第31話

 ロビン・クリストファーが学園地下で、何者かの攻撃を受けて倒れた後。


 城門へと続く跳ね橋には、ゲオルギウス学園の一年生達が集められていた。


「オイ、一体何がどうなってんだよテイモン!」


「分からないよ! 僕に聞かないでくれたまえピーター! 貴族とはいえ全知じゃないんだ!」


「ロビン先生もラビ先生いなくなったし……。……何が起きてるの……?」


 背に魔法弓を担いだバンビエッタは、他の生徒達と同様に困惑していた。


 学園周辺の森で弱い魔物を倒し、あとは寝るだけだと思っていたのに。ルーククラス担任のラビ・ザ・ハットから突如「急いで学園に戻るんだ!」と指示され、ビショップもナイトもポーンも関係なく、橋へと集められた。


 しかし跳ね橋は途中で上がっており、城門まで辿り着けなかった。管理人や門番の姿もない。


「ルゥ、アンタ……。アタシから離れないでよ……! 小柄だから、すぐ見失うし!」


「う、うん……!」「だったら俺の手ぇ握っててくれよ!」


 人形を抱えたルゥは、不安そうにティナーへ寄り添う。


 ルゥ以外にも、混乱している数百人の生徒達。


 その中でオルアナだけは、周囲を警戒していた。


「……どうなさいますか、オルアナ様……」


 ザワザワと浮き足立っている場で、背後の影に隠れるスワンプマンが、囁き声で問う。

 オルアナは周囲のクラスメイト達に気付かれない程度に、独り言を装って指示を出す。


「貴方はまだ出てこないで。いざという時は、自分で何とかするから」


「……はい……」


 このまま橋の上で立往生していても仕方ない。

 だが学園に戻る通路は、この橋一本しかないのだ。覇王の要塞としては堅牢だが、平和な時代となった今、防御力は不便さに変質してしまっていた。


 この際、橋を戻って湖畔の方から、水を凍らせて道を作ろうか。――オルアナがそう考えた、直後。


 森へと続く橋が、爆破された。


「!?」


「きゃぁぁあああ!!」


「うわぁああっ!? 何だぁぁあああっ!?」


 悲鳴が上がる。何が起きたか分からず、死んでしまうと頭を抱える生徒もいる。


 とはいえ頑丈な鎖やロープのおかげで、巨大な跳ね橋自体が崩落することはなかった。


 しかし――向こう側へ渡るためには、十数メートル以上の距離を飛躍しなければいけなくなった。


(進路も退路も断たれた……!?)


 この時オルアナは、この騒動が『攻撃』であると気付いた。何者かの意思を感じる。


 そしてその『攻撃の主』は、ゆっくりと下ろされた学園側の跳ね橋から、城門の方から姿を現した。


「――ラビ先生……!」


「良かった、私達の担任よ!」


「あれ? でも……」


 ルーククラスの教え子達は安堵する。


 だがオルアナは、ビショップクラスの面々は、その『異様さ』に即座に気付いた。

 優しく男前イケメンで、男女問わず生徒達から人気のラビ・ザ・ハットは――口元に煙草を咥え、黒いローブを被り、何百人という鎧の騎士達を背後に従えている。


 そして彼の頭上には、青白く光る巨大な球体が浮かんでいる。何よりも、ラビの表情は――その人相は、『人殺しの顔』だった。


「ラ、ラビ先生……?」


「あ、あのっ……! 先生! なんか、橋が、急に壊れて……っ!」


「てか……。な、なんすか、その格好……?」


 困惑する生徒達。じりじりと後退あとずさる。しかし背後には、爆破された大穴があるだけ。


 そんな教え子や、他クラスの若者達を見渡してから――ラビは紫煙を吐き出した。


「偽りの戦勝国、その恩恵を白痴みたいに貪るだけの、クソガキの皆さあああああん」


 その大声には、侮蔑と憎しみ、そして激しい怒りが込められていた。


「僕からキミ達への講義は、残念ながら今日で最後になりまぁす。送る言葉は――『死ね』」


 ラビは右手を掲げ、鎧の軍勢を進軍させる。

 槍や剣を持った騎士、重装歩兵や弓兵が、虚ろな足取りで前進してきた。


「『マリオネット・デッドナイト【傀儡死霊騎士】」


 ラビの声に反応し、頭上の球体――『マジックAI』が満月のように光り、騎士達を照らす。


 傀儡魔法は通常、数体の人形を操るだけでも、高度な技術と知識が必要とされる。

 それをラビは、三百体近くをたった一人で、苦もなく操っていた。


「あっ……!」「あのクソ人形共、操ってたのはラビ先生かよ!」


「裏庭でアタシとロビンせんせーを襲った連中の、逃げた一人も……!」


 迫りくる軍勢を、冷や汗を浮かべつつ見つめるルゥとティナーは、身に覚えがあった。


 この学園で起きていた不穏な出来事は、全て――学園の教師、内部犯ラビによるものだったのだ。


「みんな下がって!」


 そこへ。銀色の髪をなびかせて、オルアナが学生達の先頭へと躍り出る。


 誰とも関わらず孤独に勉強をしていた首席合格者が、まさか率先して立ち向かうとは。一学年の全生徒は、彼女の小さな背中へ、驚愕の目線を送った。


 しかしオルアナだけは前方を真っすぐ見据えたまま、空中に魔法陣を描いていく。


「『ハイドロポンプ・マイドラゴンズ』!!」


 湖の豊富な水を操り、魔力が『海竜』を形作る。

 角や翼の生えた、頑丈な牙と鱗を持つ、大蛇を思わせる巨竜。

 水の竜が何体も召喚され、橋の上の軍勢へと襲いかかっていった。


「ほぅ」


 分厚い鎧が食い破られ、大槍も斬馬刀も通らず、傀儡の騎士達は次々に湖へと落下してく。


 だというのにラビは動じることなく、煙草をふかしていた。


「ふぅー……。……『ファイア』」


 呟くと、火のついた煙草から爆炎が噴き出し――呼び出された水竜を、全て蒸発させた。


「なっ……!?」


 オルアナも、他の生徒達も、驚愕の顔を浮かべる。


 使用した水魔法は、二年生や三年でも操るのに難儀するであろう、かなりの高等魔法。

 それをラビは――湖という水場であるにも関わらず――火属性の初級魔法のみで、相殺してみせた。


「な、なら……! 『エクスプロージョン・デストラクション』!!!」


 諦めずオルアナは、大きな魔法陣を空中に描く。

 その陣はかなりの大型で、腕を目いっぱい使って丸い線を引くほどだった。

 そして瞬きすら忘れるほどの集中力で、指に残像が生まれるスピードで、構成式を書き込んでいった。


「宮廷魔導士試験に提出するつもりの、私が五年かけて開発した魔法よ! 今ここで試す!」


 ラビの放った初級魔法ファイア、それによってあちこちで燃えている、跳ね橋の火炎を集める。

 更に、水竜を相殺されたことで発生した、大量の水蒸気も反応させ――全てを滅却する魔法に変える。


 水は液体から気体へと変化する際、体積は何千倍にも膨らむ。

 それを更に熱して発生させた『過熱水蒸気』は、鎧騎士達の甲冑を融解し、あるいはまるで抉り取ったかのように、剣先や槍の柄を消失させた。


 それでもラビは――余裕を崩さない。


「……解析して分解しろ。マジックAI」


 『所有者』の声に反応して、マジックAIが光り輝く。


 すると、オルアナによって描かれた大型の魔法陣は――『滅却魔法』の陣は、パリンという音と共に、ガラス細工の如く崩れ去った。


「な……」


 オルアナの表情が凍り付く。普段からクールな顔付きだが、今は『絶望』が宿る。


「ど、どうして……! 私の新魔法は、まだ、誰にもっ……!」


 足が震え、汗が噴き出す。


 この五年間、いや、それよりも昔から――父と兄が戦死した直後から宮廷魔導士を目指し、母と実家を守るため、血の滲む努力をしてきたのに。

 それを、こんなにも、あっけなく。


「ふふふ……クク、あっはははははは! マーカス君、キミは本当に馬鹿だなぁあ!!」


 下品な笑い声が湖に響く。

 そんな声は、ルーククラスの生徒達でも聞いたことがなかった。


「この『魔法を学習する魔法マジックAI』にかかれば、その程度の魔法陣は三十秒もかからず解析し、対抗魔法を構築できる……! 人間の知能など、とっくに超えているのさ!」


 つまり、どんな強力な魔法でも、新魔法だとしても――ラビには通用しない。


「『五年かけて開発』ぅ? クハハハ……。……無駄な努力、ご苦労様でした☆」


 膝から崩れ落ちるオルアナ。両手をついて、橋板を見つめるように項垂れる。


 他の生徒達も、首席合格者の新魔法が打ち破られる瞬間を目撃し、士気はゼロに等しかった。


「完全起動前でも、動作は良好なようだな……。……さて、全員拘束しろ」


 虚ろな鎧の軍勢は、ガシャンガシャンと音を鳴らして、進軍を再開する。


 生徒達は逃げようと、絶叫に近い悲鳴を上げながら後方へ走り出す。

 しかし、崩落した橋から風魔法でジャンプする余裕もなく、背中を押された生徒の何人かは、湖へと落水してしまった。


 そんな中。戦う気概を失ったオルアナの前に、一体の重歩兵が立つ。

 無骨な戦鎚ウォーハンマーを振り上げ、銀色の頭部めがけ、躊躇なく振り下ろし――。


「オルアナ様っ……!」


 ――影からヌルリと現れた髑髏の仮面が、主人を庇う。


 だがラビの援護により、マジックAIの解析によって、戦鎚には月光の輝き光魔法が宿り――その黒い身体を、一撃で吹き飛ばした。


「がはッ……!」


「スワンプマンっ!!」


 黒い流体ドロドロの中からは、小さな顔に髑髏の仮面を装着した――女子生徒が転がり出る。


「うぉっ!? 何だコイツ!?」


「ちょっと、この子……! ウチのビショップクラスの生徒じゃん!?」


 他の誰よりも、ティナーが困惑する。

 数日前に裏庭で自分を拘束した謎の『黒ナメクジ』。その正体は、スカートを履いた女子生徒だったのだから。


 そんな思わぬ乱入はあったものの、ラビは攻撃の手を休めない。

 オルアナや他の生徒達を、再び襲わせようとして――。


「――う、うォぉぉおおおおおっ!!! 『バニシング・ダンシング』!!」


 長い金髪の前髪をなびかせて。煉獄の刃フランベルジュが、重装歩兵の戦鎚を受け止めた。


「テイモン……っ!? 貴方……!」


「勘違いしないでくれたまえよ、オルアナくん! 平民達を守るのが誇り高き貴族の使命! 何より、マーカス家よりも我がブーバーン家の人間の方が優れていると、証明したいだけさ!」


 声は上擦っている。足も震えている。それでもテイモンは、火炎の刃を固く握りしめていた。


「甘やかされて育った、精神的肥満児が……。『アクア』」


 しかしテイモンの火炎は、湖の水によって消されてしまう。マジックAIを使うまでもない。


「はぁぁあああっ!!!」


 それでも、尚。

 ずぶ濡れになりながら刃を振るい、重歩兵の一体を斬り伏せてみせた。


「何っ……」


「たとえ魔法が封じられたり、使用できない場面だとしても! 近接武器で戦い続けられるのが『魔法剣士』最大の利点だ! クリストファー先生が、僕にそう教えてくれた……!」


「……やるじゃねぇかテイモン! っしゃぁあ、俺も燃えてきたぜぇええ! 『スパークル』!」


「ロビン先生が戻ってくるまで、私達で何とかしないと……! 『ライトニングアロー』!」


 オルアナを守るため駆け出したテイモンに続き、ピーターが拳に雷を宿す。

 バンビエッタも魔法弓に月光の矢をつがえると、他の生徒達も勇気付けられ、続々と戦闘に参加し始めた。


「アタシらも行くよ、ルゥ! ロビンせんせーなら、必ずまた助けてくれるっしょ!」


「うん、ティナーちゃん……!」「裏切り者のクソ教師なんかに、やられてたまるかよ!」


 数の上では不利。鎧騎士の軍勢は、三百体以上はいるように見える。

 対する一年生は、仮に全クラスが戦いに参加したとしても、二百人に満たない。


 しかし――。


「魔法兵は一人につき、兵卒十人分の働き……!」「ロビン先生が教えてくれたぜ!」


「魔法も使えない操り人形なんかに、ウチらが負けるはずないっしょ……!」


 未熟でも、この場にいる全員が『魔法使い』。

 勝機はあると――オルアナも立ち上がった。


「あ~~~うっぜ……。ウザウザのウザすぎだろ……。腰抜けの民主主義者共のくせに……」


 ラビは口汚い言葉と共に、吸い終わった煙草を吐き捨てる。

 そして二本目の煙草にマッチで火を着けると――右手の人差し指を上方に向け、頭上の青白い球体を操った。


「『マジックAI』……完全起動スタートアップ


 ぼんやり青白い波紋を浮かべていた球体は、膨大な数の魔法陣の集合体が、激しく光り輝く。


 すると、青い光に照らされた生徒達は――その場に崩れ落ちてしまった。


「ぐぅ……!?」


「なっ、何だよコレぇえっ!?」


「身体から、力が抜けるっ……!」


「んんぅっ……!」「ヤバイぜ、ヤバイぜぇええっ!」


「アタシの光魔法も、使えないっ……!」


 橋の上で、若い魔法使い達は次々に這いつくばったり気絶したり、惨状が広がっていく。


(まさか……っ!)


 その中で、オルアナは即座に気付いた。この感触。つい最近も味わった。

 勉強漬けの日々で体力や魔力が枯渇し、保健室に運ばれ、しかし担任の教師ロビン・クリストファーに魔力を分けて貰うことで、事なきを得た。


 今はその逆。体内の魔力を――吸われている。


「マジックAIはハイスペックなだけに、大量の電源エネルギーが必要でね。キミ達の魔力は有効活用させて貰うよ。そのために、この場に集めたんだ……!」


 ラビは勝利を確信して笑う。


 二百人近い生徒達を生贄にし、不完全なマジックAIに膨大な魔力を注ぎ、完全起動させる。そうすれば、仮に学園の教師達に勘付かれても、全員を撃退できる。


 それでも尚、オルアナは立ち上がろうとする。テイモンは剣を握り、ピーターやバンビエッタも諦めていない。ルゥとティナーは手を握って励まし合っているが――他の生徒達は、絶望に包まれていた。


「ぅわああああっ……!」


「誰かっ……! 何とかしてくれぇえっ!」


「嫌ぁあああっ! お母さんっ! 助けてお母さぁぁぁあんっ!!」


 苦悶と悲鳴。阿鼻叫喚の地獄。魔力を奪われ、身体が動かず、眩暈と吐き気に襲われる。


 その時――オルアナの青い瞳は、を見た。



「『ミラクル・スパークル』!!!」



 生徒達と騎士の軍勢を割るように。橋の上に、雷が落ちた。


 いや違う。

 その落雷が消えた後には、全身から残光をバチバチと迸らせ、黒い魔導士服ローブを着た――眼帯の男が立っていた。


「……オイ……。俺の生徒達に、何してんだ……!!」


 残された右目は、裏切者ラビを鋭く射抜く。


「……来ましたね、クリストファー先生……。いや……『カノン平原の英雄』!!」


 満月は曇天に隠され、冷たい雨が降り出す。


 春の嵐が、近付いていた。

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