第18話

「……と、とにかく。もう煙草は吸うなよティナー。学年主任には報告しないでおくから」


「はいはーい。グーディー先生だっけ? あの人マジで怖そうだもんね。助かるぅ~」


「怒鳴られて説教を受けるだけなら、まだマシな方だ。初日からこんな違反で罰則を受けて、折角やりたいことや目標があって入ったのに、もし退学にでもなったら虚しいだけだろ」


 俺がそう言うと――それまで煙草の没収を不服としながらも、明るさを失わなかったのに――ティナーの顔に、影が差した。

 それは陽の当たらない裏庭の中で、一層濃い暗がりだった。


「……別に、やりたいことがあって入ったわけじゃないしぃ」


 その場にしゃがみ、崩れた石垣に背を預け。夕陽を反射している湖の北側を――いや、どこか遠くを見つめた。

 それから蓋付きの手鏡コンパクトを取り出し、化粧崩れをチェックする。だが鏡に映る自身の不満そうな顔を見て、「ブスすぎ……」と呟いた。


「将来の夢とかがあって、入学したんじゃないのか……?」


「そんなのナイナイ。親がココに入れ入れって、昔っからウルサくてさー。……アタシの家、昔はもっと領地も資産も多くて、ブイブイ言わせてたみたいなんだけどね~。なんか、戦争の時に帝国とも繋がりがあったせいで評判ガタ落ちして、でも未だにどうにか今の地位にしがみついているってワケ」


 ……割とよくある話だ。

 開戦直前まで南方の帝国とは交易があり、私的・公的を問わず、関わりのある企業や貴族の家は多くあった。

 しかし俺達の祖国と関係がこじれ、ついに戦争となると、それらの貴族は『売国奴』として侮蔑の対象となった。そのまま没落した家だってある。


「良い学校出て、宮廷魔導士みたいな良い仕事につくか……。もしくは有力貴族の婿でも捕まえて、実家に還元しろだってさ。嫌になっちゃうよねー。いつの時代の話だっての」


 本人の意思や意向を無視し、政略結婚の道具として、その箔漬けのために入学させたということか。

 だからこそティナーのモチベーションは上がらず、隠れて煙草を吸っていたのだろう。


「かといって、他に何かやりたいことも特別ないし~。とりあえずは親の命令に従ったけど……なーんかアタシだけ、他の子とは違うんだよねぇ。ホラ、入学式でカマしたあの子とか。同じクラスになったけど、やっぱ……ああいう目的意識? みたいなの、アタシにはないしさ」


 オルアナのことか。確かに彼女は、他人に対して攻撃的とも言えるほど、意識が高かった。

 それと比べて何の目標もモチベも持たない自分自身を、ティナーは卑下しているみたいだ。


「……そういうの、分かるよ」


「え……?」


 ぽつりと、共感が零れてしまった。

 没収したライターを取り出し、親指で蓋を開けてみる。


 火を点けたり消したりする俺を、ティナーはしゃがみながら、やや驚いた顔で見上げてくる。


「俺も昔から、夢や希望を持って生きてきたわけじゃない。魔法を覚えたのも、軍人や教師になったのも、幼馴染達に誘われたからだ。自発的に何かしたことなんて、皆無と言って良い」


「……へー、そうなんだ。けっこー意外」


「頑張っている奴を見ると、自分が小さく見えるよな。目標を持つのがそんなに立派なのか? って感じる時もある」


「分かる~。なんかさ、『一生懸命に頑張るのだけが正解』って言われてる気がするよね」


「それだけが正解なら、俺はきっと不正解で失敗の人生だ。だけど失敗だからって、生きることまで許されないわけじゃない。……俺がこうして、なんだかんだと生き残っているしな」


 生徒のためとか未来を導くだとか、そんな高尚な教訓は言えない。

 ただ、俺が今までに経験してきた貧弱な人生を活かして、悩みや孤独に寄り添うだけだ。他には何もできない。


「良いんだよ、夢も目標もなくったって。納得するまで探し続ければ良い。見つからないまま死んでいくかもしれないが、それでも……。何もない日々を生きているだけでも良いんじゃないかって、俺は思う」


 そしてオイルライターの蓋を閉じ、火を消してから、再び懐にしまった。


「……ふーん……。……なんかさ、変な人だよね。ロビンせんせーって」


「えっ」


 まさか『変』と言われるとは……。

 確かに、俺なんかに教師が務まるとは思えなかったが、今の話はダメだったのだろうか。やっぱり若者の相手は難しい。


「いやいや、ネガティブな意味じゃなくてね? こういう時って『いつか見つかる!』とか『一緒に探そう!』みたいなこと言うじゃん? そういう説教臭いこと言われるのかなと思ってさ~」


「あぁ……なるほど」


 普通はそれが正しいのだろう。だが未だに答えが見つかっていない俺には、口が裂けても言えない。


「……でも、なんか嬉しいかも。ありがと。学校の先生にそう言ってもらえて、ちょっと気が楽になった」


「そうか。なら良かったよ」


 説教臭いと言われると思ったが、どうやら通じたらしい。ティナーは先程のような、明るい笑顔にまた戻ってくれた。


 ギャルっぽい見た目だから、年上の男性教師の話なんて右から左だと、勝手なイメージを抱いていた。けどこうして真正面から話し合ってみないと、分からないもんだ。

 やはり見た目で人を判断してはいけない。教師であるはずなのに、生徒から教えられるとは。


 そう思っていると――不意に、人の話し声が聞こえてきた。


「……ティナー。お前以外にも、煙草を吸ってる奴がいるのか?」


「え? いや、ここにはアタシしか来てないよ。誰か他に人がいるとか、そういう見つかりそうな場所を選ぶわけないし」


 どうやらティナーも知らないようだ。

 昼間の別塔の件もあるし、俺は忍び足で、声のした方向へ近付いていく。

 しかし何故かティナーも気配を殺しつつ、背後からついてきた。


「……おい。なんでお前まで来るんだよ。寮に戻ってろ」


「えー。なんか面白そうじゃん! アタシも行かせてよ、せんせ~」


 互いに身を低く屈め、小声でヒソヒソと帰れ・帰らないの押し問答をしつつ進むと――ついに、『その男達』の会話が聞こえる距離まで近付いた。


「……ではやはり、本城のどこかに存在するということだな?」


「そのようだ。しかし本城が一番広く、警備も特に厳しい……」


「だからこそ、お前を潜入させたのだろう。猶予はあまり多くないぞ」


 そこには、黒いフードを被った人間が、三人ほど佇んでいた。


 見るからに怪しい。人を見た目で判断しちゃいけないと考え直したばかりだが、見た目からしてメチャクチャ悪者って感じだ。

 背丈や体格、声の低さからして、全員が男と思われる。学園の関係者ではないはず。


 なぜ部外者が学園の裏手に……? 鎧の騎士といい、入学初日から早々、不審な連中ばかりだな。


「……あれ誰? ロビンせんせーの知り合い?」


「そんなわけないだろ。……オイ、背中に乗るな!」


 物陰に、崩れた石垣の陰に隠れて観察していると、背後のティナーが「アタシも見たい!」と身を乗り出してきた。

 俺の背中に寄り掛かり、肩へと小さな顎を乗せてきて、密談を交わす男達を視界に捉えようとしている。

 女子生徒と男教師とで、こんなに密着するのは問題があるんじゃないか。

 豊満な胸の感触が背中に伝わり、頬と頬が触れ合いそうなほど顔が近付く。香水を付けているのか、花のような良い匂いまでしてくる。耳辺りから下ろしている金髪も、俺の頬や耳に触れてくすぐったい。


 あの怪しい三人組は学園関係者に見つからないよう、こんな人気のない場所で密会しているのだろう。

 だが俺も、他人に見つかると色々な意味でヤバい状態だ。とにかくティナーだけは寮に帰さないと。


「『例のアレ』を他の場所へ移すのは、まだ難しい段階だろう。どこかに隠されているはずだ」


「俺達は一度戻り、本国に連絡を……」


「そうだな。では俺は引き続き、学園内に残って調査を――」


 すると。ティナーが更に上半身を乗り出そうとしてきて、俺はそれを支えきれなくなる。


「もう、ちょっとで、顔がっ、見え……!」


「おいっ、ティナー! 待っ……!」


 のしかかられ、体勢バランスを崩し、うつ伏せにドサリと倒れてしまった。

 姿を隠していた石垣の陰から、上半身が露わになってしまう。


 その瞬間。男達の鋭い視線が一斉に、俺と俺の背中に覆い被さるティナーへ向けられた。


「誰だッ!」


「……見られたぞ! 話も聞かれたんじゃないのか……!?」


 マズい。気付かれた。

 男達のうち二人が、懐から躊躇なく短剣ナイフを取り出した。


 残す一人は俺と目が遭い、そして睨み付けるような恐ろしい眼光を向けた後、一人だけ別の方角へ走り出した。残り二人は足止め役で、単身で逃げるつもりか。


「だから敷地外で落ち合おうと提案していたんだ、俺は……!」


「それだと『アイツ』が困るのだと、議論は重ねただろう。それよりも……」


「あぁ……」


 黒いコートを着てフードを被った二人組は、ナイフを握りしめつつ、ジリジリ詰め寄ってくる。


 久々に感じる殺気。昼間に別塔で出会った、虚ろな騎士達からは感じられなかった『覚悟』。


 コイツら――の人間だな。

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