第6話

 翌朝、おれが目を覚ますと、マチルダは消えていた。ベッドの枕元には、代金代わりの貴金属が入った袋が残されていた。おれは相変わらず火が点かないライターをゴミ箱に投げ捨て、出掛けることにした。

 数ブロック歩くと、エドワードのガレージがある。おれの予想通り、彼女は装甲車に荷物を積み込んでいる最中だった。彼女が気づくように、おれは咳払いをする。彼女はおれに気づいたようだが、作業の手を止めようとはしなかった。

「よお、忙しそうだな」

 積み込み作業が一段落したようで、彼女は装甲車のハッチに腰掛けて、水を飲み始めた。その目は恨めしそうに、おれを見つめていた。

「ええ。猫の手も借りたいぐらいには、忙しいわね。それで、何の用かしら」

「いや、この前、ライターを貸しっぱなしにしてただろう。返して欲しくてな」

 エドワードはポケットからおれのライターを取り出した。受け取ろうと、おれが一歩踏み出すと、彼女は意地悪そうに、手を後ろに引いた。

「いやいや、頼むから返してくれよ。昨日の晩から、一本も吸えてねえんだよ」

「お願いする前に、言わないといけないことがあるんじゃない」

 彼女がおれに何を言わせようとしているのか、それは明白だった。だが、おれにも意地がある。こんなことで、おれの意地を曲げることはできない。だが、あのライターは他に替えが効かない上等な品で、あれに並ぶ品はおろか、まともなライターはこの世界では貴重品だ。それを失うわけにはいかないのだが。長きに渡る格闘の末に、おれの意志は決断を下した。

「悪かった。あの時はちょっと言い過ぎた」

「『ちょっと』ねぇ」

「はいはい、おれが悪かったです言い過ぎましたすいませんでした」

 おれは心底納得がいかなかったが、それを見ているエドワードは楽しそうだった。

「さてさて、どうしようかなぁ」

 彼女はにやにやしながら、おれの出方を伺っていた。畜生、これでもまだ足りないと言いやがるのか。溜息をついて、おれはより大きな決心をした。

「分かった。お前の提案に乗ってやる。乗ってやるから、おれのライターを返してくれねえか」

 そこまで言ってようやく、彼女は満足げに頷いた。

「よろしい。そこまで言うなら、返して差し上げましょう」

 彼女はライターを投げて寄越した。おれはそれをキャッチするや否や、タバコを取り出して火をつけた。いつもの不味い銘柄だが、至福の一本に思えた。

「ところで、私の提案に乗るって言ったけど、それは本心からかしら。それとも、タバコを吸うための方便かしら」

 おれはタバコを吸う手を止めて、彼女の目を見据えて言った。

「本心じゃなけりゃ、お前をぶち殺してでも奪い取ってるさ。それに、平等をモットーにするなら、イギリス贔屓は止めないといけないしな」

「なら休んでないで、ほら、手伝って頂戴」

 エドワードは大儀そうに立ち上がって、身体を伸ばした。おれは喜んで、積み込みを手伝った。

「そういえば、マチルダちゃんはどうしたの。置いてきたんじゃないでしょうね」

 荷物を全て積み終え、おれが装甲車の助手席に乗り込んだ時に、エドワードはそう尋ねた。

「どこかへ行ったよ。次にあいつの名前を聞くのは、噂話の中でだろうな。それも、何年か経った後でな」

 まるで訳が分からない、と言わんばかりに、彼女は首を傾げた。だが、おれが船の出航時刻を尋ねると、彼女は慌てて、車を急発進させた。高速で過ぎ去っていく景色の中に、ほんの一瞬、あの少女の影が見えたような気がした。

 さらば、イギリスの街よ。さらば、復讐を誓った幼き暗殺者よ。

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