第21話 大政奉還

 十月――、一部の佐幕派による、大政奉還の動きを察知した倒幕派は、洛北の岩倉具視邸を訪れた。

 実相院の楓はすっかり紅葉し、吹く風も冷たさを増していた。

 岩倉が倒幕に傾いたと誰から聞いたのか、やって来た面々に岩倉は軽く嘆息した。

「こんまんまでは、オイたちの腹が納まりもはん」

 そういったのは、薩摩の大久保一蔵である。

 表情を引き攣らせる面々に対し、岩倉具視は冷静だった。

「以前にも言ったが帝の勅命は、簡単には降りんやろなぁ」

 岩倉はこの日も、お気入りの茶器を手にしていた。

 薩長はなんとしても武力倒幕を決行するという。

 しかしそれで動けば、ただの暴徒となる。

 大久保一蔵は、岩倉に朝廷を動かしてほしいという。

 岩倉に、朝廷復帰の許しはまだ出ていない。

 仮に復帰したとて、朝廷を倒幕に傾けるほどの力はないのである。

 確かに、帝の勅書があれば大義名分が成り立つが――。


 帝が詔書を発するには、律令に定められた以下の手続きを経る必要があった。

 中務省なかつかさしょう内記ないきが草案を作成し、帝が一旦それに日付を加える。

 さらに中務省の責任者、きょう大輔たいふ少輔しょうの三人が内記の記した官位姓の下に自署を行い、それぞれの下に「宣」「奉」「行」の一字を記す。これを「案文」と称する。

 案文の複製を成案の草案として作成し再度、中務省の責任者の署名を加えて帝の御璽ぎょじを押印した後に太政官に送付し、今度は外記が大臣・大納言の官位姓を記して日付を加える。

 草案は帝への奏請そうせいの一文とともに、太政官の会議にかけられて、太政大臣以下の大臣・大納言の自署を加えた後に、大納言が繰り返し調べて、帝に申し上げる。

 帝は覆奏された草案の年月日の横に「可」の字を記入する。

 ここでようやく、成案の草案は正式な詔書となる。

通常の勅書ならば問題はないが、倒幕を急ぐためには少々手間がかかり過ぎである。

 ならば、どうすべきか――。

 

「岩倉さま……!」

 急く大久保に対し、岩倉は軽く笑った。

「せやけど――、方法はないことはない」

 そう、方法はある。今の彼に朝廷を動かす力はないが、工作はできる。

「それは……」

 大久保が口を開きかけた。

「これはわしが朝廷の外にいるさかい、できることや」

 岩倉はすぐに動いた。

 彼はある一文を記した。


 ――詔を下す。

 徳川慶喜は、歴代長年の幕府の権威を笠に着て、一族の兵力が強大なことを頼りにして、みだりに忠実で善良な人々を殺傷し、帝の命令を無視してきた。

 そしてついには、先帝が下した詔勅を曲解して恐縮することもなく、人民を苦境に陥れて顧みることもない。

 この罪悪が極まれば、今にも日の本は滅んでしまうであろう。

 ちんは今や、人民の父母である。

 この賊臣を排斥しなければ、いかにして、上に向かっては先帝の霊に謝罪し、下に向かっては人民の深い恨みに報いられるだろうか。

 これこそが、朕の憂い、憤る理由である。

 本来であれば、先帝の喪に服して慎むべきところだが、この憂い、憤りが止むことはない。我が臣下は、朕の意図するところをよく理解して、賊臣である慶喜を殺害し、時勢を一転させる大きな手柄をあげ、人民の平穏を取り戻せ。これこそが朕の願いである。

 少しも迷い怠ることなく、この詔を実行せよ。


 いわゆる、倒幕の密勅である。

 しかしこの密勅に、帝が日付をいれる御画日、帝の御璽、太政官の主要構成員の署名はない。

 当然である。

 この密勅は岩倉と朝廷内の倒幕派公卿のみが知るものであり、すぐさま薩長に下った。

 公武合体から倒幕に傾いた岩倉が朝廷の外にいたからこそ、成し得た技である。

 しかし、薩長に倒幕の密勅が下りた翌日――、彼らは茫然とさせられるのである。

 

                ◆◆◆


 龍馬が五年ぶりに土佐に帰り、大阪を経て京に入ったのは十月九日のことだった。

 河原町の材木商・酢屋すやの二階にて、龍馬は欄越おぼしまごしに下を流れる高瀬川を見下ろしていた。海援隊は京にも活動拠点を置いている。それがこの、酢屋である。

 酢屋主は代々、嘉兵衛の名を名乗り、現当主・六代目嘉兵衛は材木業を営む一方で、高瀬川の水運を利用した運送業も営んでいた。

 高瀬川沿いには土佐藩や彦根藩、加賀藩などの藩邸が建ち、また伏見を経て大坂にも格好の地であった為に、主人・嘉兵衛の理解と援助により、龍馬はこの酢屋を京での住まいとしたのである。

 それから数日、吉報は届いた。 

 十月十四日――、京・二条城にて将軍・徳川慶喜が諸大名を前に、帝に政権返上をすると言ったという。

 翌、帝が勅許。

 ここに約三百年近く続いた徳川幕府は、終わりを告げた。

 

 この大政奉還の裏に、土佐藩前藩主・山内容堂がいたのは間違いない。

 西郷たちの武力倒幕を抑えるべく、土佐藩艦・夕顔丸で京を目指したとき、龍馬は同乗していた土佐藩参政・後藤象二郎に、船中八策の案を言った。



「まさか、幕府に物申すつまりか? 坂本」

 八か条からなる船中八策――、後藤は瞠目した。

「わしはただの土佐郷士ぜよ。そげなことはできん」

 龍馬は苦笑して、後藤に視線を合わせた。

 後藤は、龍馬の意図がわかったらしい。嘆息した。

「――わしの出番というわけか……」

 後藤は土佐藩で参政に就いている。

 しかもこの後藤を、藩で誰が一番信頼しているかといえば――、そう、山内容堂である。

 龍馬は更に続けた。

「そして最終的に大樹公の背を押すのは――」

 名前を出さずとも、後藤には山内容堂だと判断するだろう。

 大政奉還ならば、倒幕に異論な容堂でも動く――、龍馬の読みが間違いなければ、慶喜の背を容堂は押す。

 

 後に後藤から聞いた話によれば、容堂は老中に大政奉還の建白書を出したという。

 ここで慶喜が幕府維持に拘れば話は頓挫するが、やはり慶喜も限界だったようだ。

 ついになった、大政奉還――。


「坂本さん、これからこん国はどうなるが?」

 海援隊士・千屋寅之助の問いに、龍馬は軽く嘆息した。

「まだちくっと混乱するじゃろうのう。ほんぢゃけんど、わしの仕事はこれで終わりじゃ。わしは政には興味ないきにの」

 これからこの国は、新しく生まれ変わる。

 異国に対し堂々とものを言える、強い国へとなるのだ――。

 ふと龍馬は、武力倒幕に燃えていた中岡慎太郎のことが気になった。

 今は、どこにいるのやら――。


 それから十日後、龍馬は後藤から福井行きを命じられる。

 山内容堂の書簡を、越前前藩主・松平春嶽に届けよというのだ。

 龍馬が福井の旅籠・莨屋旅館たばこやりょかんに入ったのは十月末のことだった。

 そんな莨屋旅館に、龍馬を訪ねて福井藩士・由利公正ゆりきみまさがやって来た。

 由利公正は春嶽がまだ幕府政事総裁職だった頃、春嶽の側用人だった人物である。

 しかし長州征伐を巡り、対立した征伐不支持と薩摩藩や長州藩など雄藩支持の両派の提携を画策したものの、支持が得られず福井にて蟄居・謹慎処分となったという。


「坂本どのは、新政府に入らないつもりか?」

 龍馬はここでも、新政府になぜ加わらないのかと聞かれて苦笑した。

「わしは、宮仕えは苦手やき」

「だが朝廷に、政を担う力があるとは思えん」

 確かに朝廷は、長らく政権から離れていた。

「政は朝廷だけがするもんじゃないがよ。由利さん」

「それはわかっているが……」

 龍馬の指摘に、由利は渋面になった。

 

 この国がこれから辿る道の先にあるのは希望の光か、それとも闇か。

 それは世の流れというよりも、人の行動次第だろう。

 これまでの政は、幕臣や諸藩の藩主が老中などに就いていたが、これからは各諸藩から有力な人材が輩出され、帝を中心に政がおこなわれる。

 そう思えば、この国の先にあるのは希望の光だろう。


「いい、天気じゃ」

 京へ戻る船の上で、龍馬は空を見上げた。

 やはり、海はいい。

 次は、異国に行ってみるのもいいかも知れない。


 慶応三年十一月――、龍馬三十三歳の旅の空であった。

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