第10話 回天はならず

 ……耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び、もって万世の為に太平を開かんと欲す……


 大助は急遽集められた運動場のラジオ放送で玉音放送を聞きながら、完全に思考停止してしまっていた。一体これは何のことだろう。天皇陛下は一体何を仰っておられるのか。呆然と立ち尽くしていると、周囲の隊員たちから嗚咽や苦悩そのものと言えるため息が聞こえた。誰かが

「そんな訳がない! 神州日本は不滅だ! 大日本帝国が負けるはずがない!!」

 と大声で叫んだ。それが引き金となって、同じように徹底抗戦を叫ぶ者、本土決戦だ、と息巻く者、全て終わった、と座り込んで泣きだす者などで鹿屋基地の運動場は騒然となった。一人が突如走り出し、滑走路にある戦闘機に乗り込もうとし、追いついた数人が必死に押さえつけた。その光景を見ていた大助は、ようやく「生き残った」事が分かった。俺は、生き残ったのだ。死ななくてすんだのだ。大助は体中の力が抜けていくのを感じた。思わず座り込みそうになるのをようやくこらえた。……あれほど操縦を訓練した回天も結局一度も出撃なしだったな。運動場にいても仕方ないので自室に戻った後、勉強机に並べてある航海や操舵のための教科書を見つめながら、出撃命令をただ待つ虚しい日々の中で、大助の意志というものはどんどんと衰弱していき、ただただ特攻死する事しか頭になかった事を思い出した。そうか、大日本帝国が敗北したのか……。改めて考えれば考えるほど悲しみが湧いてくる。日本が負けることは実は彼ら海軍兵士たちにはもう分っていた。6月には沖縄も陥落し、残るは本土決戦のみと言っても、武器弾薬も燃料も食料もろくにないのに、一体何が出来るというのか。伝え聞くところによると広島と長崎に強力な新型爆弾が落とされて街は死滅状態ということだし、これを日本中に落とされたらもう抗戦も何もない。殲滅されるだけだ。ただ……こういう事を事実として知っていても、それでも、改めて本当に日本が負けたら、これほどショックだとは。一人ベッドに倒れ込んでいると、誰かがドアをノックする。勢いで体を起こして扉を開けると、三井弘がそこに立っていた。

「入ってもいいかな」

「どうぞ」

 三井は真っ赤な瞳をしていた。散々泣きはらした後なのだろう。

「負けちまったな……」

 重いため息とともにつぶやく。まるで何かを確認するかのように。

「夢なら今すぐ覚めてほしいですけどね」

「全くだ。でもこれは夢じゃないんだよな。それで俺たちはこれからどうなるんだろう」

「全く分かりませんね。まあ、軍隊はもう必要ないでしょうから、家には帰してもらえるでしょうが……」

「そうだな。ああそうだ、お前地元に帰ったらあの子に会えるな、誰だっけ、幸子さんか」

 三井に言われるまでユキちゃんの事を全く考えていなかったので、大助の胸は強く轟いた。そうか……ユキちゃんにまた会えるのか。とっくの昔に諦めていたこと。もう二度と会えない、俺は特攻で死ぬ身なのだから、と未練を断ち切るために、手紙も返事を書かないでいたのだった。

「そうですね……会えますね、きっと」

「いいよなぁ~。俺もせっかく生き残ったんだから恋人でも作るか」

 その言い方が余りにも屈託がなかったので、思わず大助は声をあげて笑った。弘も一緒に笑った。希望は、あるんだ。大助は先ほどまでの陰鬱が消えてゆくのを感じた。彼は立ち上がって、まず腹ごしらえでもしましょう、食堂に行ってみましょう、と声をかける。弘も同意して腰を上げ、腹が減っては恋も出来んのじゃぁ、と拍子をつけて言った。戦の時代は終わりじゃあ、と大助も重ねて調子をつけて叫んだ。

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