穴が空いたみたい

猫民

穴が空いたらしい

今朝、微かな違和感で目が覚めた。布団に横たわった状態で天井をボーッと眺める。目はスッキリ覚めるのだけれど、どうしてか胸騒ぎがした。

天井の皺から心当たりを探してみる。昨日食べたもの、話した人、行った場所、聞いた風景。天井のシワから考える。カーテンの隙間からは朝の気配が差し込まれていた。

そういえば昨日、歯を磨かずに寝たことを思い出した。気がつくとその事だけが無性に気になる。今更だが歯を磨きに行こうと思いベッドから飛び起きる。

そこでずっと感じていた違和感の正体に気がついた。胸の辺りに大きな穴が空いていたのだ。空っぽ。寝巻きごとぽっかり穴が空いている。寝巻きを脱いでみると服は元に戻るが体の穴は空いたままだ。胴が空洞ってか。急いで部屋を飛び出し階段を降りる。

「これみてお母さん」

「おはよう、今日は早いのね。どうかしたの」

「穴が空いてる」

「よくあることね」

母が言った。それから朝食にするから準備してと言う。

よくあることなのか?

朝食のトーストを机に運んだ。俯くと穴の空いた不格好な自分が写った。


大学へ向かう。電車に乗り込むと一斉に車内の注目を集めてしまった。みんな穴の空いた不格好な体が気になるみたいだ。嫌な気分だと思った。人を見世物みたいにジロジロみる。相手がどんな気持ちになるかなんて気がつかない、常識のない人ばかりだ。

座席に座ると手持ち鞄で穴を塞いでみる。空洞は鞄より大きく隠しきれなかった。電車は各駅に停まる。次第と車内に人が溢れ出した。けれども隣に座る乗客はいない。体の空洞が目に入るとその場を去っていく。


大学までの道のりも辛かった。他の生徒が少し離れたところでコソコソと話している。いつもなら気にならないのに、いまはバカされてる気がしてならない。だから、いつもと違う道を選んで歩くことにした。途中でコンビニに寄ってチョコを買った。コンビニの店員はこの体に興味を持たなかった。レジに夢中だった。


今朝からずっと息苦しい。これは穴のせいなのか?いくら吸っても肺に空気が入らないってね。冗談じゃなく酸素が取り込めないのだから体の細胞が酸欠で痺れてしまう。

体の異変を周りから見られるのは辛かった。けれど、もっと辛いのは孤独なことだった。講義室に穴の空いた人はいない。電車や登校中の道にも同じような穴の空いた人はいない。


「穴が空いちゃった」

昼休みに友人に相談をした。

「空いちゃってるね」

友人は大して気にせずラーメンを啜った。つられてラーメンを啜る。穴は埋まらなかったが、腹は満たされる。

「どうしたら埋まるかな」

食後は血圧が上がり眠たくなる。昼時の太陽もそれを肯定する。

「埋めたいんだ」

友人は的を射ない返事を返す。こっちは真剣なのに友人はいつもスマホの中にあるランキングで頭がいっぱいだった。

「だって目立つし」

通り過ぎる人がチラッと穴を確認する視線が気になって仕方ない。

「気にしすぎだよ」

少しは気にしてよ。これだから穴の空いていない人には理解されないのだ。

少し先の席に座っている生徒が目に留まった。先月までは青色のロングヘアだったのに、今は黄緑と赤が交互に入ったショートになっている。

「派手だね」

友人はチラッとスマホから視線を外したがすぐに「気にしすぎだな」と言った。


教授もこの体が気になるみたいだった。講義中もチラチラとこちらを見ている。そのせいで講義の内容がぐちゃぐちゃだった。

コンビニで買ったチョコをくちの中に放り込む。甘いどろっとしたものが穴を少し満たしてくれる。その少しの間は悩み事が消える。すると講義の内容がすらすら頭に入って来た。

けれども時間が経つにつれて穴を満たしたチョコも溶けていく。チョコは特効薬だが解決策ではないようだった。

何故コンビニの彼は気にならなかったのだろう。


この体で過ごしてわかった事がある。この穴に害は無いということだ。

もうひとつ、穴が気になる人と気にならない人がいることだ。友人は穴があってもお構いなし。あの店員もレジ打ちに夢中だ。


駅の改札前にカフェテリアがある。そこで帰りの電車が来るまでの時間を潰す。駅は多くの人が行き交う門になる。ボーッと改札を通り抜ける人を眺めた。高級バッグを持つ人。部下を連れて歩く人。

改札の前で話が盛り上がり周りに迷惑をかける人溜まりが目に付いた。自分たちしか見えてないのだろう。そんな彼らを注意する黄緑と赤のショートヘアの人がいた。

あの人は良い人だった。派手な見た目ばかりが気になっていたが、優しく人思いな部分があることを知った。そんな彼女も改札を抜けていった。


そんな彼女を見ていて急に恥ずかしくなり顔が赤くなった。急いで彼女の後を追って話しかける。「かっこよかった」と伝えた。彼女は照れながら「見てたんだ」と言って電車に乗り込んだ。

「この穴は変かな」と聞いてみる。

答えを聞く前にドアが閉まった。ドアの向こうで彼女は何かを言った。

反対のホームへ移動してから電車に乗り込み自宅へ帰った。


次の日もいつもとは違う道を歩いてコンビニへ向かう。

昨日の店員は今日もレジに夢中だった。

「いらっしゃいませ」

「レジ袋は如何ですか」

「ポイントカードはありますか」

朝の時間は忙しいと聞いたことがある。昨日買ったチョコを持ってレジに向かう。

「いらっしゃいませ」

彼はやはりレジに夢中で穴の空いたお客さんなど気にも留めない。

「どうして穴が気にならないの」

すると彼は少し驚いた顔をした。

「何故って……」

彼は店内に他の客がいないか確認して、胸の辺りを持ち上げる。すると彼の胸だったものはカポッと外れて丸い空洞が現れた。

「一緒だからです」

彼はそう云うと服の模様が描かれた板を元の位置に戻した。彼は同じように穴が空いていたのだ。違ったのは、彼は胸に今着ている服と同じ模様の板を嵌めて隠していることだった。

「一緒だったんですね」

素敵だと思った。

「素敵です。その考えはなかった」

素直に伝えた。彼は照れくさそうに頭を掻いたあと、誤魔化すようにチョコの会計を済ませる。

「僕は、貴方のように曝け出している方がよほど素敵だと思います」

彼はそんなことをいう。わざと曝け出している訳ではなかったのだけれど、この行動が誰かの目に素敵だと映ることに驚いた。

隠すことは普通のことだとも思う。昨日だって鞄で穴を隠しながら通学した。板を使って欠落したものを覆い隠すのだって素直に尊敬できた。周りとの違いを隠す方法を彼は見つけ出したのだ。

それなのに彼は曝け出すことを良しと思っている。


昨日のカラフルな彼女を思い出した。彼女の髪色もまた他とか一線を画する。多くの人から視線を向けられるだろう。けれど昨日、彼女に話し掛けた時、「見てたんだ」と言った。

彼女は見られているなどとは微塵も考えていなかった。髪の色は自在だ。自分の意思で決めることであり、体にぽっかり空いた不可解な穴とは違う。けれど、彼女はあえて髪を染めた。周りとの差異を作り出した。穴をくり抜く代わりに髪の毛を赤に染めた。

そう考えてみた。やっぱり少し違う気もする。


「これあげます」

店内に戻ると、先ほど買ったチョコをレジに夢中な彼に渡した。

「どうしてですか」

不思議そうに首を傾げる。

「チョコは、心を埋めてくれるので」

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