第4話
少女が銃を構えている。両手で握りしめられたその銃は、小刻みに震えていた。当然、放たれる弾丸は的に当たることなく、その後ろの壁にいくつもの跡を刻む。おれはタバコを味わいながら、それを眺めていた。
この少女(名前をマチルダということを、あの後エドワードから聞かされた)は、殺しの才能には全く恵まれていないようだった。適切な銃の構え方、マガジンを装填してから、初弾を発射するまでのプロセス、サイトの合わせ方、反動の御し方。一通り、ターゲットに弾丸を当てるのに必要なことは叩き込んだつもりだったが、現実はこの体たらくである。哀れな弾丸は空を裂き、成すべきを成さないまま壁に激突して、弾丸としての一生を終える。
マチルダは全くの素人だ。誰の目にも、それは明らかだ。これまでの人生で、銃を握ったことも、まして、人を殺したこともなかっただろう。世界の大部分が狂った世界で、それはどれだけ幸運なことだったのだろうか。戦争屋として生きてきた年月が長すぎるおれには、計りかねることだ。それが、家族を皆殺しにされた程度で、混沌極まりない戦乱の世界に足を踏み入れようとするなんて。この場合、狂っているのは彼女だろうか。彼女の家族を殺めたとされる、英国愛国者同盟の連中だろうか。それとも、こうして殺し屋になる手ほどきをしている俺だろうか。
「マチルダの様子はどう」
どこかへ出かけていたエドワードが、険しい顔で戻っていた。
「悪くはない。あと3年もすれば、そこら辺でくたばってる有象無象の殺し屋には並ぶだろうな」
「それのどこが悪くないのよ」
マグチェンジに手間取るマチルダを見る彼女の目は、憐憫と慈愛の情に満ちている。前に彼女と仕事をしている時にも、同じ目をしているのを何度か見たことがある。スラム街でゴミを漁っている、骨と皮しかないような子供達を見る時、戦闘で五体不満足になった若者を見る時、彼女はその目をする。おれには到底理解できない。世界は元々、そういう場所なんだ。弱い人間は、生き残れない。
「それで、どうだったんだ。ガキの家を見てきたんだろう」
人間らしい情に浸っているエドワードを起こすように、おれは尋ねる。
「死体とか血痕は、もう掃除された後だったから、何も残ってなかったわ。ただ、床下に染みた血と、カーテン裏に弾痕が残ってたから、あそこで殺人があったのは間違いないと思う」
「誰がやったかまでは、分からなかったか」
「そこまでは、流石に」
エドワードはポケットからタバコを取り出して、火種を持っていないことに気づいた。禁煙するって言ってなかったか、と指摘したい気持ちを抑えて、おれはライターを手渡した。初めてタバコを吸う若者のように、彼女は咳き込んだ。
「実行犯については、マチルダの言ったことを信じるしかないわね」
「『英国愛国者同盟』か。確かに、連中ならすぐに掃除屋を手配できるだろうが、何のためにそこまでする」
「あなたって本当に、政治と時事ネタに疎いのね」
心底呆れたと言わんばかりに、エドワードはため息をついた。
「噂では、彼らはお抱えの暗殺者部隊を持っている。彼らが今、この旧イギリス領の実権を握れているのは、数え切れないほどの政敵と、反乱分子を人知れず葬り去ったからなのよ。公にはなっていないし、公にしようものなら、その事実ごと消されてしまう。」
「じゃあ、ガキの親は、愛国者同盟に敵対していたのか」
「そうだと思うけど、証拠はないわ」
証拠はない。マチルダの親が、愛国者同盟の連中に殺されたという証拠も。彼女の復讐が本物であるという証拠も。つまり、おれが今していることは、見通しの立っていない博打に違いない。確証もないままに、おれは一人の少女を殺し屋に仕立て上げようとしている。
おれとエドワードの間に、沈黙の分厚い壁が我が物顔で居座っている。22口径のスネアのような銃声では、とても破れそうにない。
「昨日からずっと気になってたんだが-」
都合よく、脳裏に燻っていた疑問を言葉にできたので、おれは沈黙を破ることにした。
「どうして戻ってきた。五年前に出て行った時は『アメリカでビッグになってやるんだ』って息巻いてたじゃねえか。それに、何で今になって、本気で移動商人なんてやろうと思ったんだ」
「ああ、そのことね。そうね、どこから話したらいいのかしら」
エドワードは、未だに拳銃の扱いに慣れないマチルダを、例のあの目で見つめて、しばらく考え込んでいた。しかし、その目には何か、言葉にすることがはばかられるような、形容し難い色があった。
「五年前、私がアメリカに渡ったのは、チャンスがあると思ったからよ。ここの情勢は安定しているけど、それ故に大きな需要の変化も生まれにくい。私みたいに決まった取引相手を持たない配達屋にとっては、アメリカみたいに、いろいろな派閥が入り交じっている場所の方が、もっと商売ができて、もっと人の為になれるんじゃないかって、そう思っていた」
「違ったのか」
彼女は首を横に振った。
「むしろ、予想通りだった。あそこにはいろいろなグループがいて、商機に困ることはなかった。抗争に巻き込まれることもあったし、結構慌ただしかったけど、沢山感謝もされた」
「そりゃ、よかったじゃねえか」
その言葉に、彼女は苦しそうに口を歪めた。
「偶然、配達の仕事で貧民街に行ったことがあったの。大人も、子供も、みんな飢え死に寸前で、荷物を奪おうと血眼になっていた。どうしても放っておけなくって、それからしばらくは、彼らのために、食料なんかを調達してたの。儲けにはならなかったけれど、今までに無いくらい感謝してくれた」
「そうか。それで、その後は」
彼女は今にも泣き崩れそうだった。深い呼吸の後、彼女は涙声を隠すように、凜として言った。
「殺されたわ。一人残らず。その土地に基地を建てたがってた連中が突然来て、何も言わずに、一方的に嬲り殺したのよ。反撃の機会なんてなかった」
「それが普通さ。武器であれ、機会であれ、持つ者がいるなら、持たざる者もいる。そういう世の中だろう」
おれは淡々と、事実だけを口にした。エドワードの表情が怒りで歪んでいくのが、簡単に分かった。
「一方的に殺されることのどこが普通だっていうのよ。あなたは『平等』が売りの武器商人でしょう。どうして分からないの」
エドワードが声を荒らげる。それを聞いたマチルダは、銃の構えを解いて、こちらの様子を伺っていた。無機的に、おれはエドワードの問いに返答する。
「おれは誰にだって『平等』に武器を売る。そいつが何のためにそれを使おうが知らん。だが『平等』である以上、武器を買う奴が裕福だろうと貧しかろうと、同じ値段で取引をする。『金が無いなら安くしとくよ』なんて、それこそ『平等』じゃねえ」
そう言い切った瞬間、エドワードはおれの胸ぐらを掴んで、壁に叩きつけた。右手を大きく振りかぶったところで、彼女は動きを止めた。何十秒もの間、おれは壁に押しつけられたまま、涙で濡れた彼女の瞳に映る、光の無い目に見つめられていた。やがて、彼女はおれを解放すると、何も言わずに、その場から立ち去った。当惑するマチルダとおれだけが、その場に残された。
おれは何を間違えたのだろうか。いや、何一つ間違ってなどいない。おれが彼女に言った全ては、今の世界の真実に他ならない。おれは何一つ、間違ったことは言っていない。だが、彼女の瞳の中からおれを見つめていたあの目は、人間でなくなった屑のする目だった。
「何をぼけーっとしてやがる。面倒を見てやるのはあと三日だけだぞ」
おれがそう言うと、マチルダは射撃訓練を再開した。タバコを吸おうとして、エドワードにライターを渡したままだったことを思い出した。
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