第5話

 マチルダに殺し方を教え始めてから、一週間が経った。つまり、今日で契約期間は終了し、おれが彼女の面倒を見る義務は消滅する。

 その日の夜中、おれが帳簿をつけていると、マチルダが遠慮がちに、ドアの隙間から顔を覗かせていた。おれはペンを動かす手も、視線さえも動かさなかった。

「何か用か。トイレはこっちじゃねえぞ」

 その一言に、許可のニュアンスを込めたつもりは全く無かったのだが、マチルダはこちらが忙しいことなど気にも留めず、部屋に入ってきた。

「わたし、人を殺せるようになったかな」

 鉛のように暗く沈んだ声で、彼女はそう呟いた。おれはペンを止めた。

「ロングレンジの狙撃はまだ無理だが、至近距離の射撃なら、命中の見込みは十分ある。油断している奴相手なら、勝機はあるだろう」

 おれがそう言うと、彼女の口元が少し綻んだ。

「そっか。わたし、殺せるようになったんだ」

 噛みしめるように、彼女はその言葉を復唱した。

 子供に武器を売るのは、これが初めてではない。彼女のように、家族の復讐を果たさんと息巻く子供に銃を売ったこともあったし、新興のチルドレン・ギャングに武器を卸したこともあった。そいつらは皆、武器を手にした瞬間に、満面の笑みを見せる。そいつらは所詮、銃を楽しい玩具だと勘違いしている青二才のガキ共だった。おれが知る限り、銃を手にした子供は、その直後に死ぬ。大人達にとって、銃を持った子供は最早子どもではなく、純粋な脅威だ。手加減する道理は無い。

 その点、彼女は他の子供とは異なっていた。銃が殺しの道具であることを、おれがそう教える前から理解していた。加えて、おれに銃を向けた瞬間、彼女から感じた殺意は、純粋そのものだった。引き金を引いた指にも、ためらいが無かった。であれば、この娘は必ずや目的を果たすだろう。だが、その前に、最後の問いが残っている。彼女を殺しの道に誘った者として、おれはそれを問わなければならない。

「それで、お前は結局、誰を殺すんだ」

「わたしの家族を殺した奴らを」

 迷い無く、彼女は答えた。

「そいつらは誰だ。どこに居て、どこに行けば殺せる」

「誰って、『英国あいこくなんとか』の偉い奴に決まってる」

 先程とは違い、彼女の言葉には淀みがあった。目はおれの足元を向いている。

「そいつらを殺した後は、どうするつもりだ」

 その問いに、彼女は完全に黙り込んでしまった。おれはタバコを咥えて、安物のライターで火をつけようとするが、一向に発火する気配が無い。渋々、おれはタバコを箱に戻した。格好つけようとしたのをごまかすように、おれは咳払いをする。

「ここで武器屋を始めて長くなるが、お前さんみたいな、復讐の為に銃を買いに来る奴は珍しくない。子供だけじゃねえ。子供を殺された大人も買いに来る。そいつらは大体、翌日には復讐を成し遂げて、その直後に殺される。おれはそれを『馬鹿な復讐』って呼んでる」

 おれは教師のように語り聞かせる。馬鹿、という言葉に、マチルダは顔をしかめた。

「復讐は馬鹿なことだって言いたいんですか」

「いや、そうじゃねえ。どれだけくだらねえ理由でも、復讐する権利は誰にだってあるさ。『馬鹿な復讐』の最大の問題点は、復讐したいって感情に振り回されて、その後のことを全く考えちゃいないってことだ。自分が死んでも、憎いあいつを殺せたら満足だと思っているのか、それとも、あの世で家族に会えるなら本望だ、とか考えてるのかもしれねえが、生憎、おれはあの世の存在を疑ってる腹でね。とにかく、おれが言いたいのは、この手の復讐は、復讐としては上等かも知れんが、殺しとしては下の下だってことさ」

 話し下手なおれなりに、分かりやすく説明したつもりだったが、彼女はまだピンと来ていないようだった。

「フランス語の諺に、こういうのがある『復讐は冷まして喰うに限る』ってな。衝動的に殺しに行くより、長い年月をかけて、綿密に計画した復讐の方が旨い-ここでいう旨いってのは、成し遂げた後の達成感があるっていうことさ。こういうのは、『賢い復讐』って言うんだ」

 マチルダは話の要点を掴みかけているようで、顎に手を当てて唸っている。おれは席を発って、彼女の正面に腰掛けた。

「お前は賢い。他の奴らと違って、感情の御し方をよく分かってる。それは滅多にない才能だ。殺しの才能よりも貴重だ。それを無駄にするのは惜しい。ああやれ、こうやれって指図するつもりはないが、思案を重ねて動け。お前なら出来るはずだ」

 そこでようやく、おれは冷静さを取り戻した。何を言っているんだ、おれは。馬鹿みたいな講釈を長々と垂れるとは。おれは頭を抱えて、深く息を吐いた。

「すまん、忘れてくれ」

 後悔に苛まれるおれとは対照的に、マチルダは年相応の、あどけない微笑みを見せた。

「ありがとう、アーセナル」

 ありがとう。おれに向けられたその言葉は、何に対しての感謝なのか。それを確かめる度胸はおれには無かったし、彼女は既に、寝室に戻ろうと動き始めていた。

「どうして、ここまでしてくれたんですか。他の人達には、こういう話をしないんでしょう」

 半開きのドアの間から、彼女はおれにそう尋ねた。

「さあ、どうしてかな」

 おれは頭を掻きながら答える。

「多分、エドワードの馬鹿さ加減に頭をやられたんだろうな。ほら、ガキはさっさと寝やがれ」

 離れていく足音を感じながら、おれはソファに横たわる。柄にも無いことをやってしまった、とおれは思う。平等を謳う武器商人が、たった一人の少女にこれほど肩入れするとは。思うところはあったが、その日の寝付きはよかった。

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