第32話

 俺は額から血を流しつつ、右目でラビ先生を見つめる。


 金髪のイケメンは醜悪な笑みを浮かべながら、マジックAIをさも自分の所有物かのように、頭上で輝かせていた。


 月が雨雲に隠れ、周囲を照らす光源は、青白いマジックAIのみとなる。


 強まる風に吹かれつつ、先に口を開いたのはラビ先生――いや『帝国軍人のラビ』だった。


「しかし、少し驚きましたね……。どうやって僕の奇襲に対応したんです?」


 数分前を思い出す。


 ラビにまんまと踊らされ、学園地下までの道案内をしてしまった。

 彼は学園長に信用されていなかった。だから「例のアレが危ない」などと曖昧な情報を俺に吹き込み、教師や上級生達が学園内から減る課外授業の日を狙い、行動を起こしたのだ。


「……俺はずっと、もし内通者がいるのだとしたら、アンタが怪しいと思っていた」


「ほぉーう。いつから勘付いていたんですか?」


「裏庭で不審者と遭遇し、そのうち二人が足止めをして、煙草を吸っていた一人は逃げた……。だがその後に、アンタと同部屋になって挨拶した時……。同じ煙草の臭いがしたんですよ」


 逃げる時に俺を睨み付けていた黒フードの男。ソイツが吸っていたのと、今ラビが口に咥えているのは、全く同じ種類のものだ。


「アンタが吸っているのは、帝国でしか手に入らない銘柄の煙草だ」


「おやおや、詳しいですねぇクリストファー先生。煙草は吸わないはずでは?」


「今は、な。禁煙しただけだ。昔……俺は、アンタと同じのを吸っていた」


 俺から奪っておきながら、ケシィが「オレ、この銘柄あんま好きじゃないんだよね」と言いやがった煙草。

 戦争している相手国の商品だが、俺の嗜好や身体には合っていた。戦時中は「そんなもん吸うな」と、上官や仲間達からはよく白い目で見られていたけど。


「……更に、アンタは『母親の介護があるから』と、学園を留守にしていた。だがそれは嘘だ」


「えぇ、そうです。その間に学園内部を色々と調査していたので。そこも見抜くとは」


「『足腰が弱った母親は要支援3.5ですか?』との質問に、アンタは肯定した。だが……『要支援』は1~2、その上に『要介護』が1~5で分けられる、全7段階評価なんです。……『要支援3.5の高齢者』なんて、そんな評価区分は、世界中どこにも存在しねぇんだよ……!」


 介護の経験をしたことがない人間だと、バレバレだ。


 しかし看破されたラビは、余裕たっぷりにパチパチと拍手した。


「素晴らしい。人間、思わぬところから足がつくものですね」


「……だが、それでも全て状況証拠に過ぎなかった。地下室で背後から襲われる瞬間まで、完全に潜入者クロだとは思っていなかった。万が一に備えて土属性の防御魔法も仕込んでおいたが……。信じたくなかったんだ。……ラビ先生、どうしてですか……!!」


 どうしてこんなことを、と聞いた瞬間――ラビの怒りが、爆発した。


「……理由だと? 決まっている……! 次こそ帝国を勝利させるためだ!」


 頭上のマジックAIを指差して、目を見開き、あらん限りの声で吠える。


「首都を落とせば、我々が勝っていた! なのに貴様にも妨害されたなァ! 我々は祖国を守るため戦っていただけなのに! 世界中が我らを『悪の帝国』扱いして非難した! 銃も魔法も規制され、帝都の路地裏では今この瞬間も、飢え死にしそうな子供達が何百人といるんだ!」


 だからマジックAIを盗もうとしていたのか。たしかにアレを兵器転用されてしまっては、どんな天才魔法使いでも、何万人の軍隊だろうと、太刀打ちできない。


「だからって……! 戦争をして何になる! あの地獄から折角、生き残ったのに! 自殺したアンタの仲間……あの二人もそうだった! どうして命を粗末にできるんだ!!」


「貴様こそ!! どうして、こんな腐敗した今の世界で平然と生きていられる!? 戦後秩序、国際協調!? くだらん! あの戦争を経験しておいて何故、腑抜けた連中に迎合できる!」


 もはや言葉は不要とばかりに。マジックAIを起動し、上空に巨大な魔法陣を浮かび上がらせた。


「『メテオ・ゲート』!!!」


 空爆魔法。

 開扉する城門のように、魔法陣が――雨粒と雹を降らせている空が割り開かれ、巨大な火の玉が何百と降り注いでくる。


 あの日、ケシィの命を奪った魔法だ。


「危ない! 逃げてっ!!」


 背後でオルアナが立ち上がり、フラつく足で駆け寄ってきて、魔導士服ローブの裾を掴む。


 ――俺はまた、誰も守れないのか? 多くの戦友を失い、教え子達も死なせるのか。


 そう思った直後に、火球は橋へと降り注ぎ――右目の視界は、真っ赤に染まった。




***




 同時刻。場所はゲオルギウス学園ではなく、小高い丘の上。


 職業斡旋所で長年勤めている中年男は、念願のマイホームを手に入れるため、購入する予定の一軒家の内見に来ていた。


 しかし残業が長引き、しかも大雨が降り出し、太り気味の妻やお調子者の息子からは不評を買っていた。


「なんでこんな日に下見なんだい! 土日でも良いじゃないか!」


「す、少しでも早く見てたいだろう? ここに住むかもしれないんだし……」


「僕が一番乗りーっ!」


 強風で壊れそうだった傘の水滴を、玄関先で振るい落とす両親。


 八歳になる息子は濡れた身体のまま、新居へと駆け込んでいった。


「……この空模様が続いたら、明日の飛行試験は中止かな……」


「飛行船なんて、どうせまた墜落するに決まってるよ。毎週やってるけど一回もテストに成功していないじゃないか。ほらほら、他人のことより自分が買う家をチェックしな!」


 妻に尻を叩かれ、薄毛な頭をボリボリ掻きつつ中へと入る。


 この家は、一か月ほど前に亡くなった高齢者と、その義理の息子が住んでいたという中古物件。

 新しくはないが、丘の上という好条件な立地で、庭には八~九分咲きの桜の木が植えられていた。


「お父さーん! お母さーんっ! この家、すごいよーっ!!」


 身体も拭かずに探検し始めた息子が、何か騒いでいる。

 別に普通の中古物件だろうに……と思いつつ、中年男がランプに灯りを点けると――。


「なッ……!?」


「……な、なんだい、コレ……」


 身体だけでなく精神も図太いはずの妻ですら、言葉を失う。


 絶句する夫婦の視界には、リビングには、大量の書物が天井近くまで積み上がっていた。

 以前の持ち主だった老婆の、その義息は不動産屋に「家の中の物は、好きに処分してくれて構わない」と言っていたらしい。


 だが――あまりにも、残していった書物や文献、ノートが多すぎる。


「すっごーい! 本がたくさーん! 冒険小説はないのかなぁ?」


 年寄りの匂いが微かに残る寝室や、台所や風呂場や便所だけは綺麗で、それ以外の部屋は全て、図書館状態だった。


 ダイニングルームも書斎も、屋根裏部屋も地下室ワインセラーも、押し入れも倉庫も二階の全部屋も。階段や廊下にすら分厚い本が積み重なっている。狂気すら感じる蔵書数だった。


「……い、一体、何が……! この家に住んでいた人間は……! ここで一体、何をしていたんだ!!?」

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