二章 ゲオルギウス学園

第6話

 冬が過ぎ、春が来た。


 日陰には未だ多くの雪が残っている。とはいえ空気は少しずつ、日増しに温かくなっていた。

  木々や草花は蕾を付け、動物や昆虫達が目を覚まし、新しい生命を輝かせ始めている。


 イヨ婆ちゃんが亡くなって行き場を失った俺は、結局――巨大な城門の前に立っていた。


「ここが……」


 『聖ゲオルギウス学園』。

 その校舎の全貌は、馬鹿デカい古城だった。


 この学校は元々、数百年前に大陸全土を支配した覇王『ユリウス・ガイセリック』が、本拠地にするため築城した要塞。

 群雄割拠し百年以上も続いていた戦乱を、たった一代で終わらせた偉大な覇王。その王が亡き後、この荘厳な城は次世代を担う若者達のため、学校として解放された。


 楕円形の、古代では海とも呼ばれていたほど大きな湖の中央。浮島の上に建てられた、まさに物語のモチーフとなるような名城が佇んでいる。敷地面積は下手な村や町より遥かに広いだろう。

 湖畔から渡って、浮島へと向かうため架けられた跳ね橋は、覇王軍が出撃できるよう横幅が充分に取られて作られていた。


 そんな大きな橋の上を、現代では兵士ではなく、制服に身を包んだ数百人の生徒達が渡り、城門を目指して登校してくる。

 中には俺と同じように、天まで届きそうな本城の塔を見上げて圧倒される男子生徒や、あるいは観光地にでも来たかのように、甲高い声で騒ぐ女子生徒の集団もあった。きっと新入生なのだろう。


 初々しくキラキラした幼い顔や、大きな笑い声が、八年という浪人生活を過ごしたアラサーの俺には、湖に反射する朝日より眩しく映る。

 これが若さか。いや、俺があのくらい年齢だった時ですら、あんなにテンション高くなかったと思う。単に性格の問題だな。


 跳ね橋の中央辺りで、そんな風に新入生達を見つめていると――背後から、ガラガラと車輪の回る音が聞こえてきた。


「オイ、邪魔だ! そこの者!」


 背中に怒声を浴びせかけられ、特に驚きもせず其方を振り向く。

 野戦砲の弾を塹壕に落とされた時の方が、よほど肝を冷やした。轟音と衝撃波で、背骨が軋んだくらいだ。


 昔を懐かしみつつ、何事かと振り向いた先には、黒毛の大きな二頭の馬がいなないていた。

 体格が立派で毛並みが艶やかな、そんな馬達の手綱を握りつつ。いかつい顔の男が馬車を操っている。


「さっさと退け! 危ないだろうが!」


 学園に出入りする業者にしては、随分と高圧的……と思ったが、馬車に刻まれている『紋章』を見て気付く。

 交差した二本の剣と、翼を広げる大鷲。それを取り囲む火炎。

 『マーカス家』の紋章か。

 この国で随一と呼べる、大貴族サマの馬車である証だった。


 それに気付いた周囲の生徒達も、橋の端に寄りつつヒソヒソと話し始める。


「なぁ、見ろよアレ……」


「マーカス家の送迎だな」


「ってことは、中にいるのは……」


「嫌ねぇ。入学式の日に馬車で物々しく登校なんて。これ見よがしって感じで」


 あまり良い雰囲気ではないようだ。それも当然か。


 この学園は全寮制で、貴族も平民も金持ちも貧乏人も関係ない。入試に受かって学費を払えば、誰であろうと在籍できる。

 なのに、そんな学園に初日から、従者付きの馬車で城門前まで送迎してもらうだなんて。荷物もたっぷり積んでいるのだろう。


 だがあまりジロジロ観察し続けても、また怒鳴られそうだ。

「すまない」と謝罪してから跳ね橋の脇に退け、道を開けた。


「その魔導士服……生徒ではないな。教員か? まったく……。質の低い教師に、『お嬢様』を任せたくはないものだな!」


 俺の着ている黒いローブを見ると、フンと鼻を鳴らしてから。馭者は馬を鞭で叩き、城内へと向かっていく。


 ――再び走り出した馬車と擦れ違う瞬間。内部で、カーテンが少し開かれた。


 中にいる、銀髪の少女が俺を見ていた。

 互いの目が逢った。


「……!」


 世話役の人間も同乗しているらしい。しかし他の者には視線が向かないほど、その青い瞳に、眼帯をしていない俺の右目は射すくめられた。

 その少女の大きな目は、湖の水よりも透き通った、宝石のような輝きを宿していた。

 邂逅は一瞬。馬車はすぐに走り去る。

 だがどうにも、少女の瞳が印象に残った。おそらく彼女が、マーカス家の令嬢だろう。


「……あっ、いた! プ~ちゃ~~んっ!! こっちこっちー!」


 すると橋の向こうから、白衣を着たレットが手をブンブン振りつつ笑顔で走ってきた。

 しかし俺と同じく馬車に轢かれそうになって、「ひょわぁああ!?」と心底驚く。

「この学園の教師共は、飛び出しが趣味なのか!?」と怒鳴り散らす馭者に対して涙目を浮かべ、何度も何度も「ごめんなさいぃ~!」と頭をペコペコ下げていた。何やってんだ。


「……『プーちゃん』……?」


「今プーちゃんって言ったのか、ピグちゃん先生」


「プーちゃんだと……!?」


「あの眼帯の人のこと……?」


 登校中の、周囲の生徒がザワザワし始める。

 勘弁してくれ。コッチは四捨五入すれば三十歳のオジサンだぞ。


「おはようプーちゃん! 必ず来てくれるって、私は信じてたよ~!」


 しかし当のレットは小走りで駆け寄ってくると、俺の右手を両手で握り、感謝感激といった様子で上下に激しく振る。まるで飼い主の帰宅を、尻尾振りながら喜ぶ大型犬みたいだ。


 だが俺は朝の挨拶よりも大事なことを、この能天気な幼馴染に対して言わなければならない。


「おはようレット。そして忠告だレット。俺のこと『プーちゃん』って呼ぶの、マジでヤメろ」


「えー? でもプーちゃんはプーちゃんだし!」


 そんなやり取りを、跳ね橋を渡る生徒達は、擦れ違いつつも凝視してくる。

 十代の少年少女にとっては、朝から愉快すぎる光景だろう。格好の噂話の種だ。個人的には死ぬほど恥ずかしい。


「ピグちゃん先生、おはよー!」


「おはようピグちゃんせんせ~」


「ねぇねぇ! その人、ピグちゃんの彼氏!?」


 そら見たことか。おそらく二年生か三年生と思われる、レットを知る女子生徒の集団が、ニヤニヤしながら近づいてきた。


「こらーっ! 物覚えは良いはずなのに、悪い子達ね! ピグちゃんじゃなくて『レット先生』か『ピグマリオン先生』って呼びなさい! 去年の一年間、さんざん注意したでしょー!」


 マジか……。よく他人には注意できるなコイツ……。

 俺が何度「プーちゃん呼びするな」って言っても、絶対に聞かないくせに。


「……そ、そそそ、それに、べっ、別に彼氏ってわけじゃ……! いや、まぁ? 私の同級生はだいたい皆彼氏いるし、結婚してたり子供を産んだ友達までいるし、せ、先生もそろそろかなーって、お、思ってはいるけどね……!」


 手で顔を隠して何ゴチャゴチャ言ってる。そして何故、指の隙間からコッチをチラチラ見てくるんだ。

 だが女子生徒達には、それだけで通じたのか、キャーキャー言いながら盛り上がっていた。


「と、とにかく早く学校に行きなさい! もうじき入学式が始まるから!」


 俺との関係を根掘り葉掘り聞こうとする女子達へ、レットは強めに注意して登校させた。

 俺達もまた教員として、入学式に参加しないといけない。準備も色々あるはずだ。


「さ、私達も行こプーちゃん! 教師が初日から遅刻したら、笑い話にもならないよ!」


 そうしてレットに右腕を引かれ、ゲオルギウス城の巨大な正門から城内へと連れて行かれる。


 まだ覚悟も何も決まってはいない。未だ、状況に流され続けているだけなのかもしれない。

 だが立ち止まっているままでは飢え死ぬだけ。生きるためには、コネだろうが何だろうが働かないとな。


 とにかく環境は変わり、新しい日々が始まった。

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