第2話 日米開戦と、三人の運命
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なだらかな丘になっている利根川の川べりを暖かな日の光が照らしている。ツクシやタンポポや菜の花が一面を埋め尽くしている。青空にはわずかに積乱雲が浮かんでいるのみで、冬の寒さも消えつつある中、幸子はビス子と散歩を楽しんでいた。ビス子を拾ってからもう5年も経つ。小さな白犬は立派に大きくなって、引っ張られたらかなり大変で、今も強く引っ張られたので幸子はよろめきながら紐をしっかり握って走るのであった。
「もう、ちょっと、ビス子、なんでそんなに急ぐの」
と言った後、彼女の視界に二人の若い男性が映った。あっ、あれは。そっか、それでビス子はこんなに走り出したのか、と納得した。疾走してきた真っ白な犬の頭を、大助はようしようしと言って撫でた。
「こんにちは、勇くん、大助くん。お久しぶりだね」
「久しぶりだなぁ、ユキちゃん、ビス子もだな」
勇は白い歯を見せて微笑んだ。ビス子は興奮してひっくり返ったり草むらを転がったり大忙しだ。
「二人にはメチャクチャ懐いてるのよね。今までどれだけおやつを食べさせてもらったかしら」
「三人で飼ってるつもりだったからな、何しろ拾った時三人一緒だったから。でも残念ながら今日は何も持ってない」
大助は着ている上着のポケットをわざと裏返しにしてみせた。勇も両手をあげて見せた。
「お二人はここで何をしてるの?」
「いやぁ……実は俺たちも離れ離れになる事になったから、取りあえず会ったんだよ。ユキちゃんの家にも行こうと思ってた」
「離れ離れって……二人は一体どこへ行くの? まさか軍隊?」
勇と大助はお互い目を合わせて、同時に頷いた。
「俺は海軍の予科練に行く。茨城県の霞ケ浦へ行くんだ」
勇が胸を張って言うと、大助も同じように続く。
「俺は海軍兵学校。広島県の江田島に行くんだよ。もう来週には出発するんだ」
幸子は軽いショックを受けた。そんな、広島まで……。
「じゃあもう当分会えないんだね。すごく寂しいな」
「俺もだよ。ユキちゃんに会えなくなるのも、勇と会えなくなるのも嫌だ。でも、もう……そんな事言っていられないんだ」
大助は話しながら握りこぶしを強く握った。
「鬼畜米英との戦争が始まった。この戦いは必ず勝たないといけない。俺たちはまだまだ子どもだと思うけど、しっかり修練して一人の立派な軍人になって大日本帝国を護らないといけないんだ」
「そう。無敵の大日本帝国艦隊の役に立ちたいから俺たちは海軍に行くことにしたんだ。最も俺は戦闘機乗りになるつもり。零戦に乗るんだ」
幸子は二人の顔を代わるがわる見た。いつの間にこんなに大人になったんだろう。小学生の頃とは別人みたいだと思った。
「日本は、アメリカに勝てますか」
彼女は思わず聞いた。昨年12月、大日本帝国はアメリカに宣戦布告し、真珠湾を奇襲し大戦果をあげ、今年に入って東南アジア諸国に電撃進軍し、新聞は毎日のように戦果を報じている。だが……大手貿易会社に勤めている幸子の父親は家の中だけで小声で言っていた。
「国力が余りにも違い過ぎる。しかも、支邦事変で中国と戦争を続けながらアメリカやイギリスと戦って勝つなんて絶対に無理だ。だけどお前ら、この事は外では絶対に言うなよ。非国民扱いされて特高の憲兵に殺されるぞ。言うなよ」
幸子の真剣なまなざしを受けて、二人は口ごもってしまった。実はさっきまで彼らは日米戦争の行方を語っていたのだ。二人は学業はとても優秀で、かつ、世界の情勢などを中学の先生に聞きかじったりしてかなり正確に大日本帝国の現実を既に知っていた。例えば、日独伊三国軍事同盟の是非だとか、独ソ不可侵条約は信用出来るか、ひいてはヒトラーやスターリンの人物評までおぼろげだが理解していた。
「勝ちます」
大助が突然叫ぶように言った。
「私たちが勝たせて見せます。だからサッちゃんは安心して銃後の守りをお願いします」
勇も強い声で言った。それに被せるようにビス子がワン、と一声吠えた。幸子はなんだか嬉しくなって、二人に深々と一礼をした後言った。
「よろしくお願いします」
太陽は青空で燦々と輝いていた。しかし、強い風に流されてきた大きな灰色の雲が日輪を隠してしまった。
「雨が来るのかもしれない」
「もう最後になるかもしれないわ。二人とも私の家に遊びに来て。ちょうどお母さんが焼いたチーズケーキがあるのよ」
二人は喜び勇んで行くことにした。空は薄暗く大地を包みこみ、冷たい風が吹き抜けていく。しかし三人の会話は弾み、やがて降ってきた小雨もどこ吹く風の体であった。
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