第7話 目指せ遠乗り

 

 厩舎前の砂地に勢いよく転がりそのまま倒れていた。身体に魔力をまとわせれば軽い擦り傷は防げるが地面に打ち据えた肩は痛む。


 砂地をゆっくりと踏みしめ転がった少女に近づいた男はお互い片手に持つ木剣が届かない場所で足を止める。男から見て向こう側を向いた少女の表情は見られないが気を飛ばすような場所を打ち付けていないことは男自身の目で確認済みだ。


「今日はもうやめておくかい? ナギちゃん」


 転がる少女、カンナギはもぞもぞと体を動かすと立ち上がり服についた砂を払う。


「うん。そろそろクロエのブラッシング時間だから」


「じゃあ木剣をもらおうか」


 男、アルベリアが差し出す片手に木剣を乗せる。一連の様子を見ていたレナードの騎士たちは離れの馬を連れながら唖然と口を開けていた。木剣を回収したアルベリアはカンナギの「臙脂色」の髪を撫で先の鍛錬での指摘を伝えている。誰かに対して「優しさ」を見せるアルベリアの姿も、実戦さながらの訓練をしてアルベリアに吹き飛ばされながらも嬉しそうにアルベリアの指摘を受け入れる少女カンナギも。


 どうかしたのかとカンナギに声をかけられてようやく騎士たちの空いた口は塞がった。


 思ったよりも実戦的な訓練をされていたので驚いて。騎士の一人が呟き、カンナギの背後にアルベリアが並んだことに気付くと背筋を伸ばした。


「人相手なのであまり役立つことは無いらしいですけどね」


「体力作りになるし、対人を目的とする騎士くらいは目指せるだろう」


 アルベリアが背後からカンナギの身体を抱え込むように腕を回しても彼女は驚くことなく抱えられた腕の中でアルベリアの顔を見上げる。


「女の人の騎士がいるの?」


「数は少ないけど居るよ。何にしても戦う職につくなら私に一撃入れられるようになってからかな」


 それは現職騎士の誰も出来ないことでは?


 不満そうながらも頑張ると答えた少女カンナギの手前騎士たちは言うことは出来ない。現職騎士の誰よりも、この国の誰よりも強いがためにレナード家の主であったアルベリア。正面切って彼に一撃当てられるならば騎士職につけるという話には留まらない。他の上位貴族から声がかかるか、王族から声がかかるか。


 アルベリアの腕から逃れるようにしゃがみ抜けたカンナギは厩舎へと走っていった。クロエ。と誰の言うことも聞かないはずの馬の名前を呼び駆けていく。


「娘さんは、お強いですか?」


 カンナギの姿が見えなくなりアルベリアの前で何となく居心地が悪くなった騎士の一人が恐る恐る問うと、彼は騎士たちがよく知る感情を推し量ることの出来ない表情で厩舎へ視線を向けた。


「剣の腕だけなら見てきた中で一番有望だよ」


 剣の腕以外に問題があるのか。続けて問おうとした騎士は横から先輩騎士に小突かれて口を閉じる。


 離れと本邸の馬を入れ替えるためにウィスに選ばれた騎士たちは皆アルベリアがレナード家当主であった頃から騎士を続けている。彼が無駄や面倒を厭うことも、当主を退いた後は誰の干渉もない離れで望んで畑仕事をしていることも知っている。


 アルベリアへ向けて深く頭を下げ、騎士たちは離れから本邸へ戻っていく。


 彼らは当主の仕事を成す際によく見た騎士たちだった。ウィスが選んだ彼らは皆口が固く余計なことも言わない。今から思えばよく出来た騎士たちなのだろう。彼は片手に木剣二本をまとめ持ったままカンナギの向かった先を見る。


 クロエに馬具も綱も付けず厩舎から連れ出したカンナギはクロエに何か話しかけながら楽しそうに赤錆の身体へブラシをかける。


 彼女の黒髪は臙脂色のかつらで隠している。臙脂色は黒に近く前髪を下ろし瞳に影をかければ黒い目だとは思えない。


 数年前ではなく今ならば知れたところで問題は無いが最大の利を得るにはまだ早い。


 視線の先でクロエがカンナギのかつらをつついている。自分の体色に近いかつらを気に入っているのだろう。また遊ばれて取られなければ良いが。アルベリアが見ている先でカンナギは臙脂のかつらをクロエに奪い取られかつらを咥えた馬と少女の鬼ごっこが始まっていた。


 全力で走り回り木剣を振り回した後に大人の馬と鬼ごっこをする体力があればそれ以上に体力を付ける必要は無い。ただ、訓練を続ければ続けるほど彼女は面白いように体力と技術を身に付ける。身に付ける力に上限はないのか。最低限の護身術を教えていたが、アルベリアは好奇心から護身以上の力を付けるよう指導を始めた。カンナギにはあくまで「護身」だと嘘を吐き続けている。彼女は一切疑わず、それがまたアルベリアの訓練を厳しくさせていた。


 離れでは対人の力を磨くことしか出来ず、アルベリアは基本離れから出ることは許されていない。ゆくゆくは魔物と対峙出来るようにしておきたいが。


 いつの間にかクロエに馬具を取り付け騎乗していたカンナギに物思いかとからかうように声をかけられ、片手にまとめもった木剣を持ち上げた。挑戦状かな。同じ口調で問い返せばカンナギはニッコリと笑ってクロエに声をかけ、逃げた。


 歳は十を超えた。離れに捨てられて数年。ただの子供よりは聞き分けが良く、大人というには子供らしい。


 厩舎周りを駆けたカンナギはクロエの馬具を下ろし、クロエの身体を手入れしていた。ブラシをかけた後に乗るから手入れの手間が増える。けれどそれすら楽しそうにクロエはカンナギの頭をつつき、カンナギはクロエの体に触れる。


「いずれ遠乗り出来たら良いね」


 カンナギの言葉が聞こえ思わずその背に立った。


「ここから出ていくつもりかい?」


 厩舎に戻されたクロエがカンナギの背後に立つアルベリアを睨む。


「おじちゃんと一緒に、のつもりだったよ」


「そう。……遠乗りか、なら尚更早いうちに外での戦い方も知っておかないとね」


「機会がないから難しいんじゃ」


「もうすぐ機会は得られる。魔物相手はクロエが慣れているからその時が来たらクロエを頼ると良い」


 カンナギの頭に触れようと持ち上げられた手は空を切る。彼女は後ろから服を強く引っ張られ厩舎に背中を打ちつけていた。


「いてて。ねえ、二人の仲悪いのだけ直して欲しいんだけど」


「私は別に嫌ってるつもりは無いよ」


 ただクロエは鼻を鳴らし、カンナギを護るよう首と顔で厩舎に押し付けアルベリアを睨み付けていた。

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