第19話

 俺は即座に立ち上がり、ティナーを背後に庇いつつ、男達から目線を逸らさず告げる。


「……逃げろティナー。アイツら本気だ」


「えっ? 何? ちょ、ヤバくない? ナイフ持ってるけど。アレ本物?」


「逃げろっ!」


 昼間の鎧騎士達はルゥと協力して撃退したが、今回ばかりは巻き込むわけにもいかない。


「――……失礼……」


 すると――薄暗い裏庭の影の中から、突然ヌルリと『何者か』が現れた。


「!?」


「きゃぁあっ!?」


 その何者か――髑髏の仮面をつけた不気味な人物は、真っ黒な身体を液体のようにドロリと歪ませる。そして大蛇を思わせる俊敏な動きで、ティナーの身体へと巻き付いた。


「ちょっ、誰よアンタ!? キモイんですけど!」


 ヤバい。新手か……!


 前方の男二人に気を取られ、背後への警戒を怠っていた。

 『見えている範囲の敵が、戦力の全てとは限らない』。戦場でさんざん経験したはずなのに、八年で俺の感覚も鈍ったか。


 だがしかし。その髑髏仮面に敵意はないようで、武器や魔法陣を構えはしなかった。


「……何だ、アイツは……?」


「誰であろうと関係ない。始末すべき目撃者が、一人増えただけだ……!」


 どうやら黒フードの連中も知らないらしい。蛇野郎は第三勢力か。面倒なことになった。


「私のことはお気になさらず……ロビン・クリストファー先生……。ただ、貴方の真の実力を拝見したいだけです……。この女子生徒のことは心配せず、思う存分に戦いなさい……」


 何を勝手なことを……! と言いたいが、選択の余地は残されていない。


 既に黒フードの二人は駆け出し、此方に迫っていた。

 蛇野郎からティナーを救出しつつ、あの二人を撃退するのは不可能だ。


「『ランドウォール』!」


 仕方なく、眼前の敵に集中する道を選んだ。


 靴底に魔法陣を刻んだブーツで、裏庭の土を強く踏みしめ、一枚の分厚い土壁をせり上がらせる。


「『ブラスト・カット』」


 するとナイフを逆手持ちにした男が、素早くナイフを振るう。

 その鋭い一閃だけで、疾風に近い空気の流れが生まれる。

 そして肉厚な刃に刻まれた魔法陣によって、疾風は増幅される。


「朽ち果てよ!」


 鎌鼬となった烈風が、土壁を一瞬でボロボロに崩壊させた。

 土や石というものは長い年月を経て、やがては雨風によって風化し崩れ去れる。

 その摂理を、この数秒に凝縮したのだ。土魔法の弱点が、水や風属性とされる由縁だ。どうやら半端な使い手ではないらしい。


「『スティール・ディティール』」


 土壁を突破し、左側からは背の低い男が迫る。

 ナイフをしまい、代わりに懐から二本の鉄製の棒を取り出すと、それを魔法でグニャグニャと変質させた。

 そして鉄棒をトンファーの形に作り変えると、固く握りしめ、俺の死角――眼帯をしている左目の側から、空気を切り裂きつつ殴りかかってきた。迷いがない。慣れてるな。


 俺は半身を取り、初撃をかわす。同時に相手の手首へ手刀チョップを叩き込み、握っているトンファーの片方を叩き落とす。

 そのまま、肘による殴打を顎へと喰らわせようとした。


 だが相手は地面を舐めるほど体勢を低くして回避し、鋭い回し蹴りで足払いしてきた。


 咄嗟に反応し、高くジャンプし、風魔法で身をひるがえす。

 そのまま飛び蹴りを喰らわせてやろうと――したが、ナイフを持った方の男が、相方のトンファー男を援護カバーし、風魔法による無数の刃を放ってきた。


 故に闇の防御陣ダークホールが自動発動し、俺は後ずさって距離を取った。


「……流石は名高い魔法学園に所属する教師、といったところか。少しはやるようだな」


「だが少しでも我らの会話を聞いた以上は、絶対に生かして帰さん……!」


「それはどうも……。できれば、夕飯の食堂が閉まる前には帰してほしいんだけど」


 軽口を叩いてみるものの、状況は非常に厳しい。


 コイツらは間違いなく、戦い慣れた魔法使いだ。

 熟練の魔法兵を二人も相手にしなければならず――しかも、三人のうち一人はどこかへ逃走してしまった。


 俺の背後では未だ、ティナーが不気味な髑髏仮面に身体を拘束されている。

 手出しする気はないようだが、かといって手助けしてくれる様子もない。ただじっと、俺の動きや扱う魔法、戦い方を観察しているだけ。ネットリまとわりつく視線が、実に不愉快だ。


「ロビンせんせー! 二対一で大丈夫!? ちょっと、離してよ! この黒ナメクジっ!!」


「……私はナメクジではありません……」


「……大人しくしてろティナー。今のところ、ソイツに害意はないらしい」


「でも……!」


「安心しろ。……俺が絶対、何とかする……!」


 口ではそう言いつつ、実際は不安で仕方ない。

 しかし怯えている生徒の前で、教師がビビったり弱音を吐くわけにもいかない。こういう時、相棒アイツは常に自身満々だった。



『やってやろうぜロビン。オレらなら、どんな敵にも負けないっての。もあるしな』



 敵の大部隊に囲まれて孤立した時も、ケシィは笑っていた。根拠なんてないのに、絶対に生き残ると信じていた。そうやって数々の戦場を乗り越えてきたんだ。


 俺も、そうしないと。左目の眼帯にそっと触れてから、右目で相手を睨むように捉える。


「何とかできるものなら、してみせろ! おごり高ぶる国の教師が!」


「『ブラスト・カット』!」


 突風の刃を生み出しつつ、ナイフを握った本人も、弾丸さながらに駆け出した。

 その背後から、鉄製トンファー使いもまた、相方を盾にし姿を隠して直線で来る。


 アイツらに対抗するための武器を今から生成したり、新たに魔法陣を描いている余裕はない。

 土壁は破られ、闇の防御魔法も発動できるのは一度限り。

 ――ならば、仕方ない。


「クソッ! やりたくねぇが、根性ってやつか! 『ウォーター・サポーター』!!」


 手の甲に刻んだ魔法陣が、赤い光を放って浮かび上がる。

 士官学校に所属した際、皮膚の下にタトゥーとして刻まれた魔法陣だ。

 普段は見えないが、「いざという時に使え」と教官から教わっていた。だが反動が大きい魔法なので、士官学生達は訓練中も戦地に送られようとも、どいつもコイツも使っていなかった。


 だが今こそ、八年ぶりに使う時。それは水属性の魔法。


 しかし『水』とは、真水のみを指し示す言葉ではない。液体――そう、人間の身体は七割が水であり、全身には絶えず血液が流れている。広義の『流水』だ。


 その血流を増幅させ、心拍数を上げる。一時的ではあるが、身体能力を飛躍的に向上させる魔法だった。


「肉体強化か!」


 敵も気付いたようだ。だとしても、もう遅い。

 俺の右目には、全てがスローに見えている。


 裏庭の土がめくれ上がるほど、強烈な一歩で踏み込む。

 そして敵の反応速度を超える素早さで間合いを詰め、ナイフの握られた手首と太い腕を掴んで捻り、抱え上げてから――背負い投げの要領で地面に叩きつける。


「せぇえいッ!」


「がはッ……!」


 背中から大地に落下し、悶絶するナイフ使い。だがその顔をマジマジ見つめてもいられない。

 振り向き様に、右足を軸にして回し蹴りを放つ。強化された肉体で、雷撃のような蹴りで、今度はトンファー男の側頭部へと、左足のブーツの踵をブチ込もうとした。


「ぐッ……!?」


 だが相手も一流。片腕のトンファーでガードし奥歯を食いしばる。

 そしてフリーになっている方の片手で、頑丈な鉄トンファーを振り上げ、俺の背骨を叩き折ろうとしてきた。


「はぁああッ!」


 背骨に金属の棒が直撃する――寸前。


 トンファーによって防がれた左足へ、更にムリヤリ力を込めた。


「うぉぉおおおッ!」


「なにッ……!?」


 血流が上がり、脈拍の値は急上昇し、汗だくな身体からは異常な量の蒸気が噴き出す。


 だが構わず、そのまま――防御されたはずの足を再加速させ、ガードの上から蹴り抜いた。


 トンファーを握った敵を、その身体を、崩れた石垣や煉瓦の山へと蹴り飛ばしてやった。


「が、ぁあッ……!」


 粉々の瓦礫となった石垣同様、骨が砕けたであろうトンファー男は、意識を失う。


「せんせー、後ろっ!」


 だがまだ終わりじゃなかった。

 ティナーの叫びを聞き終える前に、反射的な速度で振り向く。


 そこには、背負い投げしてやったはずのナイフ男が迫っており、肉厚な刃を振り下ろしてきていたが――そのナイフを、俺は片手で掴んで受け止めた。


「白刃取り……!?」


 実際は掴んじゃいない。握手するかのように刃を掴んでしまっては、相手が少しでも動かした際に、指を全て切り落とされてしまう。

 だから、親指と四本の指とで、挟み込んで止めただけだ。手の平は刃に触れていない。

 そして五本の指の力だけで、相手の腕力を封じ込める。


 そのままナイフを真っ二つにベギン! とブチ折ると――両手の拳を握り、トドメの殴打ラッシュを叩き込む。

 顎、こめかみ、鼻骨、鎖骨、胸部、肩、腹部。

 相手も意地で殴り返そうとしたが、拳を握った瞬間に手首を殴り落とし、肘を払う。

 太い両腕を掴んで俺の後方へと引っ張り、それによって接近してきた男の身体へ――みぞおちへ、強烈な膝蹴りをお見舞いしてやった。


「が、ぁぁあああッ……!」


 顔が腫れ、鼻血をボタボタ流し、それでも倒れない。

 普通なら、肉体強化魔法を発動した人間にタコ殴りにされて、気絶しない方が珍しい。余程の鍛え方をしているか、不屈の闘志が故か。


「お、のれ……ぇ!」


 そして男は再びナイフを振り上げた。だが刃はもう折れているはず。

 いや――刀身に刻んだ魔法陣ならば、まだ崩れていない。ここからは、純粋な魔法勝負だ。


「『ストリーム・スパイラル』!」


 屈強な男の背後、学園をぐるりと囲む湖の水面に、高い白波が立つ。

 水と風の魔法で渦潮を作り、そしてナイフを持っていない左手で、別の魔法陣を描いていた。


「『フローズン』!!」


 さざ波同士がぶつかって吹き上がった水滴を、氷魔法で急速冷凍し、凍らせていく。

 春先の水温は冷たく、夕暮れとあって気温もどんどん冷え込んできている。水や氷属性を扱う魔法使いにとっては、有利な状況となっていたわけだ。


「『ミスト・フロスト・ブラスト』……!!」


 氷魔法によって生成された、無数の大槍。弓兵達が一斉掃射する、その直前のような光景だ。


「クソが……!」


 俺一人なら、どうとでもなる。しかし背後のティナーまで守り切れる自信はない。

 謎の髑髏仮面は、暴れるティナーを未だにガッチリ拘束していた。敵の大技の射程範囲内だというのに気付いていないのか、あるいは直撃寸前からでも逃げ切れる公算があるのか。


「終わりだ! 偽りの勝利者どもめ!!」 

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