第22話

 それから暫くの数日、俺は気を張っていた。


 あの鎧の騎士達や、怪しい魔法使いの仲間がまた出てくるのは、と警戒していたからだ。


 しかし拍子抜けするほど、入学式以降は穏やかな日々が続いた。

 異変を知らない生徒達にとって、目新しさはあっても、異常性など全く感じない数日間だっただろう。


「なぁなぁ、ロビン先生ぇー! ココ教えてくれよ~!」


 窓から見える樹木に芽吹いた蕾が、五分咲きといった具合に膨らんだ頃。


 三時間目の授業が終わった後に、赤髪のピーターが教科書を開いて、講義中に理解できなかった部分の解説を求めてきた。


「……あぁ。ココは、自分自身の吐く呼気に含まれる水分量も考えないといけないんだよ。高度な水魔法を扱う時は湿度だけじゃなく、汗や呼気の水分も含めて構成式を組み立てるんだ」


「かーっ! 面倒くせぇー!」


 そうは言いつつ、俺が構成式の一例を黒板に描いてやると、「なるほど、そういうことか!」とスラスラ理解していく。

 雷パンチで殴るだけが取り柄ではなく、入学できている時点で、ピーターも優秀な魔法使いということだろう。


「やぁ、クリストファー先生! 勉強より運動が得意そうな、そんな彼の相手ではなく……僕と手合せしてくれないだろうか! あれから、近接戦における剣の訓練も重ねてきたのでね!」


 ピーターに教えていると、貴族の坊ちゃんであるテイモンが、リベンジを申し出てきた。


「いや、今はピーターに講義の補足を……」


「おいコラ、テイモンてめぇッ! 誰が脳ミソ筋肉だって!? ケンカ売ってんのか!!」


「ひぃっ!? そ、そこまで言ってない!!」


「あー、もー。お前ら喧嘩すんな」


 ピーターとテイモンを仲裁しようとしたら、魔導士服ローブの裾をクイクイ掴まれた。

 いつの間にか背後に回っていたバンビエッタだ。

 防御魔法を仕込んでいるとはいえ、戦地帰りな俺の背後に気配を殺して立つとは……恐ろしい。しかも攻撃ではないので、ダークホールは発動しない。


「ねぇねぇ、ロビン先生! 保健医のピグちゃん先生とは、本当に何もないの!?」


「何度も説明しただろ。ただの幼馴染だっての」


「えーっ、ソレ本当に言ってるのぉ~!? でもでも、彼女とかいないんでしょ今!?」


 雌鹿のような高い声に引き寄せられ、ビショップクラスの他の女子生徒達も集まってくる。


「ピグちゃん先生、たぶんクリストファー先生のこと好きだよ!?」


「たぶんって言うか、確実でしょアレは~」


「告白されたらどうするの!? てかデートとか誘いなよ、ロビン先生の方からさ!」


 耳鳴りがしてくる。どうして女子ってのは、いつの時代も恋愛話コイバナが大好きなんだ。

 あっという間に取り囲まれ、質問責めの嵐。

 何度も否定しているのに、なんか……もう、ただ話題の種にして騒ぎたいだけだろ、コイツら。


「てかロビンせんせーさぁ~。アタシのライター、そろそろ返してくんなーい?」


 すると女子集団の中から、金髪ギャルのティナーが前に出てくる。

 豊満な胸を教壇の上に乗せ、上目遣いで俺へとチラチラ見せ付け、「サービスしてあげるけど~?」とか言ってくる。


「制服を着崩すなティナー。それとライターも、まだ返さん。どうせ煙草吸う気だろ」


「んなワケないじゃーん! 学園にいて、タバコなんて手に入らないし!」


 とにかくダメだと却下して、まとわりついてくる生徒達を振りほどき、廊下に出る。次の授業の用意をしないといけないのに、休み時間が終わってしまうだろ。


「ったく……」


 初日は、俺に炸裂魔法の罠を仕掛けてきたくせに。ここ数日で、クラスの大半の生徒は「ロビン先生」「クリストファー先生」と懐いてくるようになっていた。切り替えの早い連中だ。


「……眼帯の新人教師が、そんなに良いもんかねぇ……」


 だが――意外と、悪くない感覚だった。


 まだクラスの全員と馴染んだわけではない。それでも、少なくとも授業は真面目に聞いてくれるようになっていた。初日以降、トラップも仕掛けられていない。


 ただ、オルアナとだけは未だに距離がある。

 成績は誰よりも優秀だが、教室内の誰とも友好関係を築かず、俺の授業も頻繁にサボって図書室で自習していた。生意気にも程がある。


「……ロ、ロビン先生……」


 オルアナのことを考えていると、またしても、俺の背中に声をかけてくる生徒が現れた。


「だーかーらーぁ、分からない部分は放課後にまとめて聞くって、言ってん……!」


 溜息を吐き、語気をやや荒くして振り返る。

 しかしそこには誰の姿もない……と、思いきや。


「あっ……。ご、ごめんなさい……」「酷いぜ先生!」


 誰もいないかと思ったら、身長が低すぎて、右目の視界に入っていなかっただけだった。


 顎を引いて目線を斜め下に向けると、熊の人形を抱える、黒いフードを被った少女がいた。


「ル、ルゥか。すまん」


「うん……。別に、良いけど……」「それよりロビン先生よォ! 新作できたぜ!」


「おぉ、そうか」


 ルゥの用件は、授業内容に関する質問でなく、原稿を俺に手渡すことだった。

 それを受け取り、楽しみにしながら小脇にしまう。仕事終わりに部屋で読もう。ラビ先生にもオススメしようかな。


 別塔で飛び降りを阻止し、共に鎧騎士と戦って以降。書いた小説を担任に読ませ、その感想を作者本人へ伝えるのが、俺と彼女のお決まりの交流になっていた。


「前回はリックがソーランのペルソナだと判明して、親友のアキレスと戦ったところだったよな。消える直前に思い出の塩アイスを二人で食べるシーンで、ちょっと泣きそうになったわ」


「えへへ……」「オイオイ、号泣してくれよな! 読者を泣かせにいったんだからアソコ!」


「……まぁ。次回以降も、感情を揺さぶられるシーンを期待しているよ」


 思えば――イヨ婆ちゃんが死んだ時も、俺は泣かなかった。

 仲間達が戦死しても、相棒のケシィが死んだ時ですら、たぶん泣いていない。涙を流さないまま、俺は左目の眼球を失った。

 血も涙もない人間ではないと思うが、どうしてだろうか。


 しかし考えても仕方ないと思い、「次回の小説の更新も楽しみにしてるよ」とルゥに告げ、教員室へ戻っていこうとする。


 すると――。

 三時間目の授業をサボったたオルアナが、廊下の向こう、図書室がある方向から、一人で歩いてきた。


 休み時間の廊下で談笑していた周囲の生徒達は、道を開ける。

 しかしそれは敬意を払っているのではなく、『関わりたくない、鋭い刃に触れたくない』といった感情の方が強そうだった。

 その証に、オルアナが通り過ぎた後にヒソヒソと話したり、クスクス笑っている者もいる。


 本人にも聞こえているのだろうが、彼女は一切気にせず、分厚い資料をめくりながら廊下を歩いていた。


「……待て、オルアナ」


「………………」


 ピタリと止まる。しかし顔を此方には向けない。

 資料のキリの良いところまで読み終えてから、数秒してから、ようやく顔を上げた。軍人学校で教官にソレやったら、凄いことになるぞ。


「……何かしら?」


「ひとつ。余所見しながら廊下を歩くな。ふたつ。なんで三時間目の授業に出なかった?」


「ひとつ。ぶつからないように気は配っているから問題ないわ。ふたつ。今日の分はパスしても、来週の講義には出るから。それで出席日数は足りる計算なの」


「出席日数は最低限の話だ。もし『飛ばしても良い授業』なんてものがあるのなら、俺達教員はそもそも最初から教壇に立っていない」


 だがオルアナは、注意されても表情を一切変えず、長い銀髪を揺らして教室に戻っていった。

 もちろん、クラスの中で友人とお喋りしたりなんてしない。机に座ってすぐにまた、何か複雑な魔法構成式をノートに書き込み始めたようだ。


「はぁ……。やれやれ……」


 ビショップクラスの生徒達と少し馴染んできたと思ったら、その矢先にコレだ。オルアナとは特に分厚い壁がある。


 それでも今は、次の授業のことを考えなければ、と思って廊下を進むと――。


「あ、いたいた。クリストファー先生っ」


「ラビ先生。どうしました?」


 頭を悩ませつつ歩いていると、金髪イケメンなラビ先生が階段下から上がってきた。


「学園長がお呼びでしたよ。四時間目が終わったら、昼食前に円卓の間に来るように、と」


「……? 分かりました。伝えてくれて、ありがとうございます」


「いえいえ。午前の講義も、次で終わりです。お互い頑張りましょうね!」


 ラビ先生は自身の両手をぐっ! と握って、笑顔で応援してくれた。イッケメェン。


 しかし……学園長から呼び出しを受けるような、悪いことはしてないはず。いや心当たりがないだけで、無自覚に何かやらかしたかな俺。そもそも失敗したから呼ばれているとも限らんが。


「……あっ、プーちゃ~~んっ! 今日のお昼こそ、私と一緒に食べ……!」


「悪いが学園長に呼ばれてるから。また今度な」


 足早にレットの真横を過ぎ去ると、廊下の後方で「……バカぁ!」という声が聞こえてきた。

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