第17話

 陽はすっかり沈んだ。五花海は独り、郊外の廃工場に近づいた。扉の前には見張りの男が二人立っていて、か弱い医者の姿を認めると、手で止まるように指示を出した。五花海はおとなしく従い、立ち止まった。見張りは彼に歩み寄り、今度は腕を横に広げるように言った。彼は言われた通りに腕を横に広げ、見張りはボディチェックを始めた。

「”我々の同志が任務中に殺害された。お前の関係者か”」

 もう一人の見張りが、中国語で詰問した。

「”そんなわけ無いだろう。誰かが身を守ろうとしてやったんじゃないか”」

 やがて、見張りは服の中に何か棒状の硬いものを見つけたらしい。ポケットが見つからなかったようで、苛立ちながらその何かを掴んで、服ごと引きちぎった。切れ端を探ると、注射器のようなものが出てきた。

「”何だこれは。武器のつもりか”」

 見張りは拳銃を五花海に押しつけた。

「”違う。それはナノマシンの抽出機だ”」

 五花海は露出した肌をさすりながら答えた。見張りは互いに目を合わせて、抽出機を持って戻ろうとした。

「”お前達にそれは使えない”」

 少し震える声で、五花海は叫んだ。二人は振り返って、彼を睨んだ。

「”針を正確にある位置に刺さなければ、ナノマシンを抽出することはできない。それは私にしかできないはずだ。それとも、誰かお前たちの上司が来てくれているのか”」

 二人はしばらく考え込んだが、やがて決心がつくと、五花海の細い腕を乱雑に掴んだ。

「”なら来い。もし抽出に失敗したら、女を殺すからな”」

 二人は五花海を引きずって、工場内に連れ込んだ。内部には95式自動小銃を持った刺客たちが10人はいた。彼らは連れ去ったエドワードを取り囲むように立っていた。彼女は未だ、深い眠りから覚めていないようだった。見張りは五花海をエドワードのそばまで連行して、彼に抽出機を渡した。

「”ナノマシンの自己破壊まであと少しだ。やるならさっさとやれ”」

 彼は抽出機を受け取って、何かを探すように、エドワードの首筋をなぞった。目当ての血管を見つけると、彼は抽出機を押し当てようとして、突然動きを止めた。

「”何をしている。さっさと抽出しろ”」

 刺客は銃口を五花海に突きつけた。だが、五花海の目には恐怖の色は無く、口元には勝利の微笑があった。彼らは五花海を殺せない。そのための許可をもらっていない。

「…古之學者爲己いにしえ の 学者は己れの為にし今之學者爲人今の学者は人の為にす

 それはあまりにも見え見えの合図だったが、それでも開戦の合図に違いなかった。物陰に潜んでいたおれは、手始めに彼に銃を突きつけていた刺客の頭を、右手に構えたレイジングブルで吹っ飛ばした。不意の襲撃と、確保目標の裏切り。同時に起きた想定外の事態に他の奴らの注意が錯綜している間に、五花海はエドワードに覆い被さるように倒れ込んだ。それとほぼ同時に、おれは物陰から飛び出して、左手のキャリコによる掃射を開始する。平面上の敵は弾幕で圧倒し、高台にいる的には、レーザーサイト付きのレイジングブルで狙撃する。不意討ちが完全に成功したこともあり、奴らはなすすべも無く、一人、また一人と倒れていった。おれはレイジングブル一丁での戦闘も覚悟していたが、キャリコの大容量マガジンを撃ち尽くす頃には、まともに戦うことができる奴は一人も残っていなかった。おれはキャリコを捨て、致命傷に至らなかった連中をレイジングブルで介錯していった。ふと五花海を見ると、彼は何が起きたのか把握できていないようで、口をぽかんと開けて唖然としていた。

「エドワードは無事か」

 おれが訊ねると、五花海はストレッチャーから落ちたエドワードの脈をとった。

「大丈夫です。ちゃんと生きてます」

「そりゃ何よりだ。ならさっさと逃げ-」

 不意に、鈍さと鋭さを兼ね備えた痛みが全身を走った。タックルを喰らったかのような衝撃を左肩に受けて、おれは為す術無く床に伏した。その勢いで、右手に持っていたレイジングブルはあらぬ方向に飛んでいった。

「”そうか、お前か。二人の同志を殺したのは”」

 入り口の方から声がした。硝煙が立ち上る拳銃を手に、どこからともなく湧いて出た刺客が、勝ち誇った表情で立っていた。

「”…はい。対象と襲撃者を確保。これより処分します”」

 奴は耳に手を当てて、通信の相手に告げた。おれは何とかレイジングブルを拾おうとしたが、身体を上手く動かすことができない。這うように移動しようとしたところで、刺客はおれの目の前の床に弾丸を撃ち込んだ。おれは、最早動くことが出来なくなった。

「”独力でこれだけの相手をしたのは驚嘆に値するが、ここまでだ”」

 刺客はゆっくりとこちらに歩み寄る。動けないキングににじり寄るポーンの駒のように、ゆっくりと、しかし確実に、おれたちはゲームオーバーへと近づいていく。二人は倒れたストレッチャーの陰に隠れていたが、この状況では逃げられない。おれが奴に飛びかかって、時間を稼ぐか。だが、ある程度まで来たところで、刺客はおれの思考を読んでいたかのように足を止めた。この間合いでは、奴に達する前に撃ち殺される。状況は最悪だ。完全に詰んでいる。最早、ここからの逆転は不可能だった。覆しがたい敗北の静寂が、おれに重々しくのしかかった。

 …ぱぁん。

 乾いた破裂音が、凍り付いた静寂を引き裂いた。刺客の顔から、優越の表情が消えていき、困惑の色だけが残った。彼は赤黒く染まった腹部を押さえて、その元凶となった人物を見た。彼の視線の先にいた五花海は、エドワードのグロックを握りしめて、自分が何をしたか信じられないような様子で、手中の拳銃を見ていた。

「-当たった」

 その場にいた誰にとっても、もちろんおれにとっても、完全に想定外の出来事だった。だが、おれはその瞬間を誰よりも心待ちにしていた。言うなれば、アディショナルタイムの同点弾、9回裏のホームラン。つまり、こういうことだ。『まだ終わってない』

 騙し討ちに激昂する刺客に、おれは雄叫びをあげて飛びかかった。右腿からナイフを抜いて、腹部をめがけて突進する。ナイフは皮膚と内臓を貫いた。奴はさぞ苦悶の顔を浮かべていることだろう。だが、おれは止まることなく突き進み、奴を突き倒した。かっと目を見開いて、彼の喉元に狙いを定めて、力のままに振り下ろした。それでも勝負は決しなかった。彼は凄まじい気力でもって、左手の甲を盾のように使い、致命傷を防いだのだ。おれは内心、奴の精神力に驚きながらも、全体重をナイフにかけ、喉仏への数センチメートルを詰めようとする。だが、奴も負けじと右手を添えて抵抗する。拮抗状態は、少しずつ奴の勝利に傾いていた。左肩の傷が、ここでも足を引っ張っていた。じわじわと遠ざかる鋒を見て、奴は再び、勝ちを確信したようにほくそ笑んだ。

 突然、おれの背中に何かが触れる。それは膠着を突き崩す重みとなって、そのままナイフにのしかかった。五花海の華奢な身体は明らかに力比べには向いていなかったが、奴の守りを破るには十分すぎるほどだった。ナイフは喉を貫いた。たちまち、鮮血が大量に吹き出し、おれの手を深紅に染めていく。

「ゲームオーバーだ、クソッタレ」

 口から赤い泡を吹いている刺客に、おれは囁くように宣言した。そのまま刃を横向きに捻り、首の肉もろとも切り裂いた。抵抗を続けていた身体は、もの言わぬ肉塊へと変貌した。

おれは身体をコンクリートの地面に打ち倒した。天井を仰いで、吸えるだけの酸素を肺に取り込もうとした。アドレナリンによってぼやけていた左肩の痛みが、じわじわと形を取り戻していた。おれは肩をかばいながら、上体を起こした。視線の先には、同じく倒れ込んでいる五花海がいた。

 だが、おれたちのゲームはまだ終わっていない。おれは立ち上がって、死体の耳からインカムを奪い取った。インカムは中国語で何かを喚き散らしていた。おれは深く息を吸って、インカムの向こうにふんぞり返っている連中に告げる。

「お前らが差し向けた刺客は全員あの世行きだ。これに懲りたら、二度と先生に手を出すな」

 すると、インカムは一度静まり返り、やがて、中国訛りの英語で、一人の男が話し始めた。

「君が誰かは知らないが、馬鹿な真似はこれきりにした方がいい。もし、我々の邪魔をするのなら、そこにいる裏切り者諸共死ぬことになるぞ」

 五花海は何か言いたげにしていたが、おれは静かに制止した。

「確かに、おれが今何者かはどうだっていい。だが、は知っておいた方がいいぜ」

「…君は一体、何者だったのだ」

 インカムの声は、重々しく問うた。おれ一瞬の沈黙を挟んで、言い渡した。

「おれのかつての名は『ガンスリンガー』。今をもって、五花海の身柄はこの『ガンスリンガー』だった男が預かった。それでもなお、彼を狙うというのなら、お前達が仕向ける刺客も、お前達の仲間も、お前達でさえ、このおれが『ガンスリンガー』の名の下に鏖殺しよう」

 インカムの向こうで、ざわめきが起きた。様々な怒号が聞こえた後、音声は唐突に途切れた。

「あーよく寝た。ひっさびさに快眠だったわぁ。もう一年くらい寝た気分だわ…ってあれ、ここどこ」

 おれたちが後ろを振り向くと、丁度目覚めたエドワードが身体を伸ばして、暢気に欠伸をしていた。

「アーセナル、その人は…って、ちょっと、二人とも血塗れじゃない」

 彼女の顔があまりにも間抜けだったもので、おれと五花海は思わず笑ってしまった。

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