第14話
「……そういやアイツ、何食っても腹壊したことなかったな……」
別塔の螺旋階段に座って、左目の眼帯に触れつつ、遠い過去を懐かしんでいるうちに。
レットから貰った弁当を半分ほど食べた。綺麗で美味くて良い匂いで、残飯とは天と地ほどの差がある。
だが俺は今でも、ケシィがくれた汚いサンドイッチの味を覚えている。
アイツと出逢ってからの日々は、何だって覚えている。悪ガキ二人で何でもやった。生きるために必死だった。
そのうちに、同じく孤児のレットとも出会い、三人で寄り添い合って生きてきた。
やがて魔法の才能があることに気付き、国に救われ、それぞれの里親を守るため軍人学校に入った。
そして戦争が始まり、数多の戦場を乗り越え、カノン平原の戦いで、
「――……だよ……で……かもね……」
「……ん……?」
ふと、魔力の流れを感じた。続いて、誰かが会話しているような声も聞こえてくる。
古くて薄暗い別塔に、昼休みの時間に訪れる生徒や教師なんていないはず。
俺という例外はありつつも、それでも確かに、いるはずのない場所に他人の気配を感じた。
「誰かいるのか……?」
階段を上り、頂上を目指す。会話する声はどんどん大きくなっていく。声に近付いていく。
人気が無いのを良いことに、昼間から乳繰り合ってる学生カップルとかだったら嫌だなぁ……と思いつつ。確かめないわけにもいかない。
もし不純異性交遊の現場だとしたら、教師として注意しなければいけないのだから。コッチは結婚相手どころか、彼女もいないってのに。
そうして、別塔の階段を上りきると――。
「……ったく。初日から
「そんなんだから闇キャ卒業できねぇんだよ! 入学したら『まつ毛バシバシ制服着崩しまくりだけどオタクに優しい光属性ギャル』になるんじゃなかったのか!」「……やっぱり、無理……」
そこには、一人の女の子がいた。一瞬「どうして学園に迷子が」と思うほど、小柄な少女だった。
だが着ている制服は、この学校のものだ。制服の下に着た
しかし持っている『人形』で気付いた。女生徒が語りかけ、声色を変えて手足を動かし一人芝居させている、古びたボロボロのテディベア。
その特徴で、彼女が『俺の生徒』であることに。
「えーっと……」
懐から紙束を取り出す。担任するビショップクラスの生徒名簿。人の顔と名前を覚えるのは苦手だが――いや苦手だからこそ、こうしてリストを常に持ち歩いていた。
ペラペラとめくって、該当の生徒を見つける。間違いない。
同時に彼女も、階段を上って現れた俺に気付き、ひどく驚いた表情を浮かべた。
「『ルゥ・カンガスト』か。属性魔法は闇。大商人の家の一人娘」
「先生……!?」
ルゥは、自身と人形との一人会話を聞かれて、かなり動揺したようだ。
抱えていた人形を後ろ手に隠して、どうにか誤魔化そうとしている。……既に手遅れだが。
「あー……。いや、別に隠さなくて良いぞ。もう見てしまったし」
「ぅぐ……」
黒い瞳に涙が滲んでいる。色白な顔が赤く染まり、今にも塔から飛び降りそうな雰囲気だ。
そして――実際に、別塔の縁へと迷わず駆け出した。
「わーっ!! バカバカバカ!!!」
まさか教師の目の前で、生徒が飛びに行くとは。
俺はルゥの背中を
「んーっ! んんぅーっ!!」
「暴れるな! 大人しくしろっ! 抵抗しても無駄だから!! デカい声出すなよ!?」
ここが誰もいない場所で良かった。誰がどう見たって、幼女を誘拐しようとする眼帯の不審者の犯行現場だ。
「ひ、秘密にする! 先生とお前だけの秘密だ! 誰にも言わないから!!」
「……本当?」
その場しのぎのデマカセではない、心から出た言葉で思い止まらせようとする。
そもそも『それ』を言いふらしたところで、俺の評判がガタ落ちするだけだ。
「ほ、本当だ! 約束する! 指きりゲンマンしたって良いぞ!?」
「……ならやめる」
そしてルゥは身投げをアッサリ中断し、元の位置に戻り、壁際に座って此方の方を見てきた。
しかし胸元に熊の人形を抱え続け、どうにも距離がある。警戒しているようだ。
仕方なく俺は右目の視線を逸らすと、周囲に大きな弁当箱がいくつも置いてあるのに気付いた。
中身は随分と豪勢だ。肉から魚介やら野菜やキノコやデザートまで、実家から持たされてきたのだろう。
「……お前もここで昼飯にしていたのか。俺も、静かな場所を探してココに来たんだよ」
対面に座り、煉瓦の壁に背中を預け、残りのサンドイッチを手に取る。
そんな俺の様子を、ルゥは小熊の人形を抱えたまま、じっと観察してくるだけ。
「………………」
「………………」
どうにも会話が生まれない。
一人芝居で称していた『闇キャ』らしく、会話が苦手なのだろう。そもそもボッチじゃなければ、こんなところで飯食っていないか。
とはいえ俺も社交的な性格じゃないし、陰気な女子との会話なんて不慣れだ。
しかしこれ以上、沈黙の昼食にも耐えられず。サンドイッチを飲み込んでから、口を開いた。
「……名前」
「え……?」
「ソイツの名前、何て言うんだ」
熊の人形を指差す。しかし『人形の名前』とは聞かない。
きっと彼女にとっては、この学園で心許せる数少ない味方なのだから。教師になって一日目の俺でも、それくらいは察せられる。
「……『失意の堕天使ルシファリオン』」
「悪魔なのかよ」
「かつては終末戦争アポカリプスを戦い抜いた四大天使の一人だったけど、十六使徒のミカエリスが実は主神との腹違いの兄弟だと知り、『たった一人の叛逆』の後に力を封印され……」
「どんだけ設定作り込んでるんだ」
「!」
はた、とルゥの言葉が止まる。
しまった。マズい。
人形扱いしないはずが、難解な『設定』に思わずツッコミを入れてしまった。
キャラクター扱いするつもりなかったのに、傷付けてしまっただろうか。
「……読む? ルシファリオンの解体全書」
だがルゥは落ち込むことなく鞄をガサゴソ漁り、何枚もの紙を取り出してきた。
俺が生徒名簿を持っているように、彼女も人形の設定資料集を持ち歩いていたようだ。
「オイオイ、ルゥ! ふざけんな! 俺様の真名までバラす気か!?」「大丈夫……。貴方と契約を結んでいるマスターは私……。魂の契約が移り変わったりはしない」
そしてまた声色を変え、熊の人形との一人芝居をしつつ、設定資料のメモを手渡してきた。
受け取った小さな紙には、細かな設定がビッシリ書かれていて、物語における活躍シーンや伏線回収の要素、作中に登場する闇魔法の魔法陣や構成式まで、丸っこい文字で緻密に書き込まれていた。
「……凄い考えているんだな。小説とかにしているのか?」
設定資料だけで、これほどの文章量。本編でどういう役割を果たしているか、感動の別れのシーンではどんな台詞を言うかまで考えられている。それにルシファリオンと関わりのある天使や、他の悪魔達の名前も出ていた。
だから、それを反映させた文章もあるのかと予想した。
「うん……!」「分かってるじゃねぇか、先生ェ!」
どうやら正解だったようで、目元に深いクマが刻まれた瞳をキラキラ輝かせ、更に何十枚もの紙を鞄から取り出してきた。
「す、凄い量だな」
サンドイッチを片手に、受け取った原稿をペラペラめくっていく。
かなりの集中力と時間をかけて書き上げたんだろうな。生徒の趣味や嗜好を知るのも、信頼関係を築くには良いきっかけになるかもしれない。
「これは短編で、コッチが本編で、これは本編から派生した外伝で……!」「オイオイ気を付けろよルゥ! 新規読者にネタバレになっちまうからな!」
たどたどしい口調ながら、自分の作品を嬉しそうに説明していく。
きっと、今まで他人に見せたことは皆無だったのだろう。
「こんなに書いたなら、書籍にして出版してみれば良いんじゃないか?」
ざっと目を通しただけだが、これだけ書けるなら一冊の本にまとめられるのでは、と思って提案してみた。
難解な造語が多々出てくるが、同年代の少年少女には面白い内容かもしれない。
だが――。
「………………」
「……どうした?」
それまでテンションの高かったルゥが、急に説明を止めて、手も止めてしまった。
そして再びクマの人形を口元に持ってきて、目線を床に落とし、代弁させ始める。
「……
「そうか……」
なんだか、どこかで聞いたことのある話だ。
自分の努力が他人に認めてもらえないと、無力感や虚無感、実力不足を痛感させられてツライよな。
「やっぱ、もっと波乱万丈な人生経験が必要なんじゃねぇか? って思うわけよ。俺達」「うん……。ルシファリオンの言う通り……」
「……ん?」
「ホラ、小説家ってクズな奴が多いだろ? 借金したり、女と心中しようとしたり。そもそも部屋に引きこもって文章だけ書いて、それで人様から売上金や印税を貰おうなんて、人間として胸を張れない職業だよな。ハッキリ言って」「私も、そう思う……」
「偏見が過ぎる」
そしてルゥは、熊の人形ルシファリオンを口元から離し、自分の言葉で本音を漏らした。
「だから……もう、学校……辞めようかなって……」
「いや待て待て待て。どうしてそう極端な道に走るんだ」
塔から飛び降りようとしたり、初日で中退しようとしたり。エキセントリック過ぎないか。
「でも……」「作家には、ギリギリの体験が必要だろ!」
「ギリギリの体験を得るため飛び降りたりしたって、死んだら二度と小説を書けないぞ。仮に中退しても、親に反対されて生活が不安定なままでは、作品作りにも集中できないだろうし」
これは俺の経験則だ。家事やイヨ婆ちゃんの介護に時間を奪われ、朝から晩まで資格勉強に費やすことができなかった。それが不合格になった直接の原因ではないにしろ、集中できる環境ではなかった。
「それにだ。最終学歴が中退の作家より、在学中にデビューした方がカッコ良くないか?」
「在学中に……?」「デビュー……?」
「そ、そうだ。現役女子学生が最優秀賞……。最年少記録……! 勉強と執筆業の両立! えーっ! この作家、まだ未成年だったのぉ~!? すっごぉーい! 尊敬しちゃうわ! ……教師でもないのに、お前も『先生』って呼ばれるんだぞ」
「……おぉ……!」「良いじゃねぇか、それ!」
俺の三文芝居は酷いものだったが、それでもルゥの黒い瞳に、再び光が宿る。どうやらノリ気になってくれたようだ。
「卒業まで、まだ三年もあるんだ。なにも途中で投げ出すことはない。勉強しつつ、デビューを目指してみたらどうだ。俺……応援するよ」
「クリスペプラー先生……! ありがとう……!」「応援してくれる奴なんて初めてだぜ! サンキューな、ケミストリー先生!」
「どういたしまして。……ただ『クリストファー先生』な」
一時はどうなるかと思ったが、飛び降りも中退も思い留まるよう、どうにか説得することができた。
初めて、教師っぽい振る舞いができたかもしれない。
「……私、頑張ってみる……!」「うぉおお! 筆を進めろ進めろ、ルゥ!」
そしてペンを取り出し、豪勢な弁当そっちのけで、小説の続きをガリガリ書き始めた。
寝食を忘れて熱中できる趣味があるのは、それだけで素晴らしいことだ。……俺には昔から、そういうのは何もないが。
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