第26話
誰しもが待ちに待った、週末の夜が来た。
生徒達は土日の休みに気分を高揚させ、大人である教師陣にとっても、若者を相手にして溜まりに溜まった一週間分の疲れを癒せる日だ。
そんな疲れた大人の一人である俺は、学園から程近い町の、繁華街の居酒屋に来ていた。
そしてカウンター席のテーブルへと、一番低いアルコール度数の酒が注がれたグラスを、ダン! と置いた。
「なんなんだよぉぉぉ、あの
ガヤガヤ喧しい酒場に、叫びにも似た愚痴が響く。
だが他の客達も大声で会話しており、酔っぱらって下品な猥談や、政府や魔法省への不満、職場の上司の悪口を言っているので、誰も俺のことなんて気にしない。
「良いよ良いよ~プーちゃん。教師らしくなってきたね~」
文句を垂れる俺の右隣では、私服姿のレットが苦笑いしつつ、背中を擦ってくれる。
生徒達の目があるので、最近はレットとの昼食を避けてきた。
しかし流石に、それが何日も続くのは悪いと感じ、せめて週末の飲み会くらいは付き合おうと思ったんだ。
だがどこからか噂を聞きつけた生徒達には「居酒屋デートじゃん!」と、やっぱりからかわれてしまった。無視しておいたが。
「ほらほら飲んで飲んで、ストレスは全部吐き出しちゃってプーちゃん! 優しい優しいレットさんが、全部聞いてあげますからねぇ~」
「いや……もういい……。これ以上はストレスより先に、胃の中身が吐き出る……」
そもそも下戸だというのに、ヤケ酒でダウンしてしまった。右目の視界がグラグラ揺れる。
ちはみにレットは
酒場に入店してから、レットは度数の強い酒を何杯も何杯も、俺の三倍以上は身体に入れている。だが顔色ひとつ変わらない。どうなってんだコイツ。
対照的に俺は顔を真っ赤にして、ひんやり冷たいテーブルに突っ伏す。
これほどグロッキーな状態になっているのは、酒だけが原因ではなく、仕事上のストレスや問題も抱えているからだと思う。
「オルアナの奴……。どうして、あんなに意固地になるのか……」
「……そんなに難しい顔しないでよ、プーちゃん。私……プーちゃんには、笑顔でいてほしいから。それに思春期の生徒達の複雑な気持ちなんて、簡単に理解できたら苦労しないよ」
「……その台詞、なんか先生っぽい……」
「保健室担当でも立派な先生ですぅうっ! 職場では私の方が先輩だってこと忘れてない!?」
こうして酒を飲んで冗談を言い合っていると、まるで昔に戻ったかのようだ。
ただ、俺の左隣――居酒屋の空席に、
「……でもプーちゃん、マーカスさん以外とは仲良くなったんでしょう?」
「まぁな……。ロビン・クリストファーって名前も間違わなくなったし」
すると。カウンター席ではない後方のテーブル席から、一人の男が立ち上がった。
松葉杖をついて、ゆっくり歩み寄ってくる音と振動を感じ、俺は背後を振り向いた。
「……そこのアンタ……。もしかして今……。『ロビン・クリストファー』と言ったか?」
顔を上げ、右目で見てみると。そこにはボサボサの黒髪と黒髭を生やした、右足のない中年親父が、松葉杖を片手に立っていた。
顔だけを見ると浮浪者にも思えるが、艶肌や服装は小奇麗だ。
「やっぱりそうだ……! その眼帯……アンタ、『カノン平原の英雄』だろう!?」
「貴方は……?」
俺を知っているようだが、此方としては見覚えが無い。レットも知らないようだった。
だがその中年親父は背筋を伸ばし、左腕に松葉杖を掴みながら、右手で軍隊式の敬礼をした。
「カノン平原の戦いで、共に戦った経験がある。俺の所属は第六師団で、アンタらとは少し離れた場所に配置されていたが……。……あの戦場では、そんなの関係なかった」
「あぁ……。敵も味方も入り乱れて、大混戦だったから……」
まさかこんなところで、かつての同胞と出会えるとは。
俺とレットも立ち上がって敬礼しようとしたが、片足の兵士は右手で「そのままで構わない」と促してきた。
「一言、礼を伝えたかっただけさ。アンタがいてくれたから俺も、俺の仲間達も大勢死なずに済んだ」
「……いや、俺は……」
礼を言うなら、俺よりもアイツに……相棒のケシィに対して、言ってやって欲しい。
それはレットも同じ気持ちなようで、複雑な表情を浮かべていた。
「いつか直接会って感謝を伝えたいと、ずっと思っていた。おかげ様で、生きて故郷に帰れたんだ。妻と娘の顔も拝めた。五体満足とはいかなかったが、命を拾っただけで儲けモンさ」
その退役兵は、戦場にもお守りとして持って行ったという、古い家族写真を見せてくれた。
白い家の玄関前で撮影したらしく、当時の彼は髭も髪も短く、男前だ。美しい奥さんと、生まれたばかりの可愛らしい赤ん坊が写っている。この子も今や八歳になって、公立学校の初等科に通っているとのこと。
「アンタらも無事で良かったよ。そっちは衛生兵のお嬢ちゃんだろ? よく覚えてるよ」
やたらと若く、それでいて優秀な魔法兵三人組がいると、兵士の間で噂になっていたらしい。
日々の生活の愚痴や、他人の噂話で盛り上がっていた酒場には、閉店時間が近付く。酔った客達は二軒目を目指したり、もしくはそれぞれの家へと帰っていった。
そうして客が減ったことで、その退役軍人の言葉が、俺達二人にはよく聞こえた。
「そういや、もう一人いただろう? ホラ、金髪の……。あの子は今どうしてんだ?」
「………………」
「っ……」
二人揃って沈黙する。
たったそれだけで、興奮気味だった退役兵は、全てを察した。
「あ……。そ、そうか、そうだよな……。……すまねぇ、俺としたことが……」
「いや……良いんだ」
「……だがとにかく俺は、アンタに命を救われた。俺だけじゃない。俺の嫁さんや、娘の未来も守ってくれたんだ。生き残った連中は全員アンタ達に感謝してるよ。なんだかアンタも大変そうだが……まぁ、元気にやってくれ。それだけで良いんだ。それが一番良いに決まってる」
そう言うとカウンターに料金を置き、彼は酒場を出て行った。
酒のせいなのか、片足がないせいか、松葉杖を突きながらフラつく足取りを見送ってから――俺は左目の眼帯に触れ、最後にもう一杯だけ、強めの酒を注文した。
***
「――……だいたいよぉ! 大貴族だか何だか知らないが、学園に来たら他と同じ生徒だろォお!? いっつも『貴方』とか『ねぇ』とか呼びやがってさぁ! せめて『先生』だろ!!」
もつれる千鳥足で歩き、右肩をレットに支えてもらい、どうにか橋を渡ってゲオルギウス学園まで戻ってくることができた。
時刻はすっかり深夜となり、消灯時間もとっくに過ぎている。
「も~っ、プーちゃんお酒弱いくせに何で強いの頼んだの!
レットは何かぶつくさと文句を言っているが、俺の視界はぐわんぐわん揺れているせいで、何言っているのかサッパリ頭に入ってこない。
そうして四苦八苦しながら部屋に戻ると、同室のラビ先生の姿はなかった。週末なので、彼もどこかに出かけたのだろうか。
この醜態を彼の前で晒さなくて良かったと思う。レットは幼馴染だから、今更別に気にしない。
「ホラ、ベッドに寝てプーちゃん! お水飲む?」
「要らん……眠い……。……寝る……」
「寝るならその前に、眼帯外したら?」
そう言ってレットは、眼帯が装着されている左目へと手を伸ばす。
だが――細い指先が、眼帯に触れる直前。その華奢な手首を、俺は勢いよく掴んだ。
「ひゃっ……! プ、プーちゃん!? さ、流石に学園の中ではマズいよっ……!」
薄暗い部屋の中、動揺した声が聞こえてくる。
未成年にも間違われる童顔が、月明りに照らし出され、赤く染まっているように見えた。だがそれは、俺と同じで酒を飲んだせいだろう。
「……眼帯……は……。このままで、良い……」
そう言って、掴んでいた手を離し、布団を被る。そのまま俺は寝息を立て始めた。
「う、うん……。分かった、おやすみ、プーちゃん……。……ビ、ビックリしたぁ……」
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