第27話
その夜。昔の夢を見た。
場面は、終戦する最後の日。カノン平原の戦いだ。
戦後はよくフラッシュバックしていたが、戦争の夢を見るのは久々だった。
酒を飲みすぎたせいか、あるいは酒場で退役兵の同胞に出会ったからかもしれない。
「――……行け! 進めぇぇえええ! 我らの祖国を守っ……ぐぁああッ!!」
帝国軍が使用するライフル銃は、威力も精度も低いくせに、偶然にも命中したのだろう。
「隊長っ!」
「俺に構うなクリストファー伍長! 防衛線を抜かせるな!! 押し返せぇぇええっ!!!」
決死の命令に従い、砲弾や魔法が雨あられと降り注ぐ戦場を、仲間達と共に駆けていく。
「止まらないで、ロビンさん!」
「休んだらそのまま死んじまうぜロビン!!」
「早いとこ敵の魔法兵を潰さねぇと! 雑魚は俺らに任せろクリストファー!!」
仲間の声に突き動かされ、銃弾飛び交う真冬の平原を走り続ける。
ヘルメットは既に吹き飛んだ。足の筋肉は千切れるかと思うほど痛い。肺は今にも破れそうだ。
だが一歩でも立ち止まれば、そこで死ぬ。
殺されないためには、先に殺すしかない。ここはそういう場所だった。
「ロビンっ! 十一時の方角だぜ!」
「了解!」
右翼のサポートに回った
射出するのは鉛弾ではない。弾丸が尽きてしまうと、銃はただの鉄と木でできた棍棒に成り下がる。
しかし水分なら、枯渇を知らない。晩冬の湿った冷気をかき集め、氷の弾丸を精製していく。
「『シャーベット・バレット』」
水気さえあれば、残弾は無尽蔵。
カノン平原の凍った大地に腹這いになって、銃口と殺意を向け――陣地を取り返そうと突撃してくる帝国兵どもを――撃ち抜いていった。
次々に、次々に。名前も知らない彼らの命を、未来を奪っていく。
だが次第に、射出する弾丸よりも迫り来る敵兵の数が多くなってくる。
ならばと、その場から立ち上がる。ここからは白兵戦だ。
「頭下げとけロビン! 『フロスト・ブラスト・エレクト・バースト』!!」
そこへ、ヘルメットから金髪を覗かせる相棒が塹壕を飛び越え、俺の隣に降り立った。
もう既に右翼側への支援は終えたらしい。仕事が早いな。相変わらず、鬼神のような働きっぷりだ。
そんな彼女の唱える魔法は、天まで伸びる竜巻となり、鎌鼬の刃で敵勢を切り裂いていく。
加えて俺が射出した氷の弾丸も巻き込んで、まさに冬の嵐となる。
大粒の氷塊が猛烈なスピードで渦を巻き、大気と擦れ合うことで、火山雷にも似た雷撃が、竜巻の中で発生した。
突風と氷塊と稲妻とで、何十人もの敵兵の身体はズタズタになっていく。
風・氷・雷を組み合わせた三重魔法の竜巻を目の当たりにし、帝国兵達は武器を捨てて敗走し始めた。これで総崩れだ。
「はっはー! オレらの勝ちだぜロビン! 『とっておき』を使うまでもなかったな!」
まさに天候を操る雷神や風神の如き活躍。味方が戦女神と呼ぶのも、納得する光景だった。
帝国軍は大砲すらも放棄し、背中を見せている。――これで、首都の防衛は完了した。
後は掃討戦に移るだろうが、それは歩兵連中の仕事だ。俺達の戦争は、これにて集結。やっと家に帰れる。
無事に戦いを切り抜けた俺と相棒は、握った拳を笑顔で触れ合わせ、勝利に酔いしれ――。
「――ロビン!! 危ねぇッッ!!」
『何か』に気付き、血相を変えたケシィが、咄嗟に俺を突き飛ばした。
直後。俺達の身体は、高く宙を舞った。
全身がバラバラになったかのような痛みが走る。
敵は、撤退のフリをしていただけだった。
追撃してくる俺達の部隊を、その陣形を縦に伸ばし、空爆魔法で中央から南北に分断させた。
火炎の壁と帝国軍に挟まれ、本隊から孤立してしまった追撃部隊。機関銃に狙われた彼らはパニックに陥り、金切り声を上げて次々に倒れていく。
残った本隊にも爆撃や、隠していた迫撃砲による榴弾が降り注ぐ。
だが俺は、そんな戦況をどこか遠くの世界の、無関係な国の出来事にしか感じられなかった。
鼓膜が破けたのかもしれない。轟音と悲鳴、阿鼻叫喚の地獄の中で、ぼんやりと聞こえるだけ。
それに、何も見えないんだ。目が開かねぇ。砲弾か何かの破片が瞼の内側に入ったらしい。
特に左目は、焼きゴテを押し付けられたにも等しい激痛だった。
「……ケシィ……っ! ケシィ……! 返事しろ! ケシィッ!!」
だとしても、痛みなんてどうでも良かった。
相棒の無事を確かめようと、地面に倒れ込んだまま匍匐前進で、芋虫みたいにズリズリと這って、あちこちに腕を伸ばして幼馴染を探す。
「……ロ、ビン……」
ふと、微かに声が聞こえてきた。
良かった。少なくとも死んではいない。
俺は必死に地面を這い、敵軍が使っていた深い塹壕へと、ケシィがいる『下』へと転がり落ちた。
「ケシィっ……! 無事だったか……!」
「よォ、ロビン……。そう言うお前も、生きてたか……相棒……。良かった、ぜ……」
声だけを頼りに、彼女の元へ向かう。
どうやら塹壕の中に落下し、土壁に背中を預けて座っているらしい。
か細く聞こえてくる声を道標に、口の中に入った土を吐き捨てながら、進む。
「怪我はないか……!? 俺の方は、目が……! 上手く、両目が開かないんだ……!」
「……なぁ……。……ロビン……」
安否を確認しようと、負傷していないかを知るため、更に近付いていく。
金髪の頭部に触れ、柔らかい頬を撫で、小さな肩を掴み、胸や腹にも触れる。上半身に穴は開いていないようだ。ひとまずは安心だ。
「オレ、さ……。お前と……
下半身はどうだ。細い腰を両手で包み込む。
そして、太ももや足へ――。
「あ……?」
べちゃり。
指先がかじかむほど寒い冬だというのに。湯のような、生温い、水溜まりの感触がした。
それでいて、あるべき場所に――彼女の太ももや両足、下肢の温もりが、感じられなかった。
なのに、粘り気のある水溜まりは、どんどん広がっていく。
「ケ、ケシ……」
「レットのこと……大事に、しろよ……」
「だ、誰か……! 誰か!! コイツのっ……! コイツの足を探してくれ!! どこかにあるはずだ! 俺のっ……! 俺の、友達なんだ!! 足がッ、誰か……! 衛生兵ーーーっっ!!!」
「ロビン……。なぁ、ロビン……」
嘘だ。そんなはずない。ケシィは俺なんかより、ずっとずっと魔法が上手くて、天才で、口喧嘩でもチェスでも敵わなくて、戦女神と呼ばれ、戦争には勝利して、そ、それで……っ!
「……ロビン……! 聞け、って……!」
胸倉を掴んできて、ぐいと引き寄せられる。
直後。俺の唇に、なにか柔らかくて温かいものが触れた。
血生臭く、ケシィが普段から吸っている煙草の臭いや味もした。
更に――最後の一本に残していた、コイツに奪われた俺の煙草のフレーバーも、微かに感じられた。
ようやく片方の眼球が、右目だけが僅かに開いた。
ケシィは照れたような、無邪気な子供みたいな、悪戯っぽい笑顔で微笑んでいた。
「へへ……。油断、しすぎ……なんだよ……。いっつも、さ……」
「な……」
いつもウルサイくらいだった声は、どんどん小さくなっていく。呼吸も弱まっている。
俺は止血しようとしたが、どこをどう塞げば血が止まるのか、全く分からない状態だった。
「ロビン……お前さ……。お前は、生きろよな……。長生きして、ベッドの上で、死ね……」
「……ふざけんな……! 何言ってんだ……! お前も生きるんだよケシィ! すぐに助けが来る! 俺が傷を塞ぐ! しっかりしろ馬鹿野郎!! いつもの軽口はどうした!!!」
すると塹壕の中へ、一人の兵士が駆け下りてくる音が聞こえた。
「ケシィちゃん! プーちゃんっ!!」
迷彩柄の軍服を着て、緑色の軍帽を被り、腕に白い十字の腕章を巻いた少女――俺達の幼馴染、衛生兵のレットだ。
良かった。これで助かった。三人揃って、故郷に帰れる。
「レット! ケシィが重傷だ! 俺は良いから、先にコイツを治してやってくれ!!」
「っ……!」
だがレットは言葉を失い、その場に立ち尽くしてしまった。
医療箱が、ドサリと地に落ちた。
「……何してんだ! 早く……っ! ケシィを助けてくれ!! モタモタすんな!!!」
「プーちゃん……。ケシィちゃんっ……! ごめん、ごめんね……! ごめん……!!」
塹壕の中で立ち尽くしたまま泣きじゃくり、謝るばかり。
誰よりも、衛生兵として何百人もの負傷者を看取ってきたレットだからこそ、理解していた。
もう、助からない。
「……ロビン……」
ケシィが口を開く。
俺は「もう喋らなくて良い」と言おうとして――ケシィは小さな手で、震える手で、頬にそっと触れてきた。
輝きが消えていく金色の瞳は、俺の右目を真っすぐに見つめた。
「ありがと、な……。オレなんかと……今日まで、一緒に……過ごして……くれて……」
何言ってる。コッチの台詞だ。
才能もない俺の傍にいてくれて、あの日サンドイッチを半分くれて――感謝を言いたいのは、ずっとずっと、俺の方だったんだ。
「お前が、さ……。隣で、ずっと……オレを……見てて……くれた、から……。……オレ、頑張んなきゃ、って……。お前に恥ずかしくない、げほっ、魔法使いに……ごふっ、って……!」
「もう良い……! もう良いから、喋んなケシィ!! 息を吸え! 呼吸しろっ!!」
そんな遺言みたいな冗談、面白くない。悪ふざけにも程がある。口を閉じろ。命を繋ぐことだけに集中してくれ。頼むから、死なないでくれ……!!
だがケシィは、残された生命力を全て振り絞るかのように、真っ白な顔で、微笑んだ。
『――よォ。そこのお前。これ、食うか?』
『よろしくなロビン! これも何かの縁だ。オレとお前は、今日から
『ハイまたオレの勝ちー! チェス弱すぎだろロビ~ン。教官殿の部屋の掃除、頼んだぜ』
『オレのとっておきの魔法は、お前にだけ、お前だから特別に教えるんだぜロビン。墓まで持っていけよな』
『やっぱお前と居ると楽しいわ。宮廷魔導師の国家試験、一緒に受けてくれよ。約束だぜ』
その微笑みは、俺の好きな笑顔だった。
いつだって、ケシィには笑っていて欲しかった。
「あばよ……ダチ公……」
そう言って――ケシィの手は、俺の頬から離れた。
金色の瞳は、輝きを失った。
「……ケシィ……? ……おい、ケシィ……。何言ってんだよ……! オイ、ケシィっ!!」
俺へと告げた、言葉の意味が分からなくて――いや、分かっていても理解したくなくて――受け入れられず、その別れの言葉に、俺は返事をしなかった。
代わりに、喉が枯れるほど名前を呼んだ。何度も身体を揺さぶった。
士官学校の消灯時間が過ぎてもコイツは徹夜で勉強し、何度も寝坊しそうになっていた。だがこうすればいつだって、文句を言いつつも起きてくれた。俺は誰より、相棒のことを知っているんだ。
だが――ケシィが目を覚ますことは、二度となかった。
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