【短編】宇宙が三割 バッファローが七割

Edy

お題「○○には三分以内にやらなければならないことがあった」

 ○○には三分以内にやらなければならないことがあった。


 スマホのモニタの中で上司である連邦捜査局の主任捜査官が言った。彼はデスクの上で指を組み、薄暗い照明で顔に影が差していた。


 なぜ暗いのか。そもそも、どこにいるのか。上司の背後では大きな換気扇がカラカラ回っている。連邦捜査局のオフィスではないようだ。それに彼はこんな曖昧な言い方をする人間ではない。まるでスパイムービーだ、と思いながらジョンは怪訝な表情を浮かべて天を仰ぐ。しかし古いビルに挟まれた暗い路地からは狭い空しか見えない。


 おかしな話を、おかしな所でする上司と違い、ジョンは日常のさなかにいる。休日の昼間だけあって表通りはにぎわっており、渋滞に苛立つイエローキャブがけたたましくクラクションを鳴らしていた。ホットドックの露店から漂ってくるうまそうな匂いが鼻を刺激する。


 それはいつものニューヨークであり、主任捜査官からの連絡も、よくあることだ。違うのは要領をえない内容だけ。なにかの暗号かと思いつつ、ジョンは話を理解しようと努める。


「三分、ということ以外何もわからないのですが。いったい、何が起こっているんです? それに、『やらなければならないことが』とは? もう終わった事案でしょうか?」


 だいたい○○って何なんだ。符牒ちょうふにしても聞き覚えがなさすぎる。


 ジョンの疑問は他にもあった。しかし一気に質問するとヒートアップしてしまいそうなので、ぐっとこらえる。


 そして後悔することになった。返ってきた答えが斜め上すぎたからだ。


『事態は急を要す。緊迫さをひと言で表すなら……』


 スマホの狭いモニタの中で、主任捜査官は大きく手を広げた。

 

『テキサスの砂漠にたったひとりでいると想像しろ』

「は?」


 普段ジョークすら口にしない上司が脈絡のない話をする。それに戸惑いつつ、ジョンは指示通りイメージを膨らませる。


 どこまでも続く大地は砂と岩だけ。ルート66を走っているのは風にもてあそばれるタンブルウィード。つぶれたモーテルもダイナーも時の流れに逆らえず風化していく。そこは見渡す限り茶色の世界だ。


 ニューヨークの雑踏で生まれ育ったジョンは、テキサスなんてムービーで観た知識しかない。そこにいる自分を想像するのは難しかった。そもそも千七百マイルも離れてるテキサスがどうしたというのか。 


 ジョンの思いなどお構いなしに主任捜査官の話は続く。


『そこにいるのは全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れだ。非常に厳しい状況といえる』

「バッファロー……ですか?」

『そうだ。付け加えるなら、宇宙が三割、バッファローが七割。それほどの規模だと思ってほしい』

「ええと、主任捜査官。失礼ですが、大丈夫ですか? お疲れなら休まれることをお勧めします。それか病院で診てもらうのもよろしいかと」


 頭を重点的に。その言葉を言いかけて踏み留まる。


 しかし、重大な危機を伝えようとしているのではないか。ジョンにはそう思えた。


 例えばテロリストに捕らえられているのかもしれない。自白剤を盛られ、意識混濁の中で逃げ出し、これから実行されるであろうテロについて伝えようとしているのではないか。


 ジョンは手がかりを求めてスマホに顔を近づける。しかしわかることと言えば、上司の頭が薄くなったことぐらい。昨日も顔を合わせているが、ここまで少なかったし、白髪も多くなかった。 


「主任捜査官。今、どこですか?」

『遠い、とても遠いところだ。しかし私は君を見ているし、君もこちらを見ていた』

「スマホを介しているので当然です」

『そうではない。そうではないのだ、ジョン。私は、君の上にいる。空だ』


 ジョンは再び空を見上げる。そこには青空があり、雲ひとつない。しかし赤い光点がポツンと現れた。それはひとつ、またひとつと数を増やす。


「なんだあれは?」


 もっとよく見ようと、ジョンは表通りへ駆け出る。そのわずかな時間の内に光点は数えきれないほど増え、今も増え続けていた。ニューヨーク市民もそれに気づき、足を止めて不安そうに見上げる。イエローキャブのドライバーが窓から顔を出し、OMGと言った。


「主任捜査官! あなたはそこにいるのですか!」 


 ジョンがスマホに目を落とすと、上司はデスクに突っ伏していた。そしてガクガク震える。髪がどんどん白くなり、抜け落ちていった。


 痙攣はしばらく続き、やがて収まる。静かになったスマホの中に新たな人物が現れた。暗い室内でも、頭髪が完全に抜け落ちていても、その横顔ははっきり認識できる。副大統領だ。


 彼は上司の肩に手を置く。


『大丈夫かね?』


 応えるように上司は顔をゆっくり上げた。その頭にはなにもない。つるりとしていた。そして手を開いたり閉じたりする。


『問題ありません。この個体の意思は強く、手こずりましたが完全に掌握できました。余計な通信をされましたが、作戦に影響ないでしょう』

『ふむ。こちらの個体は抵抗らしい抵抗がなかったが。まるで強盗に腹を見せる犬のようだったよ。ハハハ。どうだ? 現地民らしく振る舞えているだろう』

『まったく見事です。侵略司令官殿のそのような手際を見せられたら、我々実行部隊は肩身が狭くなります』

『それは困る。しっかり働いてもらわねば』


 副大統領の姿をしたなにかは、困った顔で肩をすくめた。


 主任捜査官の姿をした何かが、にこやかに両手でサムズアップする。


 それからはバラエティショーを見せられているようだったが、副大統領の姿をした何かは手をあげて切り上げた。


『おっと、無駄話をしている場合ではない。作戦開始の時間だ。では始めるとしよう』

『了解しました。侵略司令官殿』


 二人のハゲは立ち去ろうとし、思いだしたかのようにスマホへ手を伸ばす。そして通信は切れた。


 ジョンはイエローキャブに駆け寄り、ドライバーへ命じる。


「今すぐラジオをつけろ!」

「なんなんだ、あんた」

「いいから早くしろ!」


 ドライバーはジョンの剣幕に負けてカーラジオをつけ、ボリュームを回した。


『地球に飛来した大船団に対して、合衆国政府のコメントはなく……。ちょっと、これって本当に喋っていいことなの? ……シット! どうなっても知らないわよ! 続報です。ホワイトハウスで会見が開かれ、それによるとエイリアンから宣戦布告があったようです。これに対し――』


 ラジオのキャスターが投げやり気味に話している中、空は禍々しい赤で七割ほど埋め尽くされている。


 ようやくジョンは理解した。主任捜査官はエイリアンに身体を乗っ取られるさなか、混濁した意識で伝えようとしていたのだろう。まったく要領をえなかったが。


 そして無駄に終わる。もうどうすることもできない。


 船団から一斉にビームが発射されるのが見えた。


 上司から電話がかかってきてから、きっかり三分後の出来事だった。

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