生物兵器と殺し屋さん

小紫-こむらさきー

ぼうりょくちゃんところしやくん

「いっけなーーーーい! 遅刻遅刻ぅ」

 転校初日から遅刻なんて出来ない。わたしは地面を蹴って空高く飛ぶ。ヒビ割れたアスファルト……辺りに漂う土煙。

 わたしのことは何者も止められない。チャイムがなっているけれど、これなら鳴り終わる頃には学校には到着できるだろう。

 曲がり角へ差し掛かったとき、不意に目の前に人影が現れた。あわてて方向転換をしてブロック塀へ肩をぶつける。コンクリートの塊はわたしに触れると粉々になって崩れた。少し遅れて、通り過ぎた場所からコンクリートの割れる音が響く。

 物はぶつかっても直せる。でも、人の命は失ったら戻せない。

「ごめんなさい」

 立ち止まって、謝罪をした。相手は背の高くてかっこいい好青年。ちょっとだけ猫を思わせるようなつり目とツンと尖った鼻が素敵。

「お、おう」

「このままじゃ遅刻しちゃいますね。近道しませんか?」

 直線上に人の気配が無い振りかぶって拳を振り抜く。

 音を置き去りにする必殺の拳は、ちょっとした衝撃ではビクともしないはずのコンクリートの壁さえも、まるでクラッカーのように軽々と砕いていく。

 まさに「暴力」という概念そのものといっても過言ではないわたしのパンチは学校までの直線距離にある建物を破壊した。

 閑静な住宅街の一角に突然現れた瓦礫の山は、きっとあとでお父さんがなんとかしてくれる。だってお父さんは世界的な研究機関の偉い人だから。お金なら唸るほどある。

「おわ……」

 転校初日だっていうのを忘れてた……。引かれちゃったよね?

 ぶつかりそうになった男の子の顔を見るのが怖くて、わたしは学校へ向かって駆けだした。

 わたしが全力で走ると、暴力的なまでの風……いわゆる暴風が発生してしまう。離れてたら良いけど、至近距離で食らえば肉塊になってしまうだろう。

 わたしは少し加減をしながら学校へ向かった。

 背後に残してきた男の子が、どんな表情をしていたのかわたしは知らない。

 まるで火炎放射で炙られたようにアツくなった顔は、多分耳まで真っ赤になってると思う。どうしちゃったんだろう。

 火炎放射の炎が顔に当たっても、わたしの顔は火傷すらしなかったし、身体に不調も出なかったのに今は心臓がバクバクともの凄い速度で動いている。

 それでも、表情だけは平静を装ってわたしは職員室へ赴いた。ギリギリ遅刻かも? でも、転校初日は職員室へ来なさいって言われてたから、たぶん担任の先生はわたしのことを待っていてくれるはず。

「すみません……ちょっと遅れちゃいました」

 上履きに履きかえたわたしは、職員室の扉を開くなり、申し訳なさそうに頭を下げた。

 まだ自分の靴箱はわからないから、靴は右手に持ったままだ。

「ああ、望緑ぼうりょく阿晴あばれさんですね。お話は聞いてます。でもまずは、靴箱に案内しますね」

 おしとやかという概念が人間になったらこういう人なのかもしれない。そう思えるほどの上品な初老の女性がわたしにそう声をかけてくれた。艶のあるグレイヘアを後頭部の低い位置でまとめた小柄な淑女はどうやら校長先生らしい。

 担任の先生はもう教室にいるとのことだ。初日から遅刻をしてしまったというのに小言の一つも言わないなんて優しい先生だなって思いながら、静まりかえった廊下を二人で歩いて行く。

望緑ぼうりょくさんは、生まれつき力が強くて身体が頑丈なんですって?」

「はい。生物工学を学んでいる両親が、ちょっと色々と創意工夫をした結果生まれたのがわたしらしいです」

「ふふ……。長年教師をしているけれど、学校に生物兵器の子が転入してくるなんて初めてよ。何か困ったことがあったら言ってちょうだいね」

「こちらこそ、力加減の問題で校舎を破壊してしまうこともあると思いますが、よろしくお願いします」

「あらあら、大丈夫よ。転入前にお話は聞いているもの。もうこの学校もあちこちがたが来ているから多少壊れても問題無いわ。破壊された建造物はあなたのお父様が弁償してくれるってお話だもの」

 なんでもない話をしているとあっと言う間にわたしの教室、二年三組に辿り着いた。教室の中からは凜々しそうな女性教師の声が聞こえてくる。

 校長先生が教室の前方にある扉をノックをすると、女性教師の声が止まった。少しして、横開きの扉がカラカラと軽い音を立てながら開く。

 扉から顔を出したのは明るい栗色の髪を短くショートカットに揃えた快活そうな女性教師だった。

「ああ、転校生の! ありがとうございます。じゃあ、望緑ぼうりょくさん、教室へどうぞ」

「あ、はい……」

 ちょっと緊張しているわたしの背中を、校長先生はそっと押してくれた。まるで「がんばってね」とでも言ってくれているようで元気になる。

 わたしは息を深く吸ってから、教室へ足を踏み入れた。

 授業を中断して入ってきたわたしに、教室にいるみんなの視線が一斉に集まってくる。

 変じゃないよね? 大丈夫かな。

 緊張をしながら、わたしは先生に促されるまま黒板に自分の望緑ぼうりょく阿晴あばれという名前を書いた。

望緑ぼうりょく阿晴あばれといいます。よろしくお願いします」

 おじぎをしてから、ゆっくりと顔を上げた。

 それと同時に、至近距離から破裂音が聞こえてくる。

 咄嗟に手を自分の顔の前にかざして防御態勢を取る。少し遅れて、破裂音の正体が大口径の拳銃から発せられたのだと気が付いた。

「おお、すげー」

 顔の前にかざした手で握り潰した弾丸をそのまま床に落とした時に、その声は聞こえてきた。

 聞き覚えのある声だった。

 視線を声の方へ向けると、そこには登校時に出会った猫を思わせる青年が立っていた。青年の手には大口径の拳銃が握られている。

「俺に不意打ちをされて生き残ったのはあんたが初めてだぜ、阿晴あばれ

 爽やかな笑顔だった。口を開くと少しだけ鋭い犬歯が見える。わたしの顔がまた火炎放射を当てられたみたいにカッと熱を持ったのがわかった。

「俺は、比司家ころしや 朝信あさしん。よろしくな」

 拳銃をしまった比司家ころしやくんは眉尻を下げて人懐っこく笑う。

比司家ころしやくん、急な発砲は事故になるから気をつけなさいって言ったでしょ! 流れ弾が誰かに当たったらどうするのよ」

「へへ……先生、ごめん! でも不意打ちなんだから事前告知をしたら台無しだろ?」

「それでも、気をつけるように」

 先生に注意された比司家ころしやくんは、間延びしたやる気の無い返事をして着席した。

「じゃあ、望緑ぼうりょくさん、せっかくだから比司家ころしやくんの隣の席に座ってくれる?」

「あ、はい。みなさんどうぞよろしくお願いします」

 比司家ころしやくんの席は一番後ろの窓際だ。教卓の前から後ろに行くまでにみんなの視線を感じる。

 通りすがりに、女子たちが「望緑ぼうりょくさんかっこよかったよ。よろしくね」と口々に声をかけてくれたので、ホッとしながらわたしは比司家ころしやくんの隣まで辿り着いた。

阿晴あばれ、朝はありがとな。おかげで朝会が終わる前に登校できたわ」

「う、ううん……わたしも急いでたついでだから」

「これやるよ」

 比司家ころしやくんがそう言いながらわたしの机に置いたのは手榴弾だった。

 つやつやした素材だけれど表面は凸凹していて小さくて持ち運びがしやすいタイプだった。ちょっと色褪せたオリーブ色という王道のカラーリングが憎い。

「あ、ありがと」

 ポケットに比司家ころしやくんからもらった手榴弾をしまいながら、わたしは思う。

 とっても良い最初の日だなって……。

 これから、どんな日々が待っているのかわたしはまだ知らない。けれどきっと楽しい日々になると思う。

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