第8話

 結局、おれの苦労は報われなかった。少なくとも、おれの分は。

 あの襲撃の後、バスについていったおれ達を待ち受けていたのは、バスに乗っていた難民達からの歓声だった。その人の波は一時間ほと押し寄せ続け、おれが右肩の手当てをしていようとお構いなしに、握手やら何やらを求めてきた。ある人は号泣しながらおれを拝み、ある人はよく分からない言葉で必死に感謝を伝えようとしているようだった。

 おれはといえば、それで満足できるような善性は持ち合わせていないようだった。

「気持ちは分かったからさ。もっと何か現物の礼は無えのか。」

 おれは子供でも分かるような平易な英語でそう伝えようとするが、この異国の言語を話す人々には伝わらないようだった。おれがすっかり匙を投げた一方で、エドワードはこの言語に明るいようで、益のない交流を楽しんでいた。彼女に通訳でも頼もうか、とも考えたが、あんなことを彼女に伝えれば

「命からがら逃げてきた人たちにものをせびるなんて」

 という言葉と共に殴られ、小一時間ほどの説教を受ける羽目になるだろう。怪我をした身体にとって、これ以上ない猛毒だ。

 客足が遠のいてようやく、おれは喫煙を許可された。左手での着火に手間取っていると、上機嫌のエドワードがやって来た。

「随分とつれない顔ね」

「生憎、おれはお前みたいに褒められた人間じゃないんでね」

 ニコチンは沈んだ気分を多少上向きにしてくれるが、右肩の痛みや、消耗した弾薬を無かったことにはしてくれない。おれは大きく息を吐いた。

「東欧のキャンプから逃げてきたんですって。元々は、中東あたりに住んでたけど、戦争に追われて流されるまま、って感じね」

「なるほどね」

 そう答えたが、内心、そんなことに興味を抱く隙は無かった。今おれの思考を支配していたのは、おれの肩はどのくらいで治るのかということ、ここで損失を取り戻せるかということ、少なくとも、連中は武器を買いには来ないだろうということだった。連中は難民で、武器を買う余裕もない。あるのはただ、何とかその日その日を凌がなければならないという重圧だ。つまり、おれの出る幕ではない。

 そんなことを考えていると、一台のSUVがこちらに近づいてきた。大地の色に溶け込まない真っ白なSUVは、おれ達の目の前で停車した。中から、これまた白い戦闘服に身を包んだ男が三人、AKを携えて降りてきた。

「先ほど、避難民を助けたというのは、あなた方ですね」

 白髪の男は、険しさの残る微笑みでおれに尋ねた。

「そうかもな。そういうあんたらは」

 対して、おれはタバコの火を消すこともなく尋ね返す。

「我々は『方舟の子供達』。私はその指揮官をしています。アレクセイとお呼びください」

 アレクセイと名乗ったその男は、胸に手を当ててそう答えた。彼の手が置かれたポーチには、金色の糸で文字が書かれていた。

「それで、私どもに何のご用でしょうか、指揮官殿」

 エドワードは身構えていた。無理もない。胡散臭い名前の武装集団が、武装した兵隊を連れてやって来たのだ。彼女の右手が腰のベレッタに伸びるのは、至極当然のことだ。

「ことを荒立てるつもりはありません。私はただ、お礼を申し上げに来ただけですから」

 アレクセイは柔らかな物腰で答える。

「ここの難民キャンプと、その周辺の警備は、我々が担っています。ですが、我々の人員と物資にも限りがございまして、護衛に行きたくても、間に合わないということは多々あるのです。あなた方が偶然居合わせて居なければ、より多くの血が流れたことでしょう」

 全くもって、その通りだった。もし、おれ達が手出していなければ、あのならず者共は略奪の限りを尽くさんとし、奪うものが無いと知れば、男は殺し、女は犯し、子供はさらって人殺しとして育てるだろう。そういう連中だ。おれに連中の手口をとやかく言う権利は無いが、見ていて気分のいいものではない。

 彼の言葉は正しかった。正しい人間としての言葉だった。だが、おれには何か違うものが見えていた。

「どうされましたか。私の顔に何かついていますか」

 どうやら彼の顔面を凝視し過ぎたようだ。それでも、彼は爽やかな笑顔を崩さなかった。

「いや、失礼。昔見た顔に似ていたもんでね」

 もちろん、嘘である。

「そうですか。それはともかく、我々としては何かお礼をしたいのですが、生憎、手土産にも困っているような状況でして」

「それなら、しばらくここに店を出しても構いませんか」

 商人の目付きで、エドワードは切り出した。

「方舟の子供達の皆さんや、避難民の方々にも、物資を安価で提供させてあげられますし、それに―」

 言いながら、彼女はおれの頭を掴んだ。

「彼はこんななりですが、一応武器商人でして。療養も必要ですし、ご入り用であれば、武器もご提供できるかと」

 またしても、おれの同意も無しに話が進んでいる。断ろうとしたときには手遅れで、アレクセイは興味津々とした目でこちらを見ていた。

「本当ですか。だとすると、大変助かります」

 おれはタバコを踏み潰すと、大きく咳払いをした。

「売りはするが、代金はきちんと払ってもらうぜ。それと、この辺の戦場を漁らせてくれるなら、少しくらいは負けてやるよ」

「それはありがたい。では早速ですが―」

 アレクセイが言いかけたところで、彼の無線機に着信が入る。二言ほど言葉を交わすと、彼は心底申し訳なさそうに、こちらを向いた。

「すみません。大至急戻らないといけなくなりましたので、私どもはここで失礼させていただきます。出店スペースが必要でしたら、本部横の空き地をお使いください」

 では、と快活に挨拶をして、彼らは車に戻っていった。ドアを閉めるとき、彼らの胸にあったのと同じ言葉が、車にも書かれていることに気がついた。

「"fiat justitia正義を果たせ ruat caelum天墜ちようとも"」

 彼らが去った後で、おれはその言葉を砕くように呟いた。

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