第25話
「――……うん、じゃあご家族には、私の方から連絡しておくから……」
「あぁ、頼むレット。よろしく」
夕陽が差し込む保健室にて。
レットが部屋を出て行き、もう一度ベッドの方へ右目を向けると――オルアナは、ゆっくりと瞼を開いた。
「……ここ、は……」
「保健室だ。お前は昼休みに倒れて、午後の授業は全部終わって……今は放課後だ」
「ッ……!」
状況を理解し、飛び起きようとする。
しかし体力も魔力も枯渇した身体には力が入らず、背中をシーツから僅かに浮かばせるだけだった。
「寝とけ。レットの診察によると、過労と栄養不足だと。どうせ睡眠も足りていないんだろ?」
「………………」
返事はしないが、諦めて認めたようだ。白いベッドのマットレスが、ギシリと鳴った。
「……自分が情けないわ」
「睡眠も食事も摂らずに、勉強漬けなんてするからだ。鍛えた兵士だって倒れる」
寝ているベッドの脇まで椅子を持ってきて、枕元の小机に温かい飯を置いてやりながら、腰掛ける。
皿によそった、出来立てで湯気立つリゾット。卵とネギを入れて、栄養もたっぷり。
「食え。お前は俺と同じ『生まれながらの火属性の人間』で、俺の魔力をスムーズに分けてやれたが……人間に必要なのは飯だ。それ食って、今夜は勉強せず早めに寝ろ」
「……貴方が作ったの?」
「『貴方』じゃなくて『先生』な。……高齢の養母が亡くなるまでの数年間、一人で介護していたんだ。小難しいのは無理だが、まぁこれくらいはな。材料や調理場は食堂のを借りた。遠慮しなくて良い」
「……要らないわ」
そう言って、性懲りもなく意地を張った――直後。
保健室に、「ぐぅぅう~ん……」という、間抜けな音が鳴り響いた。
右目をぱちくり開く俺。音は、オルアナの腹部から聞こえてきた。
当人は即座に枕を掴み、小さな顔面に押し付け、表情を隠している。
「……窒息するぞ」
「……いっそ、させて……」
形の良い耳が真っ赤に染まっている。……なんだ、意外と年相応の可愛げもあるじゃないか。
「……悪かったな、オルアナ」
「え……?」
貴方が謝罪する意味が分からない、といった顔で、枕をズラして目線を向けてくる。
その青色の瞳を、俺は残された右の眼球で見つめ返した。
「どうしてお前がそんなに勉強するのか、理解してやろうとしなかった。まさか体調を崩すほどとは、思っていなかったんだ。そうなる前に……少しは気にかけてやるべきだった」
「勉強に熱意があるのは良いことだ」と勝手に判断して、他人に干渉されるのは好きじゃないんだろうなと決めつけて、生徒が倒れる瞬間まで、担任なのに放置してしまった。教師失格だ。
「………………」
オルアナは何も言わない。ただ、ベッドに横たわったまま、じっと俺を見つめてくるだけ。
「それと、もうひとつ……。謝らないといけないのは『これ』だ」
そう言って保健室のベッドへ、分厚いノートや参考書を、何冊もドサドサと置く。
オルアナが倒れる時に持っていた、常に肌身離さず持ち運んでいる、彼女の勉強道具。
「何をそんなに勉強しているのか、無許可ではあるが見させてもらった」
「!」
その時初めて、作り物のような表情に、整った顔立ちに、人間的な変化があった。
「お前……宮廷魔導士になりたいんだな」
ノートにビッシリ書き込まれた内容や、集めている資料の種類を見れば、すぐに分かる。何せ俺も、国家試験に八年間も挑み続けたんだから。目的地は、オルアナと同じだった。
そうだと分かれば、今までの言動にも納得がいく。
宮廷魔導士試験を受けるなら、エリート校といえど学生向けの授業ではレベルが低く、真面目に付き合っていられない。
だがそれは、学園に所属する生徒として正しい態度とは言えないだろう。
しかしオルアナの関心は
「……宮廷魔導士試験の筆記試験に、八年連続で通った貴方から見て……どう思ったの? 今の私は、どこまでやれそう? それとも貴方では、判断するのも難しいかしら?」
ぶっきらぼうに聞いてくる。どうしてそう、他人を突き放すような言い方なのか。
だがその質問をする声は、僅かに震えていた。……不安なんだろうな。
「一年生にしては、間違いなくトップだ。二年生や三年生でも、お前の知識量に勝てる生徒は多くないだろう。筆記は何も問題ない。だが……新魔法の開発に、行き詰っているようだな」
「ええ……そうね」
宮廷魔導士の筆記試験は、大して難しくはない。いや、ハチャメチャに難しいけど。だが言ってしまえば、暗記が得意な人間なら誰でもパスできる。
問題は実技試験だ。
魔法陣を描くスピードと正確性、魔力量、魔法発動後の魔力コントロール……。
更に『既存の魔法ではない、新しい魔法を見せよ』という項目が用意されている。
これが本当に曲者なんだ。そもそも既に何千・何万と魔法の種類があるのに、それらと被らない、オリジナルの魔法を発明しろだなんて。
数十年前までは、『新魔法』は天才と呼ばれる者達がその生涯を懸けて、ようやく作り出せるかどうか、という次元の話だった。
「本当に鬼畜だよな。俺もそこで死ぬほど苦労させられて、結果的に八年も連続で不合格だ」
「……だから私も、新しい魔法を……」
「そのためには、もっともっと知識が要るぞ」
リゾットをベッド近くの小机の上に置き、枕元には追加の書籍や資料を置いてやる。
するとオルアナは、驚愕したような顔になった。
「『魔法大全』に記載されている魔法は、どうせ全て把握しているんだろ? だがそれらを突き詰めるだけでは不十分だ。教科書にも掲載されてない太古の魔法、禁術、呪術やルーン魔術にシャーマニズムといった外国の魔法。それと、過去に宮廷魔導士試験に提出されたが、合格には至らなかった受験者達のアイデアとか……。そういうのも勉強しておくと良い」
オルアナとは馴染めないと思っていたが、意外な共通点を見つけ、俺は少し安堵していた。
試験には合格しなかったが、八年間を費やしたノウハウを伝えてやることならできる。
俺が勉強に使っていた参考書のほとんどは、売却したイヨ婆ちゃんの家に今も置いてある。売りに出した家が誰かに買われて、古本として処分されてしまう前に、休日にでも回収してこよう。
とりあえずは、学園の図書室で見繕った、良さげな本達を「コレもオススメだぞ」と渡す。
だが――起き上がったオルアナは、外国魔法の翻訳書を掴み、俺へと投げ付けてきた。
「勝手なこと……ッ! しないでよ!!」
眼帯をしていない右目を見開く。ショックだったからじゃない。
オルアナの言葉は――かつて、イヨ婆ちゃんに俺が言い放った台詞と、全く同じだった。
「私一人でやらないと、意味がないの……! 誰かの手を借りる気なんて、一切ないわ!!」
加えて「それに、貴方は……っ!」とも言いかけたが、その言葉だけは飲み込んだようだ。
……まぁ、言われなくても分かる。
八年も挑戦しといて合格できなかった凡人が、大貴族の天才少女サマに教えてやろうだなんて、おこがましいって話だろう。
「……すまなかったな」
「………………」
椅子から立ち上がり、リゾットも参考書もそのまま、ベッドに背を向ける。
「……けどなオルアナ。一人でやらなきゃ意味がないなんて、そんなことはないと思うぞ」
それだけを告げ、俺は保健室から出ていった。
「――……オルアナ様……」
ロビン・クリストファーが退室していった後。
ベッド下の暗闇から、髑髏の仮面をつけた黒い流体の人物が、ずりゅりと這い出てきた。
「お倒れになる時は、人気のない場所でお願い致します……。周囲の目があっては、私はお助けできません……」
スワンプマンの諫言に、オルアナは答えない。
ただベッドから起き上がり、担任教師が置いていった、いくつもの資料や書籍を見つめた。
「………………」
「……オルアナ様……?」
「……ごめんなさいスワンプマン。えぇ、聞いているわ。今後は気を付けるから」
「はい……。ご自愛、なされますよう……」
「そんな余裕なんてないと、貴方も理解しているんじゃなかったの?」
「っ……」
ベッド脇、斜め下を青い瞳で睨み付けると、髑髏の仮面は怯えるように僅かに揺れた。
そして主人の鋭い目線から仮面を逸らし、小机の上のリゾットへと、黒い触手を伸ばした。
「……毒見をします……」
「……しなくて良いわ。それ、ちょうだい」
黒い触手に皿を乗せたまま、少し逡巡した後、オルアナへと渡した。
受け取った主人はスプーンを使い、まだ湯気の立つリゾットを掬い取って、口に運んでいく。
「はふっ、んぐ、ほふ、あづ、
「……
「……ちょっと黙っててスワンプマン」
「………………」
それきりスワンプマンは黙って一礼し、再びベッドの下へと潜り込み、闇と同化していった。
一人残り、リゾットを頬張るオルアナは、スプーンで口へと運ぶスピードがどんどん上がっていく。やがてはがっつくように食べ、最後は掻き込んで胃袋へと全てしまいこんだ。
「美味しい……」
素朴で庶民的な味。マーカス家の屋敷で出された食事と比べたら、天と地ほどの差がある。
それでも。ロビン・クリストファーの料理は腹を満たし、冷え切った身体を、温めていった。
「……何なのかしら、あの教師……」
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