第30話
テントの中で目を覚ますと、一瞬、自分が今どこにいるのか分からなかった。
ここは塹壕の中でも、あの日の住宅街でも、イヨ婆ちゃんの
金曜日の夜。魔物討伐の課外授業に来ているのだった。
学園周辺の森に棲む魔物は、大して強くない。ちょっとした野犬程度だ。
故に優秀な生徒達は苦戦することもなく、昼間のうちに討伐を終えた。この調子なら、土日の駆除活動も問題ないだろう。
一仕事終えた後の
俺は引率教師用のテントの中で起き上がり、首をゴキゴキ鳴らす。
全身バッキバキに凝っている。若い頃は、塹壕の中で気絶するように仮眠しても、それなりに回復したのに。衰えを感じるなぁ。
しかしアラサーの俺と違って、十代の若者ってのは加減を知らない。
引率にラビ先生も同行しているとはいえ、羽目を外し過ぎて火事でも起こしやしないだろうな。
様子を見に行くため、テントの入口を開けて出て行こうとした。
すると――ちょうど俺のテントの中へ入ろうとしていた、銀髪の女子生徒と鉢合った。
「おっ……と。オ、オルアナか」
「……少し良い?」
こんな夜に、何の用だろうか。
クラスメイト達と一緒に火を囲んで、歌ったり踊るような性格ではないと、とっくに理解しているが。
しかし……男教師のテントを、単身で訪ねてくるだなんて。
「あー……っと……」
「……なに? ダメなの? それとも、ピグマリオン先生でも連れ込んでいたのかしら?」
「んなわけないだろ」
コイツもそういう冗談を言うんだな。
別に『やましいこと』があるわけでもないので、テントの中に持ち込んだ寝袋や書籍を隅に寄せ、座れるスペースを作ってやった。
「で、どうした。何かあったか?」
「……それではここで、クエスチョン」
「は?」
ちょこんと座りつつ分厚い冊子を開き、急に出題してきやがった。目的がサッパリ分からん。
「火、水、氷、光、闇の五重魔法を発動する際の、最も現実的な仮定状況は?」
「……『氷の洞窟』だな。暗い洞窟の中、大量の氷を火で溶かして水にし、灯りで光を起こす。ただ闇と光、火と水は互いに打ち消し合ってしまって、一度に充分な効果を発揮する魔法にはならない。……まぁ、だからこそ四重以上の複合魔法は『実現不可能な机上の論理』と呼ばれているんだ」
「……なるほど。その発想はなかっ……いえ、まぁまぁの仮定ね」
そう言ってメモ用紙に、今の言葉を書き留めていった。
てか……コイツが持ってきた本は、俺が保健室で渡してやった資料のひとつじゃないか。
「分からなかった部分があるなら、普通に聞けば良いだろ」
「………………」
反応せず、無言でメモを書き進める。
そして書き終わったのか、ペンを止めると、テント内の何もない場所へと目線を逸らした。
「……だって。私は貴方に、あんなこと言って……。そんな生徒は、指導したくないでしょ」
「まさか。お前も大事な生徒の一人だ。俺に教えられることなら、何だって教えるよ」
「……!」
その時初めて、オルアナは俺の顔を正面から見つめてきた。
入学式の日。跳ね橋を馬車で渡る時に、偶然に目線が合った、あの時と同じ。青空のような色の、大きな瞳だった。
その瞳が輝いたり、笑う姿は未だ見たことない。
それでも俺は、マーカス夫人からオルアナを託されたんだ。
「前も言ったが、一人でやらなきゃ意味がないなんて、そんなことはないと思う。貴族だろうと家族や使用人、たくさんの人間が支えてくれているから、今の立場があるんだろ」
「……弱者の理論ね。私はそうは思わない。……そんな私の主張は、間違いかしら?」
「忘れるなオルアナ。教師や他の生徒、そして俺とお前とで、『どっちが正しいこと言ってるか』の勝負じゃないんだ。お前はそう思っても、俺はそう思わない。それが当たり前なんだ。人の数だけ価値観や人生がある。俺はお前を否定しない。だからお前も、他人を否定するな」
「………………」
説教臭いとか、ウザいと思われるだろうか。けどこれは、偽りのない本心だった。
「……貴方はどうして、そこまでするの? 私だけじゃなく、他の生徒にも」
「え……?」
「結局は他人でしょう? 三年もすれば卒業して、二度と会わないかもしれない」
「……それは……――」
その問いかけに「俺が――だからだ」と答えると、オルアナの表情は少しだけ、綻んだ。
「……そう。やっぱり貴方は、私とは違うわ。……でも、そういう人も、いるのでしょうね」
それだけ言って本を閉じ、立ち上がると、テントの中から出て行った。
……少しだけだが、入学式の時よりかは、態度が軟化している気がする。最初の頃は氷みたいな口調だった。それと比べたら、多少は雰囲気が柔らかい。いやまぁ本当に『多少』だけど。
『そんなに難しい顔しないでよ、プーちゃん。私……プーちゃんには、笑顔でいて欲しいから。それに思春期の生徒達の複雑な気持ちなんて、簡単に理解できたら苦労しないよ』
レットの言葉を思い出す。焦ることはない。少しずつ、互いに理解していけば良いんだ。
「さて……行くか」
思わぬ来訪者に驚いたものの、見回りのため、再び夜の森へ出ようとする。
最近設置された『気象台』という機関の天気予報によると、今夜は荒れるかもしれないらしい。
しかし今は満月が出ており、怪しい占い師より信用ならねぇなと感じる。
その時――ルーククラスの担任、寮では同部屋のラビ先生が、イケメン顔の血相を変えて、俺のテントまで走ってきた。
「クリストファー先生っ!」
「ラビ先生。ど、どうしました」
尋常な様子ではない。汗を浮かべて髪型が崩れ、息も上がっている。
「今、学園から緊急の伝令が……! 『例のブツ』が、マズいことになったと!」
「……!?」
具体的な言葉は使っていないが、即座に理解できた。
学園地下、禁書庫にて研究・開発が続けられている『マジックAI』に、何かあったんだ。
裏庭で見た三人組の、生き残りの一人が行動を起こしたか。もしくは別の侵入者か。
考えるのは後だ。
とにかく俺は、学園長から事前に頼まれていた通り、急いで学園に戻って防衛の任務に当たらなければ。
「分かりました……! 生徒達のことは、お願いできますか!」
「任せてください……! とにかく急いで!!」
そしてテントを飛び出し、学園の森から跳ね橋を目指す。全力で走れば、十分で到着できる。
その途中――俺のテントから出た後にキャンプファイヤーの方へと向かっていた、夜道を歩いているオルアナを見かけた。
オルアナは此方に気付き、ぎこちなく手を上げて、俺へと挨拶らしきものを送ってくれた。
だが俺は、彼女と目線が合っても声をかけることはせず、学園へと駆けていった。
森を駆け抜け、巨大な古城が見える場所まで走ってきた。
管理人の老人に跳ね橋を下ろしてもらい、月光が水面を照らしている湖を渡り、門番に城門を開けてもらって、城内へ入る。
魔物討伐の課外授業は、今日の夜と土日にかけて行われる。故に今の学園内には、上級生も教員も、ほとんど人の姿がなかった。
そんな静かな学園廊下に足音を響かせて走り、急いで階段を下り、禁書庫へと続く扉を開けた。
「――遅れました! 大丈夫ですか!? 一体、何が……!」
そこには――青白く光る巨大な球体が、マジックAIが、変わらぬ姿で宙に浮かんでいた。
「は……?」
「案内ご苦労。用済みだ」
直後。背後から、男の低い声が聞こえた。
俺は咄嗟に振り向きつつ、魔法陣を描き――。
「『シャイニング・ガトリング』」
だが、既に攻撃態勢に入っていた相手には、届かない。
闇の防御魔法すら貫通する光魔法を、頭部に喰らい――俺の意識は、そこで途切れた。
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