第9話 勇の最期

 微笑め。見送ってくれる人たちに、悲しい思いをさせないために。勇は無理にでも笑顔になろうと思っていたが、自然と微笑めたのは我ながら驚きもした。今から特攻に向かうというのに、死ににいくというのに。目標は沖縄西岸に停泊している米国海軍の空母、巡洋艦、駆逐艦のいずれか。5月、屋鹿の空軍基地には特攻で出撃する勇たち20名のために、何十人もの地元の中・高等女学校や挺身隊の女の子たちが集まってくれていた。手には皆桜の枝を持っている。部隊長や整備兵や残っている同期の仲間が帽子を振ってくれている。皆さん、ありがとう。勇は登場した零戦のコックピットから力の鍵大きな声を振り絞って叫んだ。エンジン音で聞こえなかったかもな、と思ったが、それでもよかった。そうだ、敬礼すればいいんだ。彼は微笑みを消すな、と自分に言い聞かせながら、右手を額にかざして敬礼し、零戦を発進させた。空へ浮かぶ。ほぼ同時に発進した数機と横並びになる。いざさらば、愛する友よ。一人と目が合って、頷く。お互いもはや何の憂いもなかった。最後の問題は、いかにして米艦隊のレーダー機に把握されず、5インチ砲弾、近接信管にも捕獲されず体当たりを成功させるかだ。まず、米海軍はピケット艦を艦隊周辺に配置し、これがレーダーで接近機を把握し、迎撃にF6Fトムキャットなどを飛ばしてくる。自爆攻撃用の重い250kg爆弾を抱え、護衛機もない中、敵機をすり抜けるだけでも大変な事だが、仮にそれが上手くいったとしても、空母や巡洋艦は何百発といった近接信管を飛ばしまくってくる。これは半径15m以内に何かがあれば即座に爆発するという、対特攻用に開発された極めて優秀な砲弾だ。ほとんどの特攻機はこれに捕捉されて爆発してしまう。しかし、勇には作戦があった。超低空飛行。勇は目がよく、レーダー機を遠距離から発見する自信があった。飛行する事一時間半ほどで、鹿児島の最南端から発信した勇の零戦は沖縄東北部まで迫っていた。見つけた、あれを避けねば。最高時速565㎞を誇る零戦を旋回させ、大きく弧を描き、一旦東へ向かい、大周りをして米艦隊の待機している沖縄西部へ向かう。いいぞ、迎撃の戦闘機も全く見えない。遥か眼下には沖縄諸島が小さく見える。絶対守ってやるからな……。勇はほとんど明鏡止水の境地にいた。ただ、この戦闘機を敵艦にぶつける事以外の何も考えなかった。大いなる何かと一体化しているようだった。……見えた、大きさから言うと駆逐艦クラスか。構わん、行くぞ。勇は急降下し、海面20mぐらいまで降り、そこで水平走行をはじめた。これは高い技術を要する飛行技術だが、厳しい訓練の中勇はこれが可能なほどに熟練することに成功していた。勇の零戦を発見した駆逐艦が慌てて近接信管を何発も撃ってきた。が、零戦に向かう途中で海面をレーダーが認識していしまい、全て途中で爆発してしまう。おかげで勇の視界もそのたびに遮られるのでだが、蛇行しながら目標を見失わない。駆逐艦はすさまじい勢いで接近してくる零戦に怯え、必死に40㎜砲で機銃掃射を始めた。そのうち何発かが零戦の左翼をとらえ、穴を開けたが、墜落することはなかった。勇はおおおおっ、と大きな声をあげて、駆逐艦のマストめがけて突っ込んだ。みんなさようなら、と勇は心の中で叫んだ。刹那、駆逐艦のマスト部で250kg爆弾がさく裂した。大轟音とともに、凄まじい爆発が起きた。マスト部は斜めに傾げた。さらに次の瞬間、艦艇の燃料タンクに火が付き、大爆発を起こした。艦の側面に穴が開き、そこから海水が入り込む。駆逐艦の沈没は間違いない事となった。しかし……それを見届ける日本軍側の人間は、誰もいなかった。大量の煙を噴き上げ斜めに傾く米海軍の駆逐艦。救命ボートを下ろし必死に逃げる海軍兵たち。近くに停泊していた空母と揚陸艦がすぐに助けに向かい、生存者のほとんどは引き揚げられた。そのうちの一人が、顔を真っ青にして叫んだ。

「だから嫌だったんだ、ジャップと戦うのは! もう俺はアメリカに帰る」

 つられてもう一人も叫んだ。

「自殺攻撃をする民族と戦うのはまっぴらごめんだ。命がいくつあっても足りんわ!」

 周りにいる兵士たちが慰め落ち着かせた。再び轟音が鳴り響く。駆逐艦が再度爆発を起こし、艦首だけを海上に残し、みるみる沈んでゆく。空母の甲板に集まっている海軍兵たちは息を飲んでその光景を見つめているのだった。

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