一章 夢が叶わなかった男の話

第1話

 たった一枚のペラい紙で、他者の人生を左右するのは傲慢な態度だと思う。


 郵便受けに積もっていた雪を手で払い、濡れないよう丁重に取り出してやったのに。

 届いた封筒を開けると、書類その中には『本年の宮廷魔導士試験の結果は、残念ながら不合格とさせて頂きます。次回の挑戦をお待ちしております』とだけ書かれていた。


 眼帯をしていない右目で、この文章を拝むのは今回で八度目。

 そして、もう二度と読むことのない文章だった。


「次回の挑戦は、もう無いっつーの……」


 暖炉を焚いた温かい家へ入ったものの、文面を見ていると心は冷えていく一方だ。


 テンプレートだから、いちいち変更したりはしないのだろう。

 それに、上限の八回目まで挑戦した酔狂な人間は、歴史上俺を含めて三人しかいないらしい。

 そのため仕方ないと理解できるが、やっぱりお役所仕事だと思う。


 先の大戦を――『カノン平原の戦い』を生き残り、俺は宮廷魔導士試験への推薦資格を手に入れた。魔法学校を卒業していなくても国家試験を受けられる、ありがたい切符様だ。

 だが試験はいつまでも、何度でも挑めるわけじゃない。

 十八歳から受付は開始され、二十六歳の誕生年を迎えると同時に、受験資格を失う。

 与えられているチャンスは、どんな人間でも八回限りというわけだ。


 俺は、その全てで不合格となった。八年間、負けに負け続けた。


 結局、残ったのは『若者』と呼ぶには年を取りすぎており、しかし『オッサン』と呼ぶには世間を知らない、職歴ナシで人生経験が貧弱な、微妙な人材のみ。ふざけてやがる。


「――……あー……。ぅあー……! ゴウファ、ゴウファ……っ!」


 家の奥から叫び声が聞こえてくる。

 どうやら、ラストイヤーでドン詰まりになった感傷に、長々と浸っている暇もないらしい。


「もう起きたのか……。今朝は早いな……」


 不合格通知を暖炉に投げ入れ、『婆ちゃん』の部屋へと向かう。


 八年かけた努力と挑戦の結果は、暖炉の火に燃やされて、一瞬で灰となった。




***




「イヨ婆ちゃん。おはよう」


 部屋に入ると、婆ちゃんはもう目覚めていた。

 昼過ぎまで寝ている時もあれば、こうして早朝から起きている場合もある。


 ただ、今朝は『ダメなモード』のようだ。


「ゴウファ、ゴウファはどうしたんだい? 呼んでも来ないのよ……!」


 カーテンを開け、部屋の中へ日光を入れる。

 曇り空から差し込む、冬の朝陽は眩しい。こんな時だけは、左目の眼帯が役に立つと言えなくもない。


 そして残った右目で、一人息子を不安そうに探している老婦人を見つめる。

 ベッドの上に横たわり、朝の日差しに照らされる婆ちゃんの髪は、昔と比べてすっかり白くなった。

 皺にまみれた肌の血色も良くない。手足は枯れ枝のように痩せ細った。臀部や腰、肩や背中の床擦とこずれもどんどん悪化している。


 もう何年も前から、こんな状態だ。


「ゴウファなら学校だよ」


「あぁ、そうだったの……。なら良かったわ。一緒に寝たはずなのに、目が覚めたらどこにもいなくて……。じゃあ、帰ってきた時のために食事を用意してあげないと。貴方の朝ご飯も、今作りますからね」


 数年前に庭先で転んで骨折し、足が不自由になり、もう自力では起き上がれない状態なのに。

 息子の食事を、そして夫と見間違えている俺の朝食を用意しようと考えているらしい。


 枕元の小机に、花瓶や水差しや薬と共に置いてある、写真立て。

 その古い写真には、まだ元気だった頃のイヨ婆ちゃんと、古物商で財を築いた旦那さんが映っている。

 そして息子であるゴウファも写真の中で、士官学校に入学する時の凛々しい軍服姿で、微笑んでいた。

 年を取ってからできた息子であるらしく、可愛がっていたのだろう。穏やかな顔立ちや、立派な体格を見れば分かる。


 だがゴウファは、十年前に亡くなった。

 南方の帝国と開戦する引き金になった襲撃事件で、要人警護中に、爆破テロに巻き込まれて死んだ。


 しかしイヨ婆ちゃんは、そんな一人息子の死すら忘れてしまった。


 俺は何度か「ゴウファはもう死んだよ」や「どこに行ったのかと聞かれたって、墓の下で骨になっているとしか言えない」と、直接伝えたこともある。

 しかしそんな事実を突き付けても、悲しませるだけだった。

 それに、またすぐに忘れてしまい、何度も同じ質問を繰り返してくる。なのでここ数年は「士官学校に行っている」とだけ告げるようにしていた。


 そんな説明をする俺は、イヨ婆ちゃんの本当の息子でも孫でもない。ゴウファの死後、この家の養子に入った孤児だ。

 旦那を失い、息子も失い。そんな悲しみの中でも、小汚い浮浪児天涯孤独の俺にマトモな生活を与えてくれた養母婆ちゃんには、感謝しかない。


「起きようとしなくて大丈夫だって。食事は俺が作るよ。昨夜のシチューがまだ残ってるから、温めてくる」


「でも……。妻である私が、貴方に食事の用意をさせるなんて……」


「俺は旦那さんじゃない。ロビン・クリストファーだよ」


 聞き取れるよう耳元で、大きな声でハキハキと伝えてやる。

 するとイヨ婆ちゃんはハッとした表情になり、申し訳なさそうにしていた。


「あ、あら、そうよね、そうだったわ。ごめんなさいねぇ、ロビン……。間違えて呼んで。毎日毎日、いつも貴方にばかり迷惑かけて……」


「良いんだよ婆ちゃん。俺の方こそ、さんざん面倒を見てもらってきたんだから」


 寒さで萎れかけている花の、花瓶の水を窓から捨てつつ。「気にしていないさ」と告げる。


 本当に、苦労をかけたのは俺の方だ。


 二十六歳になるまでの、今日までの八年間。仕事もせず資格試験だけに没頭できたのは、俺自身の軍人恩給に加えて、婆ちゃんの遺族年金もあったからだ。死んだ後もゴウファは、天国から母親に仕送りをし続けている。尊敬すべき孝行息子と呼べる。


 だから俺も、婆ちゃんの世話をしないと。養母を介護するのなんて、別に苦じゃない。苦じゃないんだ。


 訂正してやれば、会話が成立するだけマシだ。高齢者達が暮らす集合施設には、右も左も現在の日付も、自分が何者かすら分からなくなった老人が大勢いるらしい。

 会話の通じない・血も繋がっていない人達を、そんな他人の親や祖父母を相手に、介護している職員だっている。それが仕事とはいえ、彼らも非常に立派だ。


 俺なんて、苦労しているうちに入らない。入れちゃダメだ。


「ところでロビン。レットちゃんとあの子は、今日は遊びに来ないのかい?」


「……レットは学校の保健医になったから、仕事だよ。いつまでも学生じゃないんだ。それと、アイツは……」


 言葉に詰まる。ゴウファの死を誤魔化す時は、スラスラ言えるのに。

  左目の眼帯に、指先でそっと触れてから。声が震えないよう努めつつ、なるべく軽い調子で答えた。


「……アイツは昔から、フラフラしてる奴だしな。旅に出て、今頃はどこかの町のレ

ストランで、朝飯を食っている頃だと思うよ」


「あら、そうなの。良いわねぇ旅行。私も昔はね、お父さんとゴウファとで、よく色んな場所に出かけて……」


 十年前の息子の死は忘れても、それより更に昔の話や、若い頃の記憶はハッキリ残っているらしい。

 昨日の食事は思い出せずとも、養子の顔と名前が曖昧になっても。二十年や三十年前に旅先で食べた料理は、正確に記憶しているようだ。

 しかしそれらの記憶も、少しずつ消えていくと医者は言っていた。


 俺もいつかは、こうなるのだろうか。

 だが老年期のことは忘れて、試験に落ちまくった二十代を――介護してばかりの日々を思い出す、ボケた爺さんになるのは嫌だなと思った。

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