第6話

庵の周辺に張られた結界は、不審者の侵入対策というよりは来訪者にすぐ対応できるようにするという意味合いが大きい。


キルシュの手が青白く輝くと、冷蔵箱の受け皿の中の水が一瞬にして凍りつき氷が出来上がる。


対象の周囲の空気を急激に冷やす“氷結”の魔法だ。


「ありがとうございます。それで、次に来る方はどなたかわかりましたか?」


「がっしりした体格に皮のチョッキを着てる人だから、恐らくライナーさんだね」


「狩人の彼が相談に訪れるのは珍しいですね。何か森に異変があったのかな……」


「どうだろうね、そこらへんはご本人に直接聞いてみるのが一番早いだろうね」


キルシュの言葉とほぼオナジタイミングで来訪者の訪れを知らせるベルの音が家の中に響き渡り、玄関の扉が開かれた。


家を訪れたのは予想通り、村の狩人のライナーだった。


白髪交じりの髪に立派な髭をたくわえ、そろそろ初老の域にさしかかっているがまだまだ体の衰えは見せない村一番の狩人だ。


「先生、いつも村の皆が世話になっとります」


「やぁいらっしゃい。貴方が来るなんて珍しいね、何があったのかな?」


「実は今朝がた猟に出たんですが、森の中でこんなものを見つけやして……」


そういってライナーが俺たちの前に差し出したのは、幾重にも厳重に袋に包まれた猪の死骸だった。


袋をあけて猪の体を見てみると、ところどころ紫の斑点のようなものが浮き出ていた。


斑点のある部分は火傷を負ったように皮膚が爛れている。


そしてその腹の部分は何か獰猛な生物に襲われたのか、無残に内臓が食い散らかされていた。


「越冬中のヤツを狙いに行ったんですが、こんな死骸をいくつも見つけやしてね。以前、確か先生がこう言うおかしな死に方をした獣を見かけたら、素手で触れないようにとおっしゃっていたので、皮手袋で回収してきやした」


「うん、正解だよ。これに直接触れると同じように爛れるからね。絶対に素手で触っちゃだめだなんだ。よく覚えていてくれたね」


「先生の言いつけはしっかり聞くようにしとりますから」


危険物となっている猪の死骸を正しく取り扱いできたことをキルシュから褒められて、ライナーはよくできたと親に認められた子供のように照れくさそうに破顔した。


それもそのはずだ。


キルシュがこの地に庵を結んでから百年以上が経過している。


ライナーの両親に、祖父母、相曽祖母に至るまでが何かあればキルシュに相談し、教えに従って生きてきた。


つまりキルシュはティツ村の村人全員の師であり親でもあるような存在なのだ。


「死骸を持ってきてくれて助かったよ。この痕跡からすれば、猪たちを襲った魔物がなんであるか一目瞭然だね」


「ヴァンキッシュですね」


ヴァンキッシュとは体長2mにも達する巨大なトカゲ型の魔物だ。


紫色の毒々しい見た目どおり、触れたものの皮膚を焼く強力な毒を吐きかけてくる。


魔物とは人間や動物など通常の生命とは異なる特殊な生物である。


魔素を取り込み特殊な進化を遂げた種であるという説が有力視されているが、まだ実証はされていない。


謎が多い生命であるが、全ての種にはっきりしていることがある。


それは人間や動物を捕食する存在であり、発見次第討伐しなければならない脅威であるということだ。


放置しておけば生態系が破壊され、人間も動物も植物も全てが生きていけない環境に変えられてしまう。


「そう。しかもこのヴァンキッシュの中に産卵期に入った雌がいるようだね。猪が何体も喰われているなら確実だよ。このまま気づかずに放置していたら繁殖されて厄介なことになっていたところだよ。お手柄だね、ライナーさん」


「先生の教えのおかげでさぁ。何か異変があれば、軽く見ないでまずは痕跡を調べること。そして深入りはしないで判明した事を正確に伝えること。これを守っただけです」


「それがちゃんとできる事が大したことなんだよ。しかしそうなると、闇雲に森を探しても見つけるのは難しいし、そもそも産卵場所を見つけないと問題の解決には至らないね」


「産卵場所、ですかい?」


現在の事態がまだよく理解できていないライナーのために、キルシュはヴァンキッシュの生態について説明する。


「ヴァンキッシュは群れで生活する魔物でね。付近に巣にしている場所があるはずなんだ。そこを叩く必要があるわけ。ザイ、地図もってきて」

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