第4話 信頼の形

 

 護身を学び始め、アルベリアの居ない日は畑の管理を行い畑管理が終われば離れの空いた敷地で重みのある木剣を振り続けるのが日常だった。


 その日もアルベリアは「家の用事」といって青いマントを肩にかけて出ていった。日中の訓練はサボったところでバレないだろうと一日だけカンナギは素振りをサボったことがある。その時はバレてこんこんと嫌味を言われた。何故バレたのかは未だに分かっていないがサボったところでやることもないのでそれからはサボっていない。


 素振りを続けて楽しいこともある。この世界では常識なのかカンナギには判断できないが訓練を続ければ目に見えて体力も筋力も付く。先日のように木の上に登るのは造作もない事だった。


 ただ、護身の力を付けるのに素振りが必要か。この問いにアルベリアが笑顔でよこした答えがある。カンナギはよく覚えている。それを人に聞いてる間は素振りも続けよう、と。


 基本的にアルベリアは優しい。訓練をしている間と身を護る術の話と実践中だけは別人かと思うほどに穏やかに厳しい。


 不意にじゃり、と離れの土を踏みしめる音が耳に届く。目元をも隠すフードを被り直して振り返るとアルベリアとよく似た青錆色の服が目に入る。


「ああ、君がそうか。庭師はどこだ?」


 アルベリアとは違う不遜な物言いが過去の記憶を引き出してくる。捨ててこい、と言った血の繋がった家族。


 カンナギの実父であり上位貴族レナードの当主レオンが目の前に立っている。


「あ、と。庭師さんは今日は家のお仕事に」


 視線を上げれば黒い瞳がバレるかもしれない。青錆色の服の裾を見ながら答える。


「行き違ったか。……君は女子だと聞いていたが騎士にでもなるつもりか?」


 片手の木剣を強く握り体の震えを誤魔化し、どう答えようか口ごもれば目の前の男の機嫌が悪くなる。


 鋭い視線を感じカンナギは逃げるように更に目を伏せる。


「そのフードは色を隠しているつもりか」


 落ちた視線、地面に映り込んだ影の中に伸ばされる手が見えてカンナギは足を下げて身体強化をかけた。恐らく視線は鋭くなった。けれど黒い目と黒い髪を目の前の人に見られるわけにはいかない。絶対に。


 血の繋がる家族にまた捨てられたくない。


「私の子に何用かな」


 男の手がフードに届く直前で知った人がおいで、とカンナギに片手を差し出した。カンナギは慌てて男を遠巻きに避けると自分に差し出された手を取った。


「この子を騎士にするつもりはあまりないよ。勿体ないからね」


 繋いだ手を軽く引かれカンナギは引かれた方向、アルベリアの背後に姿を隠す。


「貴方の背に隠れるような弱い者は要りません。件(くだん)の報告は?」


「君の書斎に置いた。用がそれだけなら早く屋敷に帰って二度とここに来ないでくれ。ここは君がくれた唯一の領だろう?」


「頼まれても来ません」


 ざりざりと音を立てて遠ざかる男、レナード家現当主の背中が見えなくなってからアルベリアは背に隠れ続けるカンナギを抱き上げた。


「まさかこっちに来るとは思わなくて、驚かせたね」


 出会った頃よりも大きくなった姿が握りしめたままの木剣。


「ほら、木剣はそろそろ下ろしなさい。今日はゆっくりしよう」


 カンナギが腕の中でバランスを取っていることを確認し、片手を空けて木剣を抜き取れば何の抵抗もなく木剣が彼女の手から滑り落ちる。全く言葉を発しないカンナギの顔はアルベリアの肩に埋められアルベリアからは表情を伺えない。


 きっと悲しげな顔をしているのだろう。大人な精神を持っているはずだがどう見ても幼い子供のようなこの子にとって自分を捨てた親と会ってしまったのは驚きと恐怖しか無かったはず。だいじょうぶ。小さな子をあやすように語りかけ、アルベリアは二人で暮らす家へと足を向ける。


 疲れ切っているカンナギを家で寝かしつけ、アルベリアは畑の傍らで煙草に火を点けた。


 彼女が来るまでは考えられなかった自分の姿だ。先程この場所に来ていた現当主であり自分の息子も同じ思いだろう。


 彼は貴族の中でも平凡な下位貴族に生まれた。少し政に秀でた父親と政略結婚で仕方なく嫁いだ母親。珍しい能力も持たず上位貴族や王族からの関心も無い。適度に学び適度に過ごせば適度な生活が出来る立場。ただ、暇だった。父親から貴族の在り方を学び、淡々と暮らすのでは時間が余る。


 そこで若い頃のアルベリアは剣術に手を付けた。護身ではなく何かと戦い倒すための力。どれだけ求めても終わりの見えない求道が楽しくなり始めると強い彼の下には騎士が集い始めた。彼の仕事は人に戦う術を教えることに変わり、指導料は収益となり屋敷が広くなり人が増える。増えた人は騎士となり別の貴族や王族へ派遣された。空いた手でアルベリアは再び剣術の鍛錬に戻り、騎士は派遣先でレナードの名を知らしめ更に収益を集めた。レナードの名が広まり始め周りが跡取りをと騒ぎ始める前に生まれたのがレオン、現レナード家当主。


 だが、アルベリアの興味は子供に向かなかった。


 レオンの教育も何もかもがアルベリアの妻と家の者に任され当主が行う仕事の引き継ぎでのみレオンと関わっていた。


 一度だけ幼いレオンが父に遊んでほしいと直接話したことがあった。だが、アルベリアは全く興が向かずその場に教育係を呼んで解決させたことを覚えている。寝かしつけたことなど一度もない。


 アルベリアはカンナギの眠る家を見やり煙を吐き出した。


 カンナギが父親に捨てられた原因の大元は間違いなく自分にある。自分が興味を持つものしか追わず、子供を含めた全てを無視したしわ寄せがカンナギに降り掛かっている。ため息と共に白い煙が宙に溶ける。二本目の煙草を取り出して口に咥える。気紛れの物思いで何故こんなに考える必要があるのか。


 一番簡単な解決策がある。


 現当主であり息子が望んだ通り、転生者を生まれなかったことにする。寝かしつけた子供が二度と起きないように対処する。


 簡単だが今はもう考えられない手。


 尽きないため息を吐きながら家の扉を開くと黒い瞳と目が合った。


「寝たフリでもしていたのかい?」


 いつもの軽口にベッドに腰掛けた彼女はいつもの笑顔を返す。


「起きちゃっただけ。煙草?」


「苦手かい?」


「いいなーってくらいかな。……おじちゃん、今日は夜更かししても良い? お話したい」


「いいよ。着替えるから君も上着を着ていなさい。風邪を引く」


 一つしかない衣装箪笥から投げ渡された羽織をかぶりカンナギはベッドの上で衣装箪笥に背を向けて寝転がる。さりさりと布の擦れる音が聞こえた。しばらくして背後のベッドが沈み込みすぐにカンナギは上体を起こす。ベッドに腰かけたアルベリアが隣を叩き並んで座った。


 お互い顔は見えないが話をするにはちょうど良い。


「おじちゃんは本当に当主様と仲良くないんだ」


「然程関わっていないからね。あの子はもうここには来ないと思うけれど気になるかい?」


「気になるというか……うーん」


「言いたいことを言いなさい。怒らないから」


 自分の膝の上で拳を作るカンナギの頭にアルベリアの片手が乗る。アルベリアを見ず、ただ正面を見据えたカンナギが口を開いた。


「私に関わるより、お屋敷でお父様を助ける方が有意義じゃない?」


 アルベリアはカンナギのことを見ないまま首を傾げる。


「それは君を殺してかな?」


 大したことじゃない。カンナギは言葉を紡がずに頷いた。隣に座る人にとってそれは大したことじゃない。


 護身の心構えと実践を行い身を持って理解している。お互い武器を持っていない今の状況でもアルベリアは容易くそれが出来る。


 だからこそ強いアルベリアが自分を守るように動くのを目にした今日、気付かないフリをしてきた疑問が再び浮上した。


「私が、貴方にとって何の役に立つ?」


 善意で助けるわけではないと聞いていた。けれど現時点で自分は護身の訓練をするばかりで彼が家に戻る以上の何かを生み出せているわけではない。手間ばかりを増やす自分を庇うように動く利益がカンナギには思い当たらない。


 カンナギが見上げることの出来ない中、アルベリアは片手を彼女の頭においたまま首を傾げ続けていた。


 いつもの子供らしさは鳴りを潜め大人びた口調で隣の自分に怯えるように小さく震える少女は自分が殺されない理由が、価値が分からないと言う。それはアルベリアにとって当たり前の疑問だ。自分がカンナギを殺さずに手元に置いている理由を具体的に話していないのだから。話す必要もない、彼女が手元に居れば。


 アルベリアはカンナギの頭の上から手を除ける。


 殺されると思っているのかカンナギは強く拳を握っている。


「ああ、君は本当に可愛い子供な大人だね」


 カンナギが聞き返す前にアルベリアは彼女の手を強く引いた。うめき声を上げてベッドに仰向けで倒れ込んだカンナギの上からアルベリアが変わらない笑顔で見下ろす。片手をカンナギの顔の横につき、片手がカンナギの首に添えられる。わずかに力を込められるだけで息苦しさを感じる急所。


「そんなことを言えば殺されるとは思わなかったのかい?」


 カンナギは驚きながらも首に添えられた手を剥がそうとはせず薄く微笑んで返す。


「おじちゃんは私が大人になるまで私を護ってくれる」


 初めて会った時にそう言ってくれましたから。笑いかけるカンナギの押さえられたまま首へわずかにアルベリアの体重が乗る。カンナギの手は震え殺されることへの恐怖は見て取れる。


 だが、表情は変わらない。


「じゃあこのまま私の望みを具体的に話そう。聞けるね?」


 息が止まらない程度に力の乗った手に自分の片手を重ね、カンナギは小さく頷く。


「数年以内にレナードを巻き込む事件が起きる。私は家にとっての『保険』だから本来ならその事件に手を出さない。けれど、家を失うほどの事件で助けてやれば大きい貸しになるだろう?」


 貸しは返してもらわなければ。大きな望みが叶うであろうその返しが欲しい。


 首を押さえていた手を放し、アルベリアはカンナギの黒髪を撫でる。


「ただ、力が足りない。君は生まれつき魔力が大きく魔力を私に貸す方法がある。ただ、条件があってね。互いに『心から信頼している』こと。だから私は君を手元で育てている。こんな話を聞いても君は私は信頼してここに居るかい?」


「私はここに居たい。でも、おじちゃんは私を信頼できる?」


「首を押さえられても私を信じる可哀想なほどに盲信的な君を疑う余地がない」


 声を出して笑い、アルベリアはカンナギの隣に倒れ込むように寝転がった。


「魔力を貸してもらう前に誰かに殺されたら困る。明日からも護身の訓練は続けるよ」


「はあい。怪我しないように頑張るね」


 子供らしく笑った表情を向けられてアルベリアは片手を向ける。カンナギの頬に触れた手はそのまま柔らかな頬をつねった。


「早く私より強くなりなさい」


 優しく厳しい言葉にカンナギはむっと眉を寄せ、もぞもぞと布団の上でアルベリアに背を向ける。


 アルベリアは足元に重ねられた掛け布団を拾い上げて自分とカンナギの体にかける。


 おやすみ。いつもの言葉にカンナギも同じ言葉を返した。おやすみ。掛け布団の上にアルベリアの腕の重みと暖かさが重なりカンナギは安堵して眠った。

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