは上司の首を腕で絞めていた。顔面を血で染めて、口をパクパクとさせている上司の顔が、俺の目にもはっきりと映る。


「……不思議でしょ?」

「え?」

「さっきまであんなに偉そうに怒鳴り散らしてた人が、こんなみっともない顔をして……面白いと思わないかい?」


 やがて上司の口がパクパクするのは止まり、カクン、と崩れ落ちる。殺したのかと思ったが、気を失っているだけだった。


 川田くんはいつもと同じような笑みを浮かべていた。

それを見て、俺はぞっとする。明らかに手慣れていた。どう見ても、初めて上司に暴力をふるったようには思えなかった。


 気絶した上司を会議室の椅子に座らせると、彼のスーツを脱がせて、ズタズタに引き裂いた。わざわざカッターナイフを持参して。名刺入れの名刺から私物のボールペンまで、さらに持参していた金槌で念入りに砕いていく。


 財布に入っていた上司の家族の写真も、ビリビリに破り捨てた。現金に一切手を付けないのも、俺は逆に恐ろしかった。


「……なんで、こんなことを……?」


 目の前で淡々と行われる行為に、俺は人を呼ぶこともできずに、ただじっと見て、

川田くんに聞くことしかできなかった。


「恨んでたのはわかるけど、こんなことまでしなくても……!」

「いや、別に恨んではないよ? 向こうも仕事だもの」


 川田くんは俺に、さらりと答えた。


「ただ、好きなんだよね。偉そうにしてる人が下だと思ってる人に反抗されて、びっくりして、怯えてるのがさ。そういうのを見るのが、僕は大好きなんだ」


 そして川田くんは内ポケットから退職届を取り出すと、「人事部に提出してくるね」といって、会議室から出て行ってしまう。


 俺はそれを、呆然としたまま見ていることしかできなかった。


*****


「……川田くんの過去の経歴を調べたけど、どの会社でも同じように上司を痛めつけてるよね」

「僕も新卒のころは怒られすぎて死にたい、って思ってたんだけどね。でもあの人たちのせいで、一度きりの人生を不意にしたくなくて。それでやってみたのが最初だったなぁ」


 それからブラック企業を転々としては、自分を叱責する上司に暴行を加えるのが趣味になった、と川田くんは教えてくれた。


「……どうして、僕の弁護を引き受けてくれるんだい?」


 川田くんは俺に尋ねた。正直、勝てる見込みなどないし、常習犯である以上、情状酌量の余地もないだろう。


 だがそれでも、俺は川田くんの弁護人になることを決めた。


「――――――それは……あの時の君の目が、とても綺麗だったからよ」


 あの漆黒の瞳に吸い込まれるように、俺は川田くんと再会した。


 そしてきっとこれから、川田くんとは長い付き合いになるだろう。


 この再会は、その長い長い付き合いの、最初の一日目なのだ。

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川田くん ヤマタケ @yamadakeitaro

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