好きなことを好きなだけ

つきしろ

第1話 捨てるモノと拾うモノ

 

 実の父に捨てられた。


 目が覚めると誰かの大きな腕がお腹に乗っていて、更に上には端のほつれた毛布が重なっていた。まずは横向いてから身体を起こそうとするがお腹の上に乗る腕が重くて動けない。寝惚けた頭でお腹の上の手を押すが小さな体の弱い力ではずるずると、ゆっくりとしか動かない。


「まだ寝てなさい、君の心が大人でもその体はまだ寝ていたいはずだからね」


 頭の上の方から声が聞こえて顔を上げると横向きに寝転がり紺色の瞳で見下ろされている。男に見覚えはないが、紺色を鮮明に覚えている。


――これを捨ててこい。


 自分を物のように呼称し、捨てろと言った人と似た色。急いで立ち上がろうとするがお腹の上に乗ったままの腕には力が込められているのか動く気配はなくなった。こんな子供の体では退けられない。捨ててこいと言われた後の記憶は曖昧だが自分を抱える男が捨てに行くのかもしれない。捨てられた先がこの場所なのかもしれない。少女は震える手で必死に自分を抱える腕を退けようとする。実の父に捨てられた先で似たような外見の男に捕らえられているのは恐怖でしか無い。

 

 男の腕の中から必死に逃げようとする幼い少女。両手で腕を退けようとするが男がわずかに力を込めるだけで動かすことが出来なくなる。人の顔を見ただけで逃げようとするとは失礼な、普通ならばそう思うが少女は普通の境遇でここに眠っているわけではない。


 ただそれでも。男は寝転がったまま腕の中の少女を抱き寄せる。日が昇る前の暗い夜更け。肌寒い中に子供の暖かさが心地良い。緊張か恐怖で固まる少女に努めて優しく声をかける。


「私は君を捨てないよ。せっかく今日は雨なんだ、私ももう少し寝たい」


 話は起きてから。ぼんやりした口調で少女を抱えたまま男は目を閉じた。


 背中を男に預ける形で引き寄せられた少女は腕を引きはがすことを諦めて自分が居る部屋を見回した。広い一部屋。自分と男が眠るベッドが端に、反対側には本棚と箪笥、台所に食事をする場所、そして作業机には何枚かの書類と本が散乱するように置かれている。自分を抱える男はここで何か仕事をしているのか。誰なのか。自分をどうするつもりなのか。何もわからない。


 この場所に来る前はとても広い屋敷に居た。自分はその屋敷で生まれた。数年は母の元で大事にされていた記憶がしっかりと残っている。


 少女は自分の小さな手を改めて見つめる。この手が小さなものだと少女には思える。


 彼女にはもう一つ、別の親に愛されていた記憶がある。前世の記憶がある。この場所、この世界では時折そういう人間が生まれ「転生者」と呼ばれる。転生者は家や血筋に関わらず黒い髪と黒い瞳を持って生まれるため生まれた瞬間に姿を見た全員が判別出来る。気味悪がられるかと思ったが母は気にせず世話をしてくれた。転生者がどういうことかも母が教えてくれた。


 屋敷から捨てろと言ったのは父親だった。貴族の当主である父はまともに歩けるようになった自分を、恐らく従者の誰かに母の元から拐わせてそう言った。その後の記憶は曖昧になっている。気付けばこの場所で目覚めたのが先程だ。


 自分を抱える男の人は父と似た色の髪と瞳だった。もしも血縁なら、父と同じ意図を持っているかもしれない。


 この世界のように身分が目に見えては存在しなかった前世の記憶と感情が家族に捨てられたという事実を否定しようとする。けれど父親だという人の言葉も声も鮮明に残っている。


 捨てられたくない、死にたくない、けれど、逃げられもしない。


 どうしようかと少女が考えに考えを重ねていると窓から陽の光が入り始める。


 自分の背後で男が身じろぎし体に乗っていた腕がようやく退けられる。男を刺激しないように体を起こそうとベッドに付いた手の片方がベッドの外、何もない場所に沈む。横向きにバランスを崩し地面に落ちようとする小さな体は男の手に強く引かれ、再び腕の中に抱えられる。


「一人用だからそんなに大きくないんだ、取って食べないから落ち着きなさい」


 抱える腕はゆっくり離され少女は改めて自分を抱えていた男と距離を取って座る。


 男も距離を詰めること無くベッドの上であぐらをかいて座る。少女から見れば父親よりも年上に見える男は紺色の瞳を細めて笑う。


「おはよう」


「おはよう、ございます」


「色々聞きたいだろうけどご飯持ってきても良いかな。空腹だと余計なことまで考えるからね。食べられないものは?」


「ない、です」


 良い子だ。微笑み目尻に皺を作った男は箪笥から外套を引っ張り出すと家の中のものは見ても構わないが外には出ないよう少女に伝えて部屋を出ていった。外からかちりと音が聞こえたため鍵をかけていったのだろう。


 少女はベッドから降り部屋の外につながる扉を見た。内側から開けられる鍵が見つからない不思議な扉だ。手をかけてみるが開く気配はない。


 諦めて振り返った先の本棚には様々な種類の本が雑多に並んでいる。娯楽小説もあれば紙を紐でまとめただけの書類、図鑑もある。少女の手が届く本棚の下段だけでも雑すぎる並びになっている。


 少女はおもむろに本棚へと手を伸ばした。どうにも気になる。


 書類は書類、小説は小説。本や書類は場所を変えるだけでも整理されて見え探しやすい。本当なら中身や著者で並び替えると更に探しやすいのだが小説はともかく書類の中身はさっぱり分からない。地図が書かれているものも有れば文字だけが並んでいるものもある。中身を読んでも意味がわからない。収入と支出のような数字が並んでいる書類もあり見るのは諦めた。


 少女の手が届く下段の整頓が終わり、少女は少し遠くから眺めようと立ち上がり本棚を見たまま後ろに下がる。


 一歩、二歩と下がった少女の背中が何かに当たる。


「ご、ごめんなさい」


 人とぶつかったときと同じ感覚に思わず謝り振り返って固まる。いつの間に帰ってきていたのか自分を抱えていた男が整理された本棚を見下ろしていた。


 勝手に整理してしまったが彼の意図がある並びだったのか。


 再度謝ろうと慌てる少女の前で男は膝を床に付けて少女と視線を合わせる。


「ありがとう、整理は苦手でね。書類で手は切ってない?」


「うん――あ、いえ、だいじょうぶです」


「さて、手を洗ってご飯にしようか。そのうち台も用意しよう。君の体に触れるよ」


 返事をする前に脇を抱え上げられ洗い場で手を洗うよう促される。冷たい水と石鹸で手を洗うといつの間にか並んでいた料理の前に座らされる。だが、明らかに大人用の椅子と机。机の上の料理は少女の目線と同じ高さにある。若干皿に隠れて見える料理をこれで食べるのは難しい。


 フォークとスプーンに手が伸びないでいる少女の困惑に気づくと男は思わず息を吹き出して笑った。少女に不満げな視線を向けられ口元を隠すが漏れる笑い声が止まらない。


「ふふ、ごめんごめん。それは考えてなかった。夕方には台くらい用意できるだろうけど君の体で朝ごはん抜きはつらいね」


 一日くらいなら朝ごはん抜きでも大丈夫。少女がそう言おうとするが男は部屋の中、作業机に向かう椅子を持ってくると少女が座る椅子の隣に並べた。


 何をするのか。身構える少女の前で男は皿を持ち中身をスプーンで掬うと少女の口へ近づける。


「悪いけど今は他に方法が思いつかない。何も言わずに食べてくれるかな」


 少女は少し迷った後に口を開いた。餌付けのような食事を終え、少女は男に謝った。手間を掛けさせて申し訳ない。食事までもらっても返すものがない、と。少女らしからぬ言葉に男は食器を片付けながらひらひらと片手を振る。


 目の前の男の人は本当に自分を捨てないのだろうか。


 見れば見るほど目の前の男は自分を捨てた父親に似ている。少女は首を傾げる。整った顔も、良い体格をしていることも。ただ今世の父親よりも視線は穏やかで、口調もわざとそうしているのか柔らかい。安心してしまいそうになる自分を頭を振って否定し座ったまま少女は身構え直す。


 食器を片付け終えた男は少女の隣に座る。


「私は息子と似ているらしいから向かい合わせじゃない方が話しやすいだろう?」


「あなたは、当主さまの」


「自己紹介しよう。私はアルベリア・レナード。上位貴族レナード家の前当主であり、君を捨てたレオン・レナードの父親だ。もっとも、今は隠居してこの離れで庭師のようなことをして過ごしているだけの男だよ」


 少女の祖父であり、貴族であることを冗談めかして言う男アルベリアは穏やかに笑う。少女のことも、何故この場所に来たかも知っている口調なのに何故。少女は膝の上で拳を作る。


「……あの、当主さまの思うとおりにしなくてよいのですか?」


 彼女の父親の望みは子供の処理のはず。


 少女の言葉にアルベリアは頷き補足する。転生者というのは強い記憶と強い力を持っていることが多く強い立場を持つ貴族としては子である前に厄介の種だ。だからレナードの現当主は自分で出来ないことを離れに居る自分へと押し付けた。けれど従うつもりはない。少女が見上げたアルベリアの表情は酷く楽しそうだった。


「君を生かして私の手の内に居てもらうほうが私にとって有意義なんだ。君を生かして育てることはただの善意じゃない」


 それとも死にたかったかな。楽しそうに笑ったままの問に少女は何度も首を横に振った。


「じゃあ何も問題は無いね。私は君が大人になるまで君を護り、その後何があっても生きていけるようにしてあげよう。知っているけれど改めて君の名前を聞こうか」


 机に頬杖をついて少女を見るアルベリアの前で彼女は小さな手を自分の胸に置く。


「わたしはカンナギ、と言います。ごきたいにそえるようがんばります」

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