第16話
おれたちはひとまず、エドワードの装甲車に潜伏することにした。襲撃者たちは装甲車両に敵う武器を持っていなかったようで、車体にはあちこちに弾痕が見られた。エドワードが見たら、果たして何と言うだろうな。きっと、ものすごい剣幕でぶち切れようとして、やり場の無い怒りを地面にぶつけるだろう。
助け出した五花海は、渡した乾パンに口をつけることもなく、ただ静かに虚空を見つめていた。心ここにあらず、と言った方が正しいだろう。あるいは、ことの重大さのために、怒り叫ぶことも、嘆き悲しむこともできないのかもしれない。
おれは武器ケースをいくつか重ねて、五花海の前に座った。彼は俯いて、おれと目を合わせようとしない。
「なあ、そろそろ話してくれないか。何があった。連中は何者だ。エドワードはどこに行った」
おれは痺れを切らして訊ねた。正直、最初の二つの質問はどうでもよかった。あの東洋顔の兵士が何者であろうと、エドワードが消えた以上は、彼女の救出が最優先だった。報復はその後、ゆっくり考えればいい。そして。彼女への唯一の手がかりは、目の前にいる失意の医者だけだった。しかし、五花海はぼそぼそと何かを呟くばかりで、おれの質問には答えようとしない。ああ、こういううじうじして、肝心な時に何の役にも立たないやつが一番嫌いだ。おれは彼の首を掴んで、床に押し倒した。
「いつまでもくよくよしてんじゃねぇよ、クソッタレが。いいか、よく聞けよ。お前は診療所と大事な機械を無くしてそれはそれは悲しいんだろうがな、おれは相棒を殺されたか、あのクソ共に拉致されてんだよ。いずれにせよ、おれにはあいつを取り戻さなけりゃならねぇ。お前は知ってるはずだ。彼女が今どこにいるのか。生きているのか、死んでいるのかもな。ほら、分かったらさっさと吐きやがれ」
おれが罵詈雑言を浴びせている間、おれの手は意識の支配から解き放たれたかのように、じわじわとその指を首に食い込ませた。五花海はおれの手を振りほどこうと必死だった。顔は炎のように赤く、口からはだらしなく涎を垂らしていた。涙ぐむ瞳に映った殺人者の顔に睨まれたおれは、はっと我に返った。跳ねるように飛び退くと、五花海は喉を押さえて吐くように咳き込み、のたうち回った。ようやく発話するのに十分な量の空気を取り込んだ彼は、声を裏返しながら喚き散らした。
「なんてことするんだ、このケダモノ。お前に僕の何がわかる」
彼は怒っているのか泣いているのか分からない表情で、おれを激しく睨み付けた。おれは呼吸を整えるように、短く息を吐いた。
「わかるわけねぇだろ。おれとお前じゃ人間性が違いすぎる」
そこで会話は一度止まった。引きつるような喘鳴と、浅い呼吸が、噛み合わない二重奏の様相を呈していた。
「おれにはまだ、お前を痛めつける以外にやるべきことがある。そのために、お前が必要だ」
彼は沈黙したままだった。その沈黙がYesを示すのか、Noを意味するのか、おれには分からなかったが、かれはやがて、独白でもするかのように話し始めた。
「五年ほど前、私は中国でそれなりに名のある医者でした。ヨーロッパは完全に滅亡したのでしょうが、中国はあの戦争の後も、それなりの文明を維持していました。けれど、人々は深く傷ついていた。医師として、私は彼らを助けなければならない。そう考えていました。けれど、医師会のトップの連中は、遺された高度医療技術を隠匿すると言い始めました。失われた技術を独占することで、莫大な利益と絶対的な権力を得ようとしたのです。私には、それが受け入れられなかった」
「それで、機械を持って逃げた」
五花海は静かに頷いた。
「初めは、インドあたりまで逃げれば安全だと思っていましたが、奴らの刺客は、どこまで行っても追ってきた。奴らの手口は実に恐ろしい。私に直接手を下すのではなく、私が関わった者、その地域に住む人々を皆殺しにするのです。私が行く先々で、あまりにも多くの血が流れました」
「だが、あんたは降伏しなかった。自分こそが殺戮の元凶であることを知りながら、なおも逃げ続けた」
おれは口を挟んだ。彼は膝を抱えて、顔を埋めた。
「ああ、そうだ。僕は認めたくなかったんだ。自分のせいで人が死んでいるなんて。僕は人を治すのが仕事なのに、事実はその真逆だった。だから、このまま逃げて、逃げて、逃げた先で人を治していれば、死んだ人たちも報われるだろうと。でも、駄目だった。いつまでも死体が増え続ける。僕が降るまで、この殺戮は終わらない」
「なるほどな。なら、そいつらの目的は、あんたとあんたが持ち出した機械の奪還、あるいは破壊か。なら、なぜエドワードを連れ去った」
おれは訊ねたが、返事を待つ必要は無かった。おれはその答えを知っている。
「ナノマシンか」
「その通りです。あとは脅迫でしょう。彼女の身体からナノマシンを抽出できるのは、私だけです。技術も、機材も、私の元にしかない」
彼は服の隠しポケットから、注射器のようなものを取り出した。
「なら、彼女はまだ生きてるんだな」
おれは念を押すように、確かめるように問うた。
「ええ。彼女を殺せば、体内のナノマシンも道連れですから。少なくとも、ナノマシンが自己破壊を起こすまでは、生かしているでしょう」
「自己破壊だって。そんなの聞いてないぞ。ナノマシンといったら、一生体内に残り続けるもんじゃないのか」
おれが知る限り、ヨーロッパでかつて流通していた医療用ナノマシンは、生涯に渡って、使用者のバイタルを観測し、体内機能を調整するもののはずだった。わざわざ自己破壊するナノマシンなんて、聞いたことがない。
「私が持っていたナノマシンは、あくまで治療のためのものでした。ご存じかも知れませんが、生物には
おれはその説明を半ば聞き流し、立ち上がって、積み上げられた武器ケースから一つを取り出した。中にはキャリコM950が収納されていた。最大100発という民間用の銃器としては圧倒的な装填数を誇りながら、結局その強みを活かすことが出来なかった悲劇の銃だ。自らの出世を阻んだ鬱陶しい法が消え去ったと知れば、さぞ喜ぶことだろう。
「そいつらはどこにいる。あんたが必要なら、どこかに来るように言われたんじゃないか」
おれは銃を点検する手を止めずに訊いた。彼は戸惑いながらも、記憶を辿って答えた。
「ええと、確か、町外れの廃工場に来いと、そう言っていました」
「そうか。なら準備しな。おれだけで行くと色々マズい」
おれはショルダーホルスターにキャリコを仕舞い、運転席に乗り込んだ。
「待ってください。行くのは私だけで十分です。私が負けを認めればいいだけの話です」
「何を言ってんだよ、先生。あんたは『負けた』なんていう必要は無い。なぜなら-」
おれはキーを回した。猛々しく、
「-あいつらは一人残らず死ぬことになる」
おれはアクセルを踏み込んだ。怒りに燃える鋼鉄の雌牛は、恐るべき勢いで駆け出した。
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