第14話

 エドワードはすぐさま五花海ウーファハイの診療所に担ぎ込まれた。小さな町の診療所にしてはいささか大きすぎる程の建物で、一見すると廃墟にしか見えない。壁にも床にも天井にも無数の傷が残り、瓦礫がそこら中に散らばっていた。足早にエドワードを載せたストレッチャーを押す五花海を追いかけていると、ぼろぼろの建物に似つかわしくない荘厳な自動ドアが待ち構えていた。見た目の通り、ドアはゆっくりと、時間をかけて開き始めた。待っている間、ストレッチャーを押していた五花海は、おれの方を向いて言った。

「申し訳ありませんが、治療が終わるまで、ここでお待ちください」

 扉が開くと同時に、彼は足を前に踏み出そうとして、硬直した。彼の後頭部には、レイジングブルの銃口がピタリと吸い付いていた。

「おっと、悪いがその手には乗らん」

 おれは狙いを五花海の頭に確と合わせたまま、エドワードと彼の間に割り込むように回り込んだ。銃を向けられて、彼は酷く怯えているようだった。

「近頃はヤブ医者と名医の区別が難しい。だが、ヤブ医者に限ってこう言うのさ。『処置の現場に立ち会うことは出来ません。外でお待ちください』ってな。その後で、最善は尽くしたが駄目だったとか言い訳をして、内臓だけを綺麗さっぱり抜き取る、なんて手口もあるらしいじゃねぇか」

「衛生面の観点から、そのようにお願いしているだけです」

 五花海は震える声を振り絞るように言った。

「臓器泥棒共もそう言うぜ」

「私は、あのような手合いの者とは違います」

「そうだという証明は無い」

 おれは撃鉄を起こした。すると、五花海は観念したように息をついた。

「分かりました。処置室への同行を許可します。ただし、機材には指ひとつ触れないと約束してください」

「それはお前次第だ」

 おれは五花海から一歩離れ、照準を頭から胴体に移した。撃鉄を戻しこそしたが、ホルスターに仕舞うことはせず、発射態勢は維持したままだった。彼はおそるおそるストレッチャーを押して、処置室に入った。おれも後に続いた。

 処置室には、様々な機械が置いてあった。医学に関しては、戦場での応急処置程度の知識しか無かったので、おれには何が何のために使われる機械なのか分からなかった。五花海は処置室に入ると、まるで人が変わったかのように、機敏に動き始めた。聴診器をエドワードの胸に当てていたかと思えば、今度は喉に手を当てたり、口を開けて中を覗いたりしていた。それが終わると、今度はいくつかの機械を持ち出して、彼女の周りに並べ始めた。

「彼女の既往歴なんかはご存じですか」

 てきぱきと作業をしながら、五花海は背中からおれに問いかけた。

「いや、そういうことはあまり知らん」

 おれはしばらく考えた後、そのように答えた。彼は機械のディスプレイを一通り眺めて、今度はおれの方を向いて言った。

「どんな症状が出ていましたか」

「あぁ…、咳に、熱に、くしゃみと…、あとは頭が痛いと言っていたな」

「なるほど」

 彼は再び、彼女の容態を確かめた。遠目には、彼女はまるで死んでしまったかのようだった。

「今のところ、髄膜炎の可能性が高いですね。意識障害も始まっていて、このままだと命を落としかねません」

 おれは至って冷静な心持ちで、彼の診断を聞いていた。戦場で病気にかかって死ぬ。そう珍しいことでもない。衛生観念のえの字も無いような場所で、傷だらけになりながら戦う。もし病気になったら、仮に衛生兵が居たとしても、満足な設備無しには治療できない。あとは緩やかに、迫り来る死に震えるのみ。言ってしまえば、それが今の戦場で病気にかかったやつの運命だった。だが、それでは困る。運転手をここで失ったら、おれはどうやってイギリスに戻ればいい。

「ですが幸いなことに、治療法はあります」

 五花海のその言葉に、おれは身構えた。医者がこういうことを言うときは、何か裏があるに決まってる。

「どんな方法だ」

 おれは厳かな声で訊く。

「医療用ナノマシンを使います」

「ナノマシンだと」

 おれはすぐさま銃を構え、撃鉄を起こした。

「そいつを得体の知れないもんの実験台にするってんなら、こっちにも考えがあるぜ」

 そう吐き捨てて、おれがトリガーを引こうとした、まさにその瞬間

「待て、頼むから待ってくれ」

 五花海は大声で叫んで、両手を挙げた。

「確かに、私は怪しいやつかも知れない。近頃の医者にまともなやつが少ないのも事実さ。僕のことが気に入らないなら、撃ち殺してくれたって構わない。ただ、ここでそれをぶっ放すのだけは止めてくれ。ここにある機材は、僕なんかの命よりも大事なものなんだ」

 二人の男の荒い息づかいと、今にも死にそうな女の喘鳴が、場を支配した。おれはしばらくの後、銃の構えを崩すことなく言った。

「そのナノマシンとやらを見せてみろ」

 五花海はゆっくりと後ずさりして、恐怖に震える手で棚の中をまさぐった。やがて、一本のキャニスターを取り出すと、おれに見えるように掲げた。キャニスターの表面には、中国語と思しき文字がプリントされていた。

「これはれっきとした医療用ナノマシンだ。秩序崩壊の前は、中国の医療現場でもよく使われていたもので、実績もある。もしこれが髄膜炎で無かったとしても、これなら確実に治療できる」

「中国製は信用ならん。特に銃はな」

 そう言いながら、おれの脳裏には、客の試射中に暴発した中華製のAKが浮かんだ。その客は無残に死んだ。銃に殺されたと言ってもいいかもしれない。

「あなたの言っていることはもっともだ。ですが、医療に関しては、どうか信じて欲しい」

 おれは彼の言葉を反芻して、しばし考える。いや、元より考える必要など無かったのだ。ここでおれが取れる選択肢は、ハナから一つしか無い。

「…分かった。さっさとやれよ。おれの気が変わる前にな」

 おれは深くため息をついた。撃鉄をゆっくり戻して、セイフティをかけてから、ホルスターに銃を仕舞った。今度はおれが両手を挙げる番だった。五花海は猜疑心に満ちた目でこちらを最大限警戒しながら、機械の一つにキャニスターを差し込んだ。すぐに、機械から伸びたチューブの中を白い液体が通過し、彼女の体内に注ぎ込まれる。投薬-これを薬と呼んでいいのなら-から10分程が経つと、彼女の呼吸が少しだけ元のペースに戻ったのを感じた。おれが最新医療に感心していると、五花海が点滴を持って来て、おれに椅子に座るように促した。

「おれは何の症状も出てないから大丈夫だ」

 五花海は首を振って、おれを無理矢理座らせた。

「髄膜炎は感染する恐れがあるんですよ」

 それだけ言って、彼はおれの腕に針をゆっくりと突き刺した。銃で撃たれるのとはまた違った感触が全身を奔った。

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