第2話 離れでの生活

 

 転生者の少女、カンナギがアルベリアの庇護下で暮らし始め一月。カンナギは黒髪と黒目を隠せるフードを目深に被り、狭い視界の中で畑に生えた雑草をせっせと引き抜いていた。アルベリアは本人が言うように貴族としての仕事は殆ど行っておらず日中は屋敷の離れ、二人が暮らしている場所にある畑の管理をしている。


 管理とはいえ育てているのはアルベリアの気が向いたものばかりで野菜や花と決まった物はない。育った野菜や花は屋敷で使われたり、余ったら離れで暮らす従者の人に分けたりしている、らしい。それが本当かどうかカンナギは知らない。


 元とはいえ貴族の当主なら何をしなくてものんびり生きていけるのではないか。二人での生活に慣れた頃カンナギがそう聞くとアルベリアは「暇だからやったことないことをしてみたかった」とだけ答えた。今日彼は家の用事があると言って畑仕事、草むしりをカンナギに任せて出かけている。


 離れと呼ばれているカンナギが住んでいる場所はレナードの家に仕えている人たちの仮宿や食事処があり、出入りが厳しくない。逃げようと思えば外へ逃げることが出来る。カンナギはちぎり取った草をひとまとめにして畑の外に置き、アルベリアが気まぐれで育てている果樹の木陰に座り込んだ。


 逃げ道が無いことは初日にアルベリアから聞いた。たとえ自分が有用な力を持っていたとしても黒い髪に黒い目をした転生者を拾う人、雇う人は早々居らず街に出られたとしても警備を呼ばれて家に戻される可能性が高い。レナード家に生きていることが今の段階でバレればアルベリアであっても庇いきれない。今度は確実に居ないことにされ、助けもない。


 死にたくないなら、彼の元に居ることしかできない。


 ただ、囚われていると思っていたのは最初の数日だけだった。アルベリアは一日でカンナギに必要な衣類や道具を集め状況を伝えた。食事は用意され寝床がある。気になることはアルベリアに聞けば誠実に答えが返ってくる。どんなことであっても。


 父に捨てられたのだとしても、祖父であるあの人は信じたい。血縁だからなのか、危ないところで拾ってもらえたからなのかは分からない。


 カンナギは木陰に寝転がった。


 まだまだ十歳にもならない、難しいことを考えると眠くなる素直な体。今日は外でお昼寝しよう。フードをしっかり被っていることを確認して目を閉じれば暖かい木漏れ日がカンナギの意識を夢の中へ引き込んだ。

 

 カンナギが眠りしばらくして屋敷から戻ってきたアルベリアは離れの畑でフードを被った少女が呑気に眠る姿を見下ろした。


「うーん、無用心が過ぎるなあ。護身は後回しにしようと思ったんだけど」


 離れに居るが本邸の人が来ないとも限らない状態で、フードこそ被っているものの見つかったらどうするつもりなのか。本当に前世のことを覚えているのか心配になるほどに見たままの子供らしいことをする。


 さくさくと歩み寄ってくる足音にアルベリアが視線を向ける。畑には似つかわしくない燕尾服の男が何の表情も浮かべずアルベリアの前で足を止める。


「やあウィス。さぼりに来たのかい?」


 ウィスと呼ばれた燕尾服の男は赤褐色の瞳を細め、言葉に出さず不機嫌をあらわにする。ため息を吐き見下ろすのは木陰で眠り続けるカンナギ。


「アルベリア様、子供好きでしたか?」


「まさか。道理を理解しようとしない、話の通じない子供は嫌いだね」


「そんなもの理解する子供なんて……」


 居るわけがない。ウィスの言葉が不自然に途切れ、アルベリアは地面に膝をつけるとカンナギの肩を軽く揺すった。もそもそと目を擦りアルベリアの姿を見つけると片手を伸ばす。アルベリアは自然に手を取りカンナギの体をゆっくりと起こす。


 体を起こす勢いでカンナギのフードはわずかにずれ、カンナギは慌ててフードを被り直す。ふわりと揺れたフードから覗いた黒い瞳。


「カンナギ様……?」


 ウィスの言葉にカンナギはゆっくり体の位置を横へと動かしアルベリアの体でウィスの視線を遮った。


 自分を盾にして隠れる少女が小さくごめんなさいと謝り服の裾を握る。アルベリアはフードの上から軽く頭を叩いて宥める。黒髪と黒い目は誰にも見られてはいけないと言った言葉を少女はしっかりと覚えていた。


「ウィスなら構わない、そのつもりで連れてきたんだ。これからはお昼寝も部屋でするようにしようか」


「ウィスさんは、当主さまの」


「よく覚えている、良い子だ。ウィスは当主お抱えの護衛だね。『本来なら』君が生きていることを報告するか、この場で対応しないといけない」


 カンナギの背を優しく押しウィスの前へ出したアルベリアはカンナギのフードを後ろへと倒しウィスへ笑いかける。ウィスは小さな姿を、黒い髪を、黒い目を知っている。


「けれど、私はカンナギを護り育てることを誓っている。ウィスが彼女を害するなら、私はどうしようか?」


 すがるように見上げる黒い瞳の少女の手を取り大丈夫、とアルベリアは繰り返す。


 深い溜め息を吐き、ウィスは右手を胸に当てて地面に膝を付き頭を下げる。背中側でひとまとめにされた灰色の髪が流れ落ちた。


「貴方がその方を護り育てるのであれば私は従います。当主様にも一切の報告は致しません」


「それは、ウィスさんが、大丈夫なのですか」


 アルベリアの背中に隠れ直したカンナギがアルベリアの背中から恐る恐る膝をつくウィスを伺う。


 隠しごとのある従者なんてそれこそ解雇にならないか。カンナギの心配はアルベリアに笑われ、ウィスに驚かれる。アルベリアが気にしないのは見慣れたことだが、ウィスは解雇になる可能性を言われて平気なのか。職がなくなるのはまずいことじゃないのか。カンナギの心配を他所にアルベリアはカンナギにフードを被せ直して抱き上げた。立ち上がったウィスと同じ視点でカンナギは首を傾げる。


「御心配は要りません。レオン様に解雇されたらアルベリア様に雇っていただけるはずなので」


「そうなったらどうとでも生きていけるさ。もちろん君も連れて行くよ。一度言ったことを違えはしない」


「おじちゃんが言うなら」


 落ちないようアルベリアの首に両手を回す。ウィスはその様子を眺めながら首を傾げた。主人が抱えた子供への疑問は尽きないがそれよりも一つ、大きな違和感があった。


「おじちゃん……? 随分な呼び方をさせていますね。おじいちゃんの間違いでは?」


 アルベリアはカンナギにとって祖父だ。叔父ではない。歳より若く見えるのだとしても彼女にとっては祖父のはずだ。


「ふうん、そういうこと言うんだ。レオンの奴が取り逃してる愚劣な貴族を教えてるのは誰だっけ」


「はいはい。また時間を見つけてこちらに伺います。子が居ることは知られますよ」


「私の子だと君から報告しておいて。ナギちゃん、君は謝るのも聞き返すのも駄目。不本意かもしれないけどしばらくは私の子としてここで暮らしなさい」


 聞き返そうと開いた口を閉じ、抱かれたままのカンナギは少し迷った後アルベリアの首元に緩く抱きついた。


 おじちゃんが言うなら。


 目の前で仲の良い親子かのように振る舞う二人をウィスは信じられない気持ちで見ていた。片や大人の記憶と精神を持っているはずの転生者であり、片や子供はおろか他人に興味が無いはずの元当主。自分の子にすら興味を持たなかった男が黒髪の少女を大事そうに抱いている。少女の、カンナギの心に裏切りの心があるのではないかと心配にもなるが目の前で元当主に抱きついている姿は無邪気そのもの。


 ウィスは考えを振り切るように足を屋敷の本邸へと向けた。あまり長く滞在すると今の当主に怪しまれる。


 ウィスが本邸に帰り、ようやくアルベリアはカンナギを優しく地面に下ろす。


「草むしりありがとう。君は前世で戦うことはあったかな?」


 唐突なアルベリアの問にカンナギはその顔を見上げて首を振った。


「たたかいなんてなかった」


「そうか。念のため戦う方法を学んでほしいと言ったら、君は出来るかい?」


 戦い。カンナギは首をひねる。前世では全く縁が無かったがこの世界では人同士、そして人と「魔物」という異形の動物たちと戦うことがある。というのをアルベリアから渡された知育本で読んだ。武器を取り、魔法を用いて自国を守るために。カンナギには想像もつかない世界。


「わたしにはその勇気がもてないかもしれない。人と、どうぶつにぶきを向けられる気がしない」


「学ぶのはあくまで護身が最優先だ。誰かを殺すことは学ばなくて良い、自分を守るための力を学ぶ気はあるかい?」


「それは――うん。わたしにできるなら」


「良い子だ。とはいえ今日はお昼寝しよう。私も久しぶりに家の仕事をして疲れた」


 ああもちろん、お部屋でね。わざとらしい嫌味にカンナギがアルベリアを見上げれば彼は楽しそうに笑い、再びカンナギを抱き上げた。ふらつく体を支えるためにアルベリアの首に手を回す。


 首に置く手に力を込めれば人を抑えられる事を考えもしない大人か子供かわからない幼い姿をより強く抱きしめアルベリアは少女に睡眠を取らせるために部屋へと向かった。


 

 ウィスは本邸に帰り着くとすぐにレナード家当主、カンナギの実父に呼び出しを受けていた。暇は無いのに誰も彼も気楽に人を呼びつける。ため息を何とか堪えて当主の部屋に入ると自分よりも不機嫌そうな当主の姿に溜飲が下がる。


「離れで何に時間を使っていた」


 以前より横柄な物言いになった当主に軽く頭を下げる。


「『庭師』と少々雑談を」


 庭師が誰を指すか、一番よく知る当主は作業を止め怪訝な顔をウィスへ向ける。


「……何か変わりがあったか」


「随分可愛らしいお嬢様がいらっしゃいました。庭師のお子様だそうで。ああ、青を持つ子供ではありませんでしたよ」


 常と変わらない薄い微笑みと共にそう言えば当主の機嫌は目に見えて最低まで落ちる。機嫌が悪くなるくらいならば聞かなければ良い。ぶつぶつと小さな声で庭師への文句を言う当主に対してため息が出そうになる。


 この一月で随分短慮が目に見えるようになった。理由は今になってよく分かるがそれすらも短慮の末の行動にしか思えない。離れに居る人が政に手を出すほどに手が回らず短慮に拍車をかける。


「あの方の屋敷内での裁量を奪う代わりに自由にさせているのであれば良いではありませんか」


 意見を言えば以前はどんなことでも考えていた。だが今返ってくるのは怨みがましい睨み。


「レナードの元当主が青でない子を作ったと外に知れたらどういう噂が出回るかは分かり切っている。外には知られぬよう釘を刺しておけ」


 自分で言いに行けば良いのに。ウィスは言葉を飲み込んで深く頭を下げた。


 仕える人間の苦労を考えもしないところは親子でよく似ている。否、苦労を考えた上で迷惑をかけてくる分、元当主の方が厄介か。


 不機嫌な現当主の部屋を出て自室に向かう道中、ウィスはフードに隠れた少女を思い出していた。


 転生者は前世の記憶と強い力、そして総じて傲慢な意志を持ち貴族であれば家を取り潰される。それが古びた迷信だということはよく知っていたがあれほど子供っぽいものだっただろうか。思い返せば頭をよぎる幼い姿を振り払い前に向き直る。


 あの少女が何であれ、自分は主人の言うことに従うまで。

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