【KAC20241】三分以内に書かなければいけない話

斜偲泳(ななしの えい)

第1話 

 彼には三分以内にやらなければならないことがあった。


 書き出しが『○○には三分以内にやらなければならないことがあった』で800文字以上の小説を書く事である。


 この事からも分かる通り彼はKAC2024 ~カクヨム・アニバーサリー・チャンピオンシップ 2024~に参加するカクヨムユーザーである。


 彼はこれまでに行われた全てのKACに参加し皆勤賞を取ってきた。


 それだけが彼の生き甲斐にして冴えない人生を彩るたった一つの誇りだった。


 だから当然今回も全てのお題に参加するつもりだったのだが。


 不運な事に流行り病に罹って寝込んでしまった。


 39度を超える熱が続き、とてもではないがパソコンに向かう事など出来はしない。


 せめてプロットだけでも考えられたらいいのだが、茹った脳ではそれすらもままならない。


 おぉ神よ! 私がいったい何をした!


 このなに一つ褒める所のない冴えない男からたった一つの誇りすら奪い去ろうと言うのか!


 文字通り高熱の時に見る筋道の通らない悪夢にうなされながら、いやそもそも私は死ぬんじゃないか? と怯えつつ、どうにかこの悪夢を小説に活かせないだろうか? と思う端から忘却しぃを繰り返し、はたと目覚める。


 熱が引いている。


 これならば、小説が書ける!


 嬉々として起き上がった彼を待ち受けていたのは残酷な現実だった。


 第一回の締め切りまで残り3分。


 秒にして僅か180秒だ。


 無理だ。


 終わった。


 普通の人間なら諦める所だ。


 それが冴えない凡人なら猶更の事。


 時計を見た瞬間に不貞腐れ二度寝を決めるのが妥当な所だろう。


 だが彼は諦めなかった。


 他の事ならいざ知らず、KAC皆勤賞は彼にとってたった一つの誇りなのだ。


 誰にも評価されず、閲覧数も伸びた試しはなかったが、それでもたった一人、己という読者の為に書き続けていた。


 自分に文才がない事などはなから承知。


 それでも書き続けているのはささやかな足掻きである。


 何者にもなれなくても、せめて夢追い人でいる事を諦めたくはない。


 実らない夢だとしても、自らの手でその夢を手放す事はしたくなかった。


 さぁ書くぞ!


 間に合うかどうかなど問題ではない。


 諦めたらそこで試合終了なのだ!


 ダメで元々。


 どうせ読む者もおらず電子の海に沈む夢なのだ。


 大事なのは過程である。


 ここで書かねばたった一人の読者すら手放す事になる。


 覚悟に必要な時間は一秒もなかった。


 コンマ1秒もかからない。


 覚悟は常に彼と共にあった。


 独房とさほど変わりのないワンルーム。


 隣に置かれたパソコン机に滑り込むように移動する。


 幸いな事にパソコンの電源はついたままだった。


 エンターキーと共に安物の相棒が永い眠りスリープモードから目覚める。


 親の顏より見慣れたテキストエディタの純白が声もなく主人の復活を祝福する。


 さて何を書く?


 などと悩めるような時間はない。


 180秒では800字を埋める事すら至難の業である。


 それなのに、もう若いとは言えない灰色の脳みそはいまだかつてない程に回転し、病み上がりの体躯は15、6の少年のように活力に満ち満ちていた。


 考えるまでもなく指が踊った。


 いや、その表現では物足りない。


 力強く激しいその打鍵はさながら全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れの如く、テキストエディターの余白を埋めていく。


 とは言え許された時間はたったの180秒。


 その中で彼は800文字以上の意味ある文章を綴り、カクヨムにアップしなければいけない。


 そんな事は土台無理な話である。


 知った事か!


 悩む時間が勿体ない。


 時計を確認する時間すら惜しい。


 なによりも今、彼は書く事が楽しくて仕方がない。


 こんな風に秒刻みで閉め切りに追われるなんて、まるで一端の小説家にでもなったみたいじゃないか!


 この時間が無限に続けばいいのにとすら思った。


 だが、その願いがかなう事はなかった。


 終わりのない物語はないとは言わない。


 だが、彼の物語は終わりを迎えた。


 慣れた手つきで産まれたばかりの作品を投稿する。


 ディスプレイの右下を見る。


 12:00。


「……だめだったか」


 彼の口からしゃがれた声が転がり落ちた。


 悔いがないとは言わない。


 だが、いい気分だ。


 彼の内なる読者は満足していた。


 よく頑張った。


 皆勤賞は逃したが、それ以上に意味ある賞をくれてやる。


「飯でも食うか」


 三分後、カップ焼きそばを手に戻った彼は気づいた。


 カクヨム内での投稿時間は11:59。


 歓喜の叫びに耐え切れず、病み上がりの喉が咳き込んだ。

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