きみたちはぜつぼうをしりたい

狂フラフープ

暴力

 世界は変わった。

 ひとつの時代が終わり、私たちの暴力も終わった。


 ✊


 朝のルーティーン。ウェアに身を包み、冷たい空気に身を晒しまだ人通りのない路地を駆け抜ける。

 すれ違いざまに老人を殴る。音速を越えた拳が頭蓋骨を粉砕し、反対側から脳漿を噴き出させる感触。

 だが老人は死なない。ぺこりと頭を垂れ、何事もなかったように歩み去る。

 犬を蹴る。内臓が破裂し、砕けた背骨と血と脂とが、飼い主と仲良く混ざってアスファルトに撒き散らされる音と臭気。

 だが犬は死なない。ピンクのペーストは再び人と犬の形をして散歩を続ける。

 これが今の時代だ。世界を覆うアンチ暴力フィールドがありとあらゆる暴の一切をなかったことにしてしまう今だ。

 昔はこうではなかった。

 人を殴れば人は死に、犬を殴れば犬は死んだ。そこには確かな暴の手応えがあり、暴が暴たるぬくもりと実感があった。

 今は違う。

 暴は無視され、根絶すらされぬまま日常で死に絶えていく。


 ✊


「こんなの、暴力差別っすよ……こんなことが許されるなんて……」

 この町に残された数少ない暴徒(暴力の徒。暴の信奉者を指す)である彼は、ひとしきり私に暴力を振るおうと試みた後で、地に膝パッドをついてそう呟いた。

 名は知らないがナイフを好んで使う。私はナイフの彼の泣き言を無視して握り締めた拳を振り下ろす。だがそれも無意味だ。彼の暴は私に通じず、私の暴もまた彼に通じない。

 私は一体何をやっているのだろうかとふと思う。暴力。物理的な強制力をそう呼ぶとすれば、我々が暴力と信じ振るっているこれは一体何なのだろう。

 いや、考えるな。暴れろ。

 考え事をしながら暴力を振るうなど、暴への冒涜だ。

「こんなのってないっすよ! 俺たちが何したっていうんすか!」

 それ以上いけない。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった彼の顔に、私は目一杯の力を込めて拳を叩き込んだ。だがその暴力が彼の何かを変えることはない。気付けば目の前の彼は、既に暴徒ではなかった。


 ✊


 暴力が必要だ。

 ナイフの彼とて理解していた。涙ながらに情に訴え、理路整然と暴力を振るう権利を説くなど、それ自体が暴力の否定だ。そんなことをすれば彼が大切に育んできた暴は死ぬ。

 だがそれでもそうせざるを得ない程に彼は追い詰められていたのだ。

 無理もない。暴力の禁止など我々暴徒にとっては一切のコミュニケーション手段の剥奪に等しい。日々の暮らしの中、私たちは暴力を希望に生きてきた。その暴を失えば、それは餓えて死ぬのと変わらない。

 故に私は激怒した。

 必ず、アンチ暴力システムを除かなければならぬと決意した。

 私は一介の暴徒である。人を殴り、物を壊して暮らして来た。そして邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。私には父も、母も無い。女房も無い。同い年の、生まれた時から共に育った暴力と二人暮しだ。

 暴力だけが、私のすべてだった。

 気が付けば、私の足は聳え立つアンチ暴力タワーへと向け走り出している。


 ✊


「暴力!」

 私の拳が光って唸る。アンチ暴力タワーの巨大な門扉がひとたまりもなく爆ぜ飛び、しかし次の瞬間には当たり前のように元の姿を取り戻す。

 だが暴力が引き起こした事象がアンチ暴力システムによりなかったことになるまでには、ほんの僅かなタイムラグがある。そのわずかな隙に破壊した扉の内側に滑り込み、私は再び拳を唸らせる。

「暴力! 暴力!」

 私は吠えながらタワーに飛び込み、土足で駆け上がる。職員を殴り殺し、外壁に穴を開け、時には私が進むべき通路すら跡形もなく破壊した。

 やがて階段は終わりを告げ、そして私の前に悪しきアンチ暴力の核が姿を現す。タワーの中枢、三つのアンチ暴力システムが鎮座するアンチ暴力管制室。

「暴ッ! 暴ッ! 暴力!」

 間髪入れず放たれた三つの暴力が、そのすべてを貫く。

 続けざまに放たれる拳が、管制室を完膚なきまでに打ち砕く。

 暴力は成された。私はその成果に満足して踵を返し、かつてアンチ暴力システム群だったものに背を向けた。


 ✊


 何かがおかしい。

 私の中の暴力が警鐘を鳴らしている。背後に何か、恐ろしい暴の気配がある。

「暴力!」

 振り返るより早く暴力を叩き込む。振り抜いた拳の先には、未だ健在のアンチ暴力管制室があった。

 アンチ暴力システムが再び破壊され、そしてまた再生するその姿を目にして私は理解する。

 一つではダメだ。三つでなければならない。

 三つのアンチ暴力システムが相互にその身を暴力から遠ざけている。アンチ暴力フィールドを破壊するには、これら三つのアンチ暴力システムを、完全に同一のタイミングで暴力に晒さなければならない。

 だがそのような緻密な暴力が振るえるか? すべての暴力は粗暴故に暴であり、洗練された暴力はもはや暴力と呼べない。

 迷いが私の暴を曇らせ、そして見透かしたようにそれは笑った。

『暴力!!』

「暴力?!」

 意識の外からの暴力を受け、私はかつて私が暴力を振るったすべてと同様、跡形もなく破壊され飛び散った。


 ✊


 何が起こった?

 答えはわかりきっている。暴力を受けたのだ。だがアンチ暴力システムが展開するアンチ暴力フィールドの只中でそんな芸当が可能な者など、存在するはずが――

 いや、いる。

 私の中の暴力が、存在するはずのないその暴の力の存在を確信していた。

 だ。

 アンチ暴力システムそのものが、私に暴力を振るったのだ。

『暴力太郎……貴様はやり過ぎた……』

 微塵に砕かれ、虚空へと消えゆく私にアンチ暴力システムが語り掛ける。

 私はようやく理解した。アンチ暴力システムとはつまり、暴力の独占を行う暴力装置なのだと。

 アンチ暴力、すなわち暴力の反対とは、また別の暴力に他ならない。

 暴力。

 私以上の。

 その暴をこの身に受けて、私は初めてお前を理解した。

 そうか。アンチ暴力システム。お前もまた、暴力のともがら、暴の力の信奉者か。もはや暴力を交わすことも叶わないが、私には分かる。今、我々はひとつだ。


 ✊


 暴の結晶である私の身体が、散り散りに砕けて消えていく。

 消えゆく意識の中で想う。

 アンチ暴力システム。かつて邪悪と断じたお前に、もはや恨みはない。だが後悔はある。

「暴力……」

 もっとお前に暴力を振るいたかった。

 私は暴力太郎。かつてそう呼ばれた男だ。

「暴力……ッ!」

 身体は暴で出来ていた。あらゆる暴を振るい、暴力を呼吸して生きていた。

 暴力は私のすべてであり、すべての暴力は私だった。

 アンチ暴力。

 暴力の反対にして、また別の暴力。

 ならば私が、振るえぬ道理はそこになかった。私はもはや存在しない拳を握り締め、そしてアンチ暴力システムの暴力を殴り付けた。

「暴力ッ!!!」

 暴力が砕ける。

 アンチ暴力システムの手により私に振るわれた暴力は消え去り、その齎した破壊がなかったことになる。

 私は蘇り、私の暴力もまた蘇る。

 私はまだ暴力を振るえる。

 だが敵は未だ健在で、私には三つの暴力装置を完全に同一のタイミングで破壊する術が存在しない。

 関係ない。

 この身に宿る無数の暴が、私に振るえと語り掛けている。

 暴力を振るえばよい。


 ✊


 永い永い戦いを終えて、私はひとり佇んでいた。

 目の前には暴の残骸。

 連なる暴力、アンチ暴力システム。我が半身。我が理解者。我が生涯の強敵とも。お前の意志は私が継ごう。私はこの世すべての暴を破壊する暴となろう。

 その亡骸に最後の暴力を捧げ、私は今度こそアンチ暴力システムに背を向け歩き出 す。

 アンチ暴力タワーであった場所から町を見下ろす。そこには無数の暴力の芽生えがあった。

 人々は町を覆っていたアンチ暴力フィールドが突如消失したことに戸惑いつつも、混乱の中で徐々に暴力を取り戻しつつある。

「暴力!」

 私は叫び、拳を振り上げる。跳躍し、渦巻く暴力の最中にその身を投じる。この世から私以外の暴力を消し去るために。 

 私には分かる。

 君たちは暴力を求めている。

 だがただの暴力ではない。

 何度でも暴の強さで捻じ伏せ、すべてを蹂躙する絶対の暴力。


 君たちは絶暴を知りたい!!



<おわり>

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