六章 エイト・マジック・クリエイト

第29話

 カノン平原の戦いから数日後。


 戦争は終わり、首都は勝利の喜びに沸き立っていた。


 俺は、イヨ婆ちゃんが待つ家へと帰る前に、とある住宅街を訪れた。

 複雑に入り組んだ路地を、迷うことなく軍靴ブーツで踏みしめていく。レットと共によく遊びに行っていたから、道順は知っている。


 そして住宅地の一角にある、白い屋根の、小さな家の前まで来た。


「っ……」


 一瞬、躊躇してしまう。


 しかしこのまま帰るわけにもいかず、入口の扉をノックした。


 すると、中でガタン! という大きな物音が聞こえた。


 次にバタバタと慌てた様子で、玄関まで急ぐ『住人』の様子が伝わってくる。


「――ケシィちゃんっ……!」


 扉を勢いよく開けて、金髪の若い女性が飛び出してきた。


 実の母娘じゃないのに、ケシィの養母――『ミリィさん』は、義理の娘によく似た、美しい顔立ちや髪色していた。


「あ……」


 養子の帰りを、首を長くして待ってたのだろう。家の中からは、ケシィの好物だったアップルパイの匂いが漂ってくる。俺もレットも大好きで、遊びに来た時はよく御馳走になっていた。


 だがミリィさんは、開けた扉の先に立つのが義娘ケシィではなく、鮮血の滲む包帯を額や左目に巻いている――泥と土埃にまみれ、火薬の臭い染み付いた軍服を着る、死人のような顔の――俺を見て、玄関先でへたり込んだ。


「……ぁ、あ、ああぁ……っ」


 この国で何千回と繰り返され、そしてまだ暫くは、何百回と続くであろう光景。


 俺は他の帰還兵や軍部の人間と同じように、事務的な口調で告げる。


「……ケシィ・ウォルト曹長はカノン平原の戦いにおいて、名誉の戦死を遂げられました。二階級特進となり、最終的な階級は少尉となります。……遺品の受け取りと、遺族年金の手続きに必要ですので、サインをお願いします」


 こんな会話、したくはなかった。


 彼女は養子のケシィと仲が良く、本当の母娘や、あるいは年の離れた親友みたいだった。この家の中で、いつも笑い合っていた。

 遊びに来た俺にも天真爛漫な笑顔を見せてくれて、しょっちゅう「ウチの子をよろしくね、ロビン君」と言っていた。


 その笑顔は、今は絶望に変わり――無表情でフラフラと手を伸ばし、書類にサインしていく。


 俺は沈黙に耐え切れず、少しでも何か慰めなければと思って、カラカラの喉から声を絞り出した。


「……俺は。最後の戦いで活躍して、『英雄』だなんて呼ばれていますが……。本当の英雄は、娘さん……ケシィの方です。アイツこそが、この国に勝利をもたらした……真の英雄です」


 ミリィさんは項垂れたまま、全ての感情を失った顔に一筋の涙を流しながら、呟いた。


「……英雄になんて、ならなくて良いから……。……私は、ただ……あの子に……。生きて……帰ってきて、欲しかったなぁ……」


「ッ……!」


 その瞬間。

 俺は、背負っていたライフル銃や背嚢を投げ捨てるように下ろし、膝をついた。

 住宅街の真ん中で、地面に両膝と両手をついて、額を擦り付けるほど、頭を下げた。


「……ごめんなさい。ごめんなさい……。スイマセンでした……! ……ごめんなさい!! 俺がっ……! 俺のせいでっ、全部、俺が悪いんです!!!」


 大声で謝罪する若い軍人を、道行く人々は何事かと見つめてくる。

 だが「そういうことか」と悟ると、復興作業や死傷者の見舞いのため、それぞれの日常に戻っていった。


「俺が弱かったから……! 無能のノロマだったから! アイツは俺を庇って、俺のせいで、死なせてしまった……! 俺をっ、俺なんかの、ためにっ……!!」


 どうして俺はここにいるんだ。

 本当なら、ケシィが「ただいま」って言って、今頃はミリィさんが焼いたアップルパイを、満足げな笑顔で「うめー」と頬張っているはずだったのに。


「もっと勉強して、もっと、俺が強ければ……! たった十五分でも、あの日……! あの時、『体調不良です』とか教官に嘘をついて、訓練をサボっていなければ!」


 顔を上げることができなかった。

 優しい彼女にどんな罵倒をされるのか、いつも笑顔だったこの人が、どんな恐ろしい形相に変わるのか。

 怖くて怖くて、ひたすらに謝り続けた。


「本当にごめんなさい!!! アイツじゃなく、俺が死ねば良かっ……!!」


 言い切る前に。ミリィさんは俺の黒髪を、優しく撫でてくれた。


「ロビン君……」


 驚いて顔を上げると――エメラルド色の目に、一杯の涙を溜めつつ、微笑んでいた。


「……あの子と友達になってくれて、ありがとうね……。ケシィちゃんは、きっと……ロビン君やレットちゃんと出逢えて、幸せだったはずよ……」


 そして震える文字で書類にサインをし終え、金属板プレートでできたケシィの兵士識別票ドッグタグを受け取ると、玄関先で立ち上がった。


 ケシィという人間は、大量の魔導書や勉強道具以外、遺品と呼べる私物はほとんど持っていなかった。チェス盤は士官学校の備品を使っていたし、化粧道具も持っていない。


「辛いことも、たくさんあるでしょうけど……。あの子の分まで、幸せになってね……」


 そしてミリィさんが家の中へ戻っていくと――俺自身の記憶以外に、俺とアイツとの繋がりを証明する物は、何もなくなってしまった。

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