ロビン・クリストファーは魔法の先生

及川シノン

プロローグ

-Life is gone-

「オレ、この戦争が終わったらさ……。お前と結婚しようと思うんだ」


 凍える塹壕の中。

 すすけたヘルメットに雪を積もらせつつ、泥まみれな緑色の軍服を着て、左隣に座る相棒が、不意にプロポーズしてきた。


 またが始まったな。俺は相棒の言葉を真に受けなかった。


  肺が凍てつきそうな空気と共に、煙草を深く吸ってから。溜息と一緒に紫煙を吐き出す。

 疲労と眠気で、全身が鉛のように重い。戦場のあちこちで立ち昇っている黒い煙みたいに、すっと立ち上がるなんて無理そうだ。

 突撃命令、三時間後とかにならねぇかなぁ。


 そんなボンヤリした思考を巡らせてから、ようやくカラカラの喉から返事が出てきた。


「……それ死ぬ奴の台詞だろ」


 互いに、握ったライフル銃の手入れなどしない。ヤニ休憩が優先。

 それに俺達は『魔法兵』だ。

 ヘルメットもライフルも、他の兵士と区別を付かなくさせるためのカモフラージュ。


 だが、塹壕の中でくだらない冗談を言い合う部分は、歩兵連中他の仲間達と変わらなかった。


「いやいや、これが微妙に違うんだよ。まぁ聞けって。『生きて故郷に戻ったら、将来を誓い合った恋人が待っていて』……ってのは、よくある話じゃん? だから、そこを少~しズラすことで生き残ろうって寸法よ」


 まさに名案といった様子で、金色の大きな瞳を輝かせている。

 実際、相棒は魔法を扱う技量や発想力に関しては、俺の遥か上を行く天才だ。


 ……なのだが、『天才と何とかは紙一重』というか。たまにこうして、突拍子もないヒラメキを言い出す。

 しかも、そのほとんどが「聞いて時間を無駄にした」と思える与太話だった。


「どっちにしろ、死にそうな提案にしか聞こえん」


「んだよ、ノリ悪いなー。それともお前は、オレと結婚するの嫌かよ? ロビン」


「一発の魔法で十人はブッ飛ばせる嫁さんなんて、普通は嫌だろ」


「ははっ、それもそうだな」


 乙女が一世一代のプロポーズをして、それを冷たく断られたというのに。陽気な笑い声が塹壕の中で上がる。


 愉快な声が響いていった先の空は、暗く重い曇天で蓋をされていた。

 数分前に止んだ粉雪が、またしても降ってくる。凍った地面には草一本生えておらず、気温は一向に上がりそうもない。

 凍傷になりかけていた足の指先は、もう痛いを通り越して感覚がなかった。靴下は二重じゃなくて三重にしてくるべきだったな。


 まぁ……死ぬほど寒いが、もうじき春が来る。

 戦争もそろそろ終わる。雪解けの季節には、故郷に戻れるだろう。


 それまでの辛抱だ。煙草を吸って、相棒の冗談でも聞きながら、時間を潰していよう。そうすれば、案外あっという間かもしれない。

 負傷した兵士の「痛い、痛い」と呻く声や、家に帰りたくて啜り泣く、大の男達の弱音よりかは、馬鹿話の方がいくらかマシだった。


「ロビンはなー。レットみたいな女の子女の子してる方が好みだもんな~」


「レットは関係ないだろ」


 今ここには居ない幼馴染を持ち出されて、強めに否定する。

 レットが嫌いなわけじゃない。ただ今のところ、誰とも結婚する気がないだけだ。


 何より相棒は、女子力の高いレットと自分を勝手に比較して、自己評価を下げることがたまにある。金髪の癖っ毛であるのを、急に恥ずかしがったりもする。

 俺は、それが何となく嫌だった。


 次の突撃まであと十数分。もし敵が先に仕掛けてきたら、その時間も繰り上がる。

 いつ死ぬか分からない戦場で、できればコイツには自信満々でいて欲しい。この陣地において、魔法兵はもう俺達二人しか残っていないんだから。


「……まぁ。でも、そうだな……。生き残ったら考えてみるよ。お前との結婚」


「え、いや、やっぱいいわ……。ロビンとの夫婦生活とか、クソつまんなそうだし……」


「叩くぞお前」


 睨み付けてやると、またケラケラ笑う。


 地獄のような――収容しきれない死体が野ざらしで転がっている、地獄そのものな――戦場だというのに。まるで子供みたいな笑顔だった。お互いに十七歳で、まだまだガキと呼べる年齢かもしれないが。


「あー笑った笑った。……なぁロビン、タバコくれよ」


「もう無い」


「今お前が吸ってるのがあるじゃん」


「これが最後の一本なんだよ。察しろ」


「頼むって~。オレのはもう二日前に切れちまったんだよー。死んでも死にきれないぜ~」


 俺の左腕を掴んで揺らし、煙草をねだり始める。

 昨夜、敵の奇襲に誰よりも素早く対応し、陣地防衛で一級戦功を挙げた奴の姿か? これが……。

 『カノン平原の戦乙女』だとか『勝利の女神』なんて呼ばれて、仲間内から頼りにされている人間とは思えない姿だ。女神様がヤニ欲しさに駄々をこねるかよ。


「……あ! 南の空に攻撃型魔法陣!!」


 すると。戦の女神は、急に真剣な表情で叫んだ。


「!?」


 冷や汗が流れる。咄嗟にライフル銃を――ライフルの木製の銃床に、魔法陣を刻み込んだ『魔法杖』を――掴んで、上空へと素早く構えた。

 もう敵の攻撃が始まったのか。火属性か土属性か、とにかく瞬時に判断して、対抗の防御魔法を発動しなければ。


 だがしかし。

 ヘルメットの鍔を押し上げて、心臓をバクバク鳴らしながら見据えた先には――変わらぬ冬の曇り空が広がっているだけだった。


「あ……?」


「隙アリっ」


 古典的な方法で注意を逸らした相棒は、俺の口元から煙草を奪い取りやがった。

 取り返そうとしたが、既に目いっぱい吸い込んでいる。

 そして大量の紫煙を吐き出し、恍惚の表情を浮かべていた。


「うめぇー」


「テメェ……っ!」


 怒りと呆れと、急に動いたせいもあって、頭がフラつく。

 コイツがついた不謹慎な嘘のために、周りの仲間達も肝を冷やした。魔法陣から降り注ぐ爆撃を恐れて、塹壕の中でうずくまる者や、頭を抱えて「嫌だぁあああ」と半狂乱になる兵士までいる。

 だというのに、戦友達のトラウマを刺激した張本人は、満足げに俺の煙草を味わっていた。


 マジでゲンコツでも一発叩き込んでやろうか。……いや、やっぱやめておこう。どうせ負ける。喧嘩でもチェスでも魔法試験の点数でも、この女には一度だって勝ち越した試しがない。

 初めて会った時からそうだった。あのゴミ捨て場で出逢った日から今まで、変わらない奴だ。


「……お前、絶対に天国に逝けないぞ」


「当たり前だろ。オレ達ゃ人殺しだぜ」


 ごく自然に言ってのける。そういう部分もブレない。

 生き残るためなら、何でもやるタイプの人間だった。己の生命を繋ぐ名目で、他者に不利益を与える行為に、責任を感じても後悔はしない。俺と一緒に何だってやった。

 そういう意味では、スラム街あの頃もこの戦場も、命懸けであることに大差はなかった。


「けど、地獄に行くまでは人生を謳歌しないとな。戦争が終わったら、安定した恩給と『宮廷魔導士試験』への推薦状が貰える。試験をパスして宮仕えになれば、金持ちの仲間入りだぜ」


 随分と楽観的だ。仮に国家試験への受験資格を得たとしても、そこから合格するには、更に狭き門をくぐらないといけないのに。

 ……だがコイツなら、きっと余裕でクリアするのだろう。


「お前もオレと一緒に宮廷魔導士になろうぜ。ロビン」


「……どうだろうな。俺はまず、生き残れるかどうかだ」


「そうだよなー。お前、オレがいなかったらこの戦場だけで三回は死んでるもんなぁ」


 それは事実なのだが、足を引っ張っている奴かのように聞こえて、訂正したくなる。

 俺だって、この平原で敵の魔法使い十四人、歩兵五十六人と、帝国の開発した新兵器『戦車』を三台も潰してみせた。十七歳この若さで二級戦功を挙げた、優秀な魔法使いのはず。


 とはいえそれを主張しても、コイツは俺の倍、いや三倍以上の戦果を出している。反論されて終わりだ。

 なので、話題を逸らすことにした。


「……レットは誘わないのかよ」


「アイツは回復術士だからな~。医者とかになるんじゃね?」


「かもな。もしかすると、すぐに良い相手を見つけて退職するかも」


「むしろオレらの中で一番早く結婚するっしょ、レットちゃんは。女のオレから見ても可愛いし」


「そうだろうな。お嫁さんってイメージも一番浮かびやすい」


「……結局、余り者同士のオレらでくっつくしかないかぁロビン」


「それは嫌だって言ってんだろ」


 相棒は声には出さず、煙草を咥えた口元を緩めて笑っていた。


 俺はライフル銃を点検し始め、自決用に残している拳銃の残弾もチェックしながら左目で、相棒のそんな横顔を忘れまいとする。戦場でしか見せない表情も、そろそろ見納めだろう。


 ――もうじき戦争は終わるはずだ。


「我らだけが選ばれた人種である」と優生思想を唱える敵国は、最初こそ奇襲や新兵器を用いて、大勝利を重ねていった。

 だが次第に連合諸国の物量や、戦場に投入された魔法使い達の活躍に圧倒され、今やほとんどの戦線で敗北と撤退を重ねている。


 しかし、相手も諦めていなかった。

 起死回生の一手を打とうと、俺達の国の首都を目指して機動戦を展開した。

 そこを、近辺に駐留していた部隊である俺達が駆け付け、侵攻をギリギリで食い止めている状況だ。


 この防衛ラインを死守し続けていれば、連合軍が帝国の狭い領土を、一気に全面制圧する。

 ここにいる俺達は勝たなくて良い。カノン平原を抜かせなければ、決着は他の戦場で付けられる。首都を守り切ったら、連合の勝ちだ。


 とはいえ、敵も逆転の一手に国家存亡を賭けている。死に物狂いで首都を落とす気概なのだろう。

 突撃してくる敵の顔は、どいつもこいつも愛国心という名の狂気に染まっていた。今までに会敵したどの兵士よりも手強く、どの戦場よりも平原ココが、一番の激戦地だった。


 敵も味方も互いに生きるか死ぬかの、そんな地獄の中で。

 相棒の金髪と金色の瞳だけは、輝きを失っていなかった。

 たとえ雪で凍り付き泥にまみれ、何日も風呂に入っていなくとも。ずっと気高さを保っていた。


 昔から不思議な奴だ。ゴミ捨て場にいた頃と、まるで変わらない。


「……なぁロビン」


「なんだ」


 そろそろ煙草を吸い終わる。俺が大事に残していた、最後の一本。

 だが相棒は、顔をしかめた。


「オレ、この銘柄あんま好きじゃないんだよね」


「俺はそんなことを言うお前があんま好きじゃない」


「ぬはははっ」


 鈴の鳴るような声で大きく笑った。声は綺麗なのに、笑い方が奇妙すぎるだろ。


「はぁー、やっぱお前と居ると楽しいわ。終戦したら宮廷魔導士の国家試験、一緒に受けてくれよ。約束だぜ」


「先の話だろ。今は生き残るのが重要だ」


「ロビンはいつも『今』の話ばかりするよな」


「お前が『未来』のことばっかり想いすぎなんだよ」


 出逢った頃から、コイツは未来の話ばかりしていた。孤児で、路地裏のゴミ箱を漁っていた時も、無限に広がる将来を少しも疑わず、常に目を輝かせていた。

 コッチは毎日毎日、生きるだけで必死だったのに。どうせ末は盗賊にでもなるか、野良犬やドブ鼠みたいに、無様に野垂れ死ぬしかないと思っていたはずなのに。


 根拠のない明日への期待や自信に溢れているコイツが、相棒のことが、俺はずっと――。


「オレ達ゃ未来ある若者だぜ? こんな所で死んでたまるかよ。人生これから、一生青春さ。青春を謳歌する権利は、全ての若者に平等に与えられている。その権利を侵害する奴は、誰であろうとオレの魔法でぶっ飛ばしてやるさ」


 コイツには、きっとそれができる。魔法の才能だけで、浮浪児から戦女神と呼ばれるまでに成り上がった女だ。俺は相棒のオマケでしかない。


 けど……俺もそろそろ、未来への展望を抱いて良いのだろうか。

 だがそれを言うと、何だかまた茶化されそうなので、冗談で流しておくことにした。


「……なんかそれ、いよいよ死にそうな人間の台詞だな」


「マジ? やっべ。じゃあ今のやっぱナシで」


 こんな風に、くだらないお喋りをずっとしていたい。死にたくねぇ。生きて帰って、コイツと俺とレットの三人で、またあの小汚い酒場で食事をしたい。

 酔っぱらって、笑い合って、飲み過ぎて、もう立てねぇ眠い吐きそうって言ったらレットに呆れられて、それから――。


「――来たぞ! 南方から攻撃型魔法陣!! それと敵の第一陣だ!!!」


 今度は性質の悪い冗談ではない。見張りからの、本物の敵襲報告だ。

 まぁ……今から全員で死地へと勇んで飛び込むのだから、どっちにしろ悪い冗談みたいな話ではあるが。


 俺と相棒はライフル銃型の魔法杖を握りしめ、塹壕の中で重い腰を上げる。

 他の兵士仲間達も覚悟を決める。いや、覚悟は既に決めてきた。弾倉を確認し装備をチェックし、煙草やガムや唾を吐き捨ててから、背筋を伸ばして立ち上がり、人殺しの顔になる。


「さぁて、正念場だぜロビン」


「あぁ。行くか」


 相棒も煙草を吸い終え、軍靴ブーツで踏み潰して火を揉み消す。

 今までに吸った煙草よりも多くの敵兵の亡骸を、俺達はこれから踏み越えていく。


「なぁロビン」


「なんだよ」


「今度は、オレの好きな銘柄タバコを買ってくれよな」


「お前が俺の吸ってるのに鞍替えしろ」


「ぬはっ」


 また口元を緩めて笑う。敵と、その更に向こうにある、輝く未来を見据えたまま。


 そんな横顔を、俺はコイツの右隣から見ていた。

 ずっと、この双つの瞳で見つめてきた。


「――行け!! 行け行け行け! 祖国を守り切れ!! 総員、突撃ぃぃいいいいっ!!!」


 部隊長の号令に背中を突き押され。爆撃される塹壕を、仲間達と共に勇ましい絶叫で飛び出して。晩冬の野原を、狂ったように駆け出した。


 上空に描かれた巨大な魔法陣からは、無数の火球が降り注ぐ。

 地上の迫撃砲からも、人間サイズの弾が飛んでくる。

 鼓膜が破けそうな轟音を鳴らし、凍った大地を抉り、積雪を一瞬で蒸発させて。人間を小石みたいに跳ね上げながら、数多の命を奪っていった。




 ――後に『カノン平原の戦い』と呼ばれる会戦において、俺は魔法兵として一級戦功を挙げた。


 首都侵攻を喰い止めた『英雄』と褒め称えられ、国王から直々に勲章を与えられた。


 その代わりに、左目の眼球と、相棒を失った。


 幼馴染で、戦友で、家族であり、勝利の女神は、腰から下を吹き飛ばされて死んだ。


 俺の吸っていた銘柄の煙草が、アイツにとって人生最後の一本となった。

 実を言うと俺は、別に煙草なんて好きじゃなかった。むせるし臭いし、値段も高いし。

 でもアイツが好むから、付き合いで吸い始めた。煙草休憩している間も、アイツの隣に居たかったんだ。


 戦争が終わった、あの戦いの日以降――俺は、一度も煙草を吸っていない。

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