第14話
エドワードはすぐさま
「申し訳ありませんが、治療が終わるまで、ここでお待ちください」
扉が開くと同時に、彼は足を前に踏み出そうとして、硬直した。彼の後頭部には、レイジングブルの銃口がピタリと吸い付いていた。
「おっと、悪いがその手には乗らん」
おれは狙いを五花海の頭に確と合わせたまま、エドワードと彼の間に割り込むように回り込んだ。銃を向けられて、彼は酷く怯えているようだった。
「近頃はヤブ医者と名医の区別が難しい。だが、ヤブ医者に限ってこう言うのさ。『処置の現場に立ち会うことは出来ません。外でお待ちください』ってな。その後で、最善は尽くしたが駄目だったとか言い訳をして、内臓だけを綺麗さっぱり抜き取る、なんて手口もあるらしいじゃねぇか」
「衛生面の観点から、そのようにお願いしているだけです」
五花海は震える声を振り絞るように言った。
「臓器泥棒共もそう言うぜ」
「私は、あのような手合いの者とは違います」
「そうだという証明は無い」
おれは撃鉄を起こした。すると、五花海は観念したように息をついた。
「分かりました。処置室への同行を許可します。ただし、機材には指ひとつ触れないと約束してください」
「それはお前次第だ」
おれは五花海から一歩離れ、照準を頭から胴体に移した。撃鉄を戻しこそしたが、ホルスターに仕舞うことはせず、発射態勢は維持したままだった。彼はおそるおそるストレッチャーを押して、処置室に入った。おれも後に続いた。
処置室には、様々な機械が置いてあった。医学に関しては、戦場での応急処置程度の知識しか無かったので、おれには何が何のために使われる機械なのか分からなかった。五花海は処置室に入ると、まるで人が変わったかのように、機敏に動き始めた。聴診器をエドワードの胸に当てていたかと思えば、今度は喉に手を当てたり、口を開けて中を覗いたりしていた。それが終わると、今度はいくつかの機械を持ち出して、彼女の周りに並べ始めた。
「彼女の既往歴なんかはご存じですか」
てきぱきと作業をしながら、五花海は背中からおれに問いかけた。
「いや、そういうことはあまり知らん」
おれはしばらく考えた後、そのように答えた。彼は機械のディスプレイを一通り眺めて、今度はおれの方を向いて言った。
「どんな症状が出ていましたか」
「あぁ…、咳に、熱に、くしゃみと…、あとは頭が痛いと言っていたな」
「なるほど」
彼は再び、彼女の容態を確かめた。遠目には、彼女はまるで死んでしまったかのようだった。
「今のところ、髄膜炎の可能性が高いですね。意識障害も始まっていて、このままだと命を落としかねません」
おれは至って冷静な心持ちで、彼の診断を聞いていた。戦場で病気にかかって死ぬ。そう珍しいことでもない。衛生観念のえの字も無いような場所で、傷だらけになりながら戦う。もし病気になったら、仮に衛生兵が居たとしても、満足な設備無しには治療できない。あとは緩やかに、迫り来る死に震えるのみ。言ってしまえば、それが今の戦場で病気にかかったやつの運命だった。だが、それでは困る。運転手をここで失ったら、おれはどうやってイギリスに戻ればいい。
「ですが幸いなことに、治療法はあります」
五花海のその言葉に、おれは身構えた。医者がこういうことを言うときは、何か裏があるに決まってる。
「どんな方法だ」
おれは厳かな声で訊く。
「医療用ナノマシンを使います」
「ナノマシンだと」
おれはすぐさま銃を構え、撃鉄を起こした。
「そいつを得体の知れないもんの実験台にするってんなら、こっちにも考えがあるぜ」
そう吐き捨てて、おれがトリガーを引こうとした、まさにその瞬間
「待て、頼むから待ってくれ」
五花海は大声で叫んで、両手を挙げた。
「確かに、私は怪しいやつかも知れない。近頃の医者にまともなやつが少ないのも事実さ。僕のことが気に入らないなら、撃ち殺してくれたって構わない。ただ、ここでそれをぶっ放すのだけは止めてくれ。ここにある機材は、僕なんかの命よりも大事なものなんだ」
二人の男の荒い息づかいと、今にも死にそうな女の喘鳴が、場を支配した。おれはしばらくの後、銃の構えを崩すことなく言った。
「そのナノマシンとやらを見せてみろ」
五花海はゆっくりと後ずさりして、恐怖に震える手で棚の中をまさぐった。やがて、一本のキャニスターを取り出すと、おれに見えるように掲げた。キャニスターの表面には、中国語と思しき文字がプリントされていた。
「これはれっきとした医療用ナノマシンだ。秩序崩壊の前は、中国の医療現場でもよく使われていたもので、実績もある。もしこれが髄膜炎で無かったとしても、これなら確実に治療できる」
「中国製は信用ならん。特に銃はな」
そう言いながら、おれの脳裏には、客の試射中に暴発した中華製のAKが浮かんだ。その客は無残に死んだ。銃に殺されたと言ってもいいかもしれない。
「あなたの言っていることはもっともだ。ですが、医療に関しては、どうか信じて欲しい」
おれは彼の言葉を反芻して、しばし考える。いや、元より考える必要など無かったのだ。ここでおれが取れる選択肢は、ハナから一つしか無い。
「…分かった。さっさとやれよ。おれの気が変わる前にな」
おれは深くため息をついた。撃鉄をゆっくり戻して、セイフティをかけてから、ホルスターに銃を仕舞った。今度はおれが両手を挙げる番だった。五花海は猜疑心に満ちた目でこちらを最大限警戒しながら、機械の一つにキャニスターを差し込んだ。すぐに、機械から伸びたチューブの中を白い液体が通過し、彼女の体内に注ぎ込まれる。投薬-これを薬と呼んでいいのなら-から10分程が経つと、彼女の呼吸が少しだけ元のペースに戻ったのを感じた。おれが最新医療に感心していると、五花海が点滴を持って来て、おれに椅子に座るように促した。
「おれは何の症状も出てないから大丈夫だ」
五花海は首を振って、おれを無理矢理座らせた。
「髄膜炎は感染する恐れがあるんですよ」
それだけ言って、彼はおれの腕に針をゆっくりと突き刺した。銃で撃たれるのとはまた違った感触が全身を奔った。
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