四章 湖畔の戦い
第17話
「……やばい。完全に迷ったわコレ」
ルゥと一緒に教室へ戻り、午後の授業を終え、波乱の初日は放課後を迎えた。
しかしそれでも、俺個人に降りかかる災難は、まだまだ続くようだ。災難というより、自業自得かもしれないが。
「城の裏手だよなココ……。どうして宿舎を目指したら、裏庭に出るんだよ……」
本日の授業課程をこなし、円卓の間での教師ミーティングも終わって、強面なグーディー主任からの『ありがた~いお言葉』と共に業務終了となった。
しかし本来であれば放課後も、部活動の顧問やテストの採点といった、何かしらの仕事があるものだ。
だが新人ということで、ひとまず教員に与えられている宿舎へ戻っても良いと指示された。
ゲオルギウス学園は全寮制であり、生徒達は貴族も平民も関係なく、親元を離れて三年間の共同生活を過ごす。
そしてそれは教師も同じ。なので俺は、住居として与えられた部屋へ行こうと――していたはずが、道に迷ってしまった。
この学園は敷地面積だけでも、小規模な街くらいの広さがある。
それでいて何階層もある本城や、いくつも隣接された別塔が建っている。食堂や運動場や図書館といった各種施設、それらを血管のように繋ぐ無数の歪な通路、更には地下迷宮や隠し部屋も存在し、複雑怪奇に入り組んでいる構造だった。
冗談なのか真実なのかは知らないが、『入学した生徒は三年後に卒業する時ですら、城内の地理を誰も完璧には把握していない』のだという。
「……だからって、教員が迷子になるのは笑われるよな……」
新米教師とはいえ、生徒に助けを求めるのは流石に恥ずかしい。
なので自力で抜け出そうとするが、どんどん人気のない場所へ進んでしまっていた。
夕暮れ時で日差しが届かず、本城の裏手は薄暗い。
怖くはないが、昼間に謎の騎士達に襲われたせいか、何か出てきそうだとも思える雰囲気だ。
「ん……?」
すると。
続いて、煙のようなものも漂ってくる。だがこれはゴーストの類じゃない。
俺は迷いなく、白い煙と香ばしい臭いが漂ってきた方向へと、歩を進めた。
古い石垣や煉瓦が積み重なり、乱雑に打ち捨てられている場所へ出ると――湖の北側を眺めながらお茶会でもできそうな、白い屋根と柱だけの
しかしお茶会をする人間など、とうの昔に居なくなったのか、周囲の草花は自然のままにされて荒れている。雪も多く残っており、机や椅子には埃が積もり、誰も訪れない場所なのだろう。
だがそんな場所に、一人の女子生徒が立っていた。
その女子は、金色の頭髪を派手に盛り上げており、寒くないのかと気になるほど制服のスカートを短く履き、胸元も大きく
何よりも――。
「……あっ。ヤバッ」
女子生徒の口元には、火の点いた煙草が咥えられていた。学園としても、国家としてもルール違反の未成年喫煙だ。
とはいえ俺も、コイツと同じくらいの年齢の時は、戦場でよく吸っていた。だから臭いに気付けたんだ。実に懐かしい。相棒が吸ってたのと同じ銘柄だろう。まだ販売されていたんだな。
当時の俺達の喫煙は、戦時中ということもあって黙認されていた。いつ死ぬか分からない緊張とストレスの中で、一日に何十本とバッカバカ吸っていたもんだ。
実のところ俺は別に好きじゃなく、今はもう禁煙したが。俺も立派に未成年喫煙の経験がある。
だがそれは過去の話だし、今は教師として、厳しく注意しなければ。
「おい、そこのお前……」
「っ……! すぅー……っ!」
喫煙の瞬間を見られた女子は、逃げも誤魔化すのも不可能と悟ったのだろう。火を消そうとすらせず、最後の一服とばかりに、また大きく煙を吸い込んだ。そんな方向で肝が据わるんじゃない。
……と、その生徒の顔には見覚えがあった。ルゥの時と同じように、生徒名簿を取り出す。彼女も俺が担任する教え子のはずだ。
「えーと……『ティナー・サックス』か。中級貴族サックス家出身。属性魔法は光」
「中級とか上級とか、勝手に決めないでくれるー? てか生徒の顔と名前くらい、最初に全部覚えてくるもんじゃないの~? ……えっと……。ケ、ケビン……?」
「ロビン。お前も覚えてないじゃねぇか」
「クリスマス先生?」
「クリストファー先生。お前ら、わざとやってない?」
「あはははっ!」
訂正してやると、何が可笑しいのか、手を叩いてキャハキャハ笑い始めた。
嫌だなぁ……女子のこういう笑い方。
レットも酒に酔うと上機嫌になって、手を叩いて笑う代わりに、俺の肩をバッシバシ叩いてくる。痛いんだよアレ。
「いや~ごめんごめん、ロビンせんせぇー。ごめんのついでに、コレ見逃してくれなぁい?」
「ダメに決まってるだろ」
「だよね~」
最初から無理だと分かっていつつ、ダメ元で交渉したらしい。
ビショップクラスの女子生徒ティナーは完全に諦めて、深く煙を吸い、最後の一服を堪能していた。だから吸うなっての。
「せんせーは何しに来たの~? ロビンせんせーもタバコ休憩?」
「喫煙者なのは昔に引退した。俺は、その……えーっと……アレだ。放課後の見回りにな。お前みたいに校則違反や非行をしている生徒がいないか、校内をチェックして回っていたんだ」
「へー。新入りだと、そういう雑用も押し付けられて大変そうだね~」
本当は、広い学園で迷子になっただけ。
だが生徒にナメられるわけにもいかないので、誤魔化しておいた。
教師には威厳が大事だと、偉そうなグーディー主任からも態度で教わったし。
「とにかく煙草と火を出せティナー。没収だ」
「はいはーい。あーもう、初日から見つかるとか最悪~」
ぶつくさ言いながらも立ち上がり、吸っていた煙草を火魔法で焼き尽くしてから、まだ何本か残っている箱とライターを差し出してきた。
俺が十代の頃は皆マッチを使っていたが、今はこれが主流なのか。
「珍しい? 最近流行ってるんだよね、オイルライター。濡れても使えるから便利だし~」
自動車や飛行機が開発され、こんなところでも時代の移り変わりを感じる。
魔法もいつかは、別の技術に取って代わられるのだろうか、と思いつつ。没収した煙草とライターを懐にしまった。
しかしその時、懐からいくつもの紙切れをバサバサ落としてしまった。ルゥからプレゼントされた、短編小説の原稿だ。
「おっと……」
「あらあら。もー、なにやってるのロビンせんせ~。意外とドジ?」
それを拾おうとして、ティナーも手伝ってくれた。見た目によらず優しいな。
だが、回収した原稿を俺へ渡そうとはせず、勝手にペラペラめくって読み始めた。
「何これ~? ……『堕天使ルシファリオンと、風の妖精騎士ルーナの幻想冒険譚』……? せんせーが書いたの?」
「待っ……!」
ヤッッバい。見られた。
この手の女子は、冒険活劇小説なんかに興味を示すはずがない。『闇キャ』のルゥとは対極にあるような見た目だ。死ぬほど笑われるに決まってる。
ルゥが書く小説のジャンルは、痛々しい造語や難解な設定ばかりの、いわば児童向けファンタジーだ。俺はその夢を応援したものの、ティナーみたいな人間とは読者層が違うだろう。
俺を著者だと勘違いして、小馬鹿にしてくるなら別にそれで良い。
しかし万が一、ルゥの作品であると知ったら――ビショップクラスの教室で『晒し者』にする危険性があった。見た目で分かる。こういうスクールカースト上位者は、俺やルゥみたいな闇キャに容赦がない。
ルゥが不登校になって、塔の頂上から再びダイブする未来が容易に視えた。
どうにかして、絶対に、作者の正体だけは隠し通さないと……!
「『著作ルゥ・カンガスト』? ……あぁ、同じクラスの子じゃん」
本名で書くなよぉぉおおお! ペンネーム考えとけ、ルゥ!!
「ふーん……。へぇー……。なるほどぉ~……?」
「アッ……アッ……。ワァッ……!」
ムリヤリ奪い返すこともできず、短編小説をまじまじと読み進めるティナーに対して、何もできない時間が続く。俺は変な声で喘ぐことしかできなかった。
てかなんで、作者でもない俺が恥ずかしさや絶望を感じないといけないんだ。
そして――。
「――……面白いじゃ~ん! 何考えてるか分からなかったけど、あの子こんな才能あったんだねー!」
「えっ?」
読んでいた原稿から顔を上げたティナーは、純粋な称賛と敬意で、大きな瞳を輝かせていた。
「アタシ、弟が二人いるかさらさ。こういう小説とかも結構知ってんだよね~。ここの文章とか、あの有名作品からインスピレーション受けてると思うよ、絶対。てか文才ある人って凄くない!? 小説どころか、作文すら苦手なアタシじゃ絶対ムリだし~。普通に尊敬するわ」
そして満足そうに読み終えてから、丁寧にページを重ねて返却し、「続きとか他の原稿を貸して貰ったら、アタシにも回して読ませてよ!」と、屈託のない笑顔を向けてきた。
「……『まつ毛バシバシ制服着崩しまくりだけど、オタクに優しい光属性ギャル』……! じ、実在したのか……!」
「はぁ? なに言ってんの?」
感激に打ち震えている俺を、ティナーは「いやキモいんですけど……」と冷たい目で見てくる。しかしその視線が、ルゥやルゥの小説に向けられなくて本当に良かった。
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