第15話

 抗生剤の点滴が終わった後、おれは容態の安定したエドワードを五花海に預け、道路に駐めっぱなしにしていた車を動かしに向かった。案の定、斜めに駐車されていた装甲車は往来を完全に阻んでいた。歩行者は道の脇を通ればいいが、車はそうはいかない。おれが到着したとき、数人の男が道を塞ぐはた迷惑な車を取り囲んで、タイヤを蹴ったり、開くはずもないハッチをこじ開けようとしたりしていた。彼らはおれの姿を認めるなり、さてどんな仕打ちをしてやろうかと言わんばかりに、胸を張って腕を組み、おれが間合いに入るのを待ち構えていた。おれは来るべき格闘戦に身構えたが、ある程度近づいたところで、彼らはなぜか、後ずさりし始めた。みるみるうちに彼らから気迫が飛んでいって、終いには、蜘蛛の子を散らすように、一目散に逃げていってしまった。全く、拍子抜けにも程がある。

 運転席に乗り込んで、エンジンをかけ、さっさと邪魔にならないところへどけてしまおう。幸い、さっきの臆病者どもと一緒に、野次馬もほとんどいなくなっていた。おれは落ち着いてハンドルを握り、町の外れに車を向かわせた。あの時は慌てていて分からなかったが、なるほど確かによく手が入っている車だ。道理で、装甲車の運転において全くの素人であるおれでもあんな無茶な運転ができたわけだ。彼女が他人に触らせたくないのも頷ける。

 人気の無い空き地に車を駐めると、おれは貨物室に散乱していたものを片付けた。武器商人としての勘は、ここで武器の売り上げは見込めないと告げていた。おれはケースやら何やらを丁寧に積み上げて、崩れないようにベルトで固定した。散乱した弾丸を集めるのには、大変な労力と時間を要した。全て集め終わる頃には、おれはすっかりくたびれてしまった。喉も渇いていたし、腹も減った。エドワードがぶっ倒れてからというもの、食い物はおろか、水でさえ口に入れていなかった。車内を漁って飲料水のタンクを探し当てたが、おれがコップに一杯分を注いだところで、すっかり空になってしまった。食い物は保存用の乾パンくらいしか見当たらなかった。

 おれは診療所への道すがら、偶然見かけた雑貨屋に寄ることにした。店主はなぜか、おれの顔を知っているようだった。聞くところによると、装甲車に乗ったよそ者が来たことが、町中で噂の的になっているようだった。店主の大柄な女も、客の何人かからそのことを聞いたらしい。

「傭兵みたいな身なりの男なんて、この町にはいないからねぇ。一目であんただって分かったよ」

 店主は呵々大笑した。冷遇されるとばかり思っていたおれは、すっかり虚を衝かてしまった。

「随分と暢気なもんだな。傭兵みたいなよそ者なんて、見るからに怪しいだろう。怖くないのか」

 すると、店主の笑い声は一層大きくなった。

「怖いもんかい。うちの常連が何て言ってたか知ってるかい。『よそ者は男と女の二人組で、俺が見たときにゃ、丁度男が女を腕に抱いて装甲車から降りるところだった。あの鬼気迫った表情カオ、女を愁うあの瞳。そうそう、女の方も相当な美人だったな。まるで眠り姫と王子様だったぜ。キスシーンが無かったのは残念だったが』ってね。わたしに言わせりゃ、女想いの男に悪い奴はいないよ。うちの死んだ旦那はそうじゃなかったけどね」

 店主が言ったことの意味を理解するのは、五花海の小難しい説明を聞くよりも難儀だった。

「いやいや、おれとあいつはただのビジネスパートナーで、抱えてたのは具合が悪かったから-」

「いいや、わたしには分かるね。女に惚れた男ってのは、決まってそう言うのさ。うちに来たのも、彼女への見舞いを買うためだろう。恥ずかしがることはないよ」

「あぁ、もうそういうことにしとくよ…」

 説得を諦めて、おれは大きくため息をついた。

 おれは店内を一周して、目覚めたエドワードが食えそうなものを探した。その間、店主は暇そうに頬杖をついていたので、おれは率直な疑問を投げかけることにした。

「あの五花海って医者だが、あいつは中国から来たのか」

「先生からはそう聞いてるよ」

「いつ頃」

 店主は少し考え込んでから答えた。

「そうさねぇ…、1年とちょっと前だったと思うよ。あんたみたいに、何の前触れも無く、車で突然現れてねぇ。けど、その時期に元いた医者がぽっくり逝ったもんで、あの人はすぐに町に馴染んだね。真面目だったし、何よりお医者様としての腕も良かったしね。前の医者はヤブだったのさ」

「診療所には見慣れない妙な機械もあったが、あれは」

「さぁ。わたしは医者でなんでもないからね。確かに、初めは変な機械のせいで客足もまばらだったそうだけど、患者が死んだとか、妙な病気が流行ったとかも無かったから、すぐに誰も気にしなくなったよ。わたしも先生のところには何度もお世話になったけど、あの人以上にいい医者はいないと思うね」

 そんなことを話している間に、おれのは二つのリンゴとビール一本を手に取って、店主の元へ向かう。おれが何で支払おうか迷っていると、店主は品物を紙袋に入れて、差し出した。

「お金はいいから、さっさと彼女のところに行ってやんな」

「助かるよ」

 おれは袋を受け取って、店を出た。診療所へ戻ろうとした矢先、その方向から爆音と銃声が轟いた。診療所の方角から、煙が昇り始めているのが見えた。おれは紙袋を近くにいた物乞いに投げた。

「おい、これやるよ」

 おれは出来うる限りの速さで走った。その間も、銃声と爆発が止むことは無かった。速度を緩めずに角を曲がると、ライフルを持った二人組が待ち構えていた。彼らが銃を向けた瞬間、おれの身体はすでに宙を舞って、近くのバーの窓をぶち破っていた。室内に散乱する死体には目もくれず、おれはカウンターの中に飛び込んだ。間髪入れずに、AKによる掃射が始まった。棚に並んだ酒瓶が無残にも粉砕されていく。おれは飛び散った中身が口に入らぬように、硬く口を閉じた。

 おれはレイジングブルを抜いて、視界の端に捕らえた二人の姿を思い出す。顔は覆面見えなかったが、45発入りのロングマガジンを装填したAKを持っていたことは確かだ。奴らの残弾が残りわずかになったところで、おれは運良く生き残っていたワインの瓶を左手に持ち、カウンターから飛び出した。全身の力を込めて床を蹴り、今まさにリロードしようとしていた男の懐に入る。顔面に瓶を喰らわせて、サイドアームのハンドガンを抜こうとしているもう一人を、レイジングブルで撃ち抜く。放たれた.454カスール弾は胸郭を砕いた。続けざまに、ショック状態から未だ立ち直っていない兵士に落ち着いて狙いを定め、撃つ。今度は頭部が吹っ飛んだ。周囲に別の敵影が居ないことを確かめて、おれは初めに殺した方の死体を調べた。覆面を剥ぐと、やたらとのっぺりした顔が、慚愧の念によって慟哭しているかのように、目と口を歪に開いていた。おれは死体からコピー品のマカロフと予備弾倉を剥ぎ取って、先を急いだ。

 診療所の前は、惨憺たる有様だった。診療所からは火の手が上がっている。周囲の死体の中には、エドワードと五花海の顔は無かった。二人はまだ、この燃えさかる診療所にいるのかもしれない。おれは酒が染みたコートを脱ぎ捨てて、炎の中に迷い無く飛び込んだ。崩壊寸前の廊下を駆け抜けて、おれは重々しい自動ドアをこじ開けた。酷く荒らされた処置室の中には、床に倒れた五花海の姿はあったが、エドワードの姿は無い。ストレッチャー諸共、どこかに消えてしまった。部屋中を一通り探したが、彼女の姿は終ぞ見つからなかった。

「おい、しっかりしろ」

 おれは五花海の頬を叩きながら呼びかけた。頭から血を流してはいたが、幸いにも、まだ息はあるようだった。すぐに、彼はうっすらと目を開いた。生気の光はか弱く、まるで今にもかき消えてしまいそうだった。

「ああ…、彼女が…、本当にすまない…」

「話は後だ。さっさと逃げなきゃマズい」

 だが、五花海はおれの手を拒み、画面が破損した医療機械に手を伸ばそうとした。

「駄目だ…、あれをおいて行くわけには…」

「そんなもん放っとけ。ただの機械だろ」

 おれは叫ぶ彼を担いで、炎の海からの脱出を急いだ。おれたちが外に出た途端に、まるで事切れたかのように、建物は崩れ落ちた。

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