第12話

 どれだけ世界が狂おうとも、明けぬ夜は無い。東の空には、朝日が昇り始めていた。

 おれたちは死臭と共に、朝を迎えた。硝煙の臭い、血の臭い、焼け焦げた皮膚や髪の毛の臭い。積み重なった死体には、既にハゲタカが群がっていた。

 昨夜、突如として始まった虐殺は、難民の半分を殺すこともなく、静かに収束へと向かっていった。アレクセイはどうやら、ほとんどの兵士にはこの計画を伝えていなかったようだ。集められた数名の『十字軍』だけが、使命を持って、この虐殺に参加していた。おれたちは難民と同様に『十字軍』のキルリストに含まれていたようだった。そんなわけで、おれは襲い来る勇猛果敢な戦士達を、ひとり残らず殉教者に変えていった。それ以外に、おれが殺す必要は無かった。大半の兵士達は、虐殺に加担したという現実に耐えかねて、逃げ出すか、自殺するかしてしまったからだ。

 エティエンヌも、そんな兵士の一人だった。おれは彼の亡骸の傍に膝をついて、苦悶に満ちた目をそっと閉じてやった。彼が他の殉教者にしてやっていたのと同じように。彼には、その資格があるはずだ。

 キャンプの後始末をエドワードに託して、おれは方舟の子供達の司令部へと向かった。由緒ある地中海建築を、彼らは本部として使っていた。建物の廊下には、外と同じように、いや、それ以上の兵士の死体が転がっていた。おれはそれらを踏み越えて、司令官の私室へ入った。脳天をぶち抜かれたアレクセイと、数体の死体が、おれを出迎えた。アレクセイの死体は酷い有様で、胴体にこれでもかというほどの弾丸を喰らっていた。ずたずたになった腹からは、内臓がこぼれ落ちていた。右手には、血塗れのベレッタが握られていた。おれはそれを奪い取り、コートで軽く血を拭き取ってから、動作をチェックする。深刻な動作不良が無いことを確認して、ポケットに銃を入れた。部屋を出ようとしたとき、一羽のハゲタカが窓を突き破って入ってきた。彼はアレクセイの膝に停まって、内臓をついばみ始めた。おれはもう一度、アレクセイの顔を見た。かつての好青年の面影は無く、その顔はまるで地獄の炎に焼かれる罪人のように、苦痛と慚愧に塗れていた。

 死体の世話をしているうちに、昼になった。遠方から迫ってくる土煙を認めて、おれは双眼鏡を取り出した。どこの連中かは分からなかったが、こちらに一直線に向かってくる。空を飛び回るハゲタカと同様に、奴らもこの死体の山を漁りに来たのだろう。これ以上の面倒は御免だ。

 おれは一足先に、装甲車に乗り込んでいた。しばらくして、疲れ果てた顔のエドワードが、運転席の扉を開いた。彼女はエンジンもかけずに、しばらく黙りこくっていた。おれも、一言も喋らなかった。この沈黙の理由は明白だった。

「あの武器を売ったのはあなたね」

 最初に口を開いたのはエドワードだった。

「だったらどうなる。ここで死体を一つ増やすのか」

 彼女はナイフを抜いて、おれの喉元に切っ先を押し当てた。

「本当にそうしてやりましょうか、この人殺し。あんたが余計なことをしなければ、こんなことにはならなかったのよ」

 彼女の荒い呼吸が、おれの顔にかかる。おれは沈黙を貫いた。彼女はより強くナイフを押し当てた。血が滴り、シャツの襟を赤く染めた。

「こうなると分かっていたんでしょう。分かっていながら、あなたは止めようとしなかった。あなたの正義は―」

「それはお前の正義だろう。おれの正義は別にある」

 しばらくの間、おれと彼女はただにらみ合っていた。かなり長い間、そうしていたと思う。聞こえるのは、互いの呼吸の音と、鼓動だけだった。やがて、彼女はゆっくりとナイフを仕舞った。景気の良いエンジン音が、車を揺らした。

「気に入らなかったなら、別に殺してもよかったんだぜ」

 おれが言うと、彼女はハンカチを持った左手をフルスイングして、おれの喉元に叩きつけた。

「しばらく黙ってて。一言でも発したら、今度こそ殺すわ」

 咳き込むおれと、不機嫌なエドワードを乗せて、車は虐殺の跡地を後にする。ふと、サイドミラーに映った難民のこれからのことを考えそうになったが、咳と共に、くだらない考えは消え失せた。

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