第13話 倒幕へ! 中岡慎太郎と乾退助の決意

 慶応三年五月――、この日の空は快晴ではあったが、この男の心はそうではなかった。

 土佐勤王党にも参加していたが、その勤王党は藩に弾圧され、彼は土佐脱藩を余儀なくされる。文久三年、九月のことである。

 当時の土佐藩は、時勢というものがわかっていなかった。

 いや、かくいう彼もそうだったのだが。

 中岡慎太郎――、武市半平太のもとで剣術を学び、やがて尊王攘夷に燃えることになる男である。

 彼は龍馬と違って郷士でもなく大庄屋のせがれとして生まれたが、国を想う気持ちは同じだった。

 

 土佐を脱藩した中岡は長門国ながとのくにに逃れ、長州藩に身を寄せる。

 長州藩内で同じ境遇の脱藩志士たちのまとめ役となり、周防国すおうのくに・三田尻に都落ちしていた三条実美さんじょうさねとみら七卿の衛士となり、長州はじめ各地の志士たちとの重要な連絡役となっていった。

 蛤御門の変には、浪士部隊・忠勇隊ちゅうゆうたいの一員として参戦したが、長州軍は惨敗し、追い打ちをかけるように、昨年に馬関海峡ばかんかいきょうを航行する異国船への砲撃の報復として、英国エゲレス米国メリケン・フランス・オランダの四ヶ国艦隊による攻撃を受ける。

 中岡が攘夷の無謀を悟ったのは、このときである。

 だが外圧は強まり、幕府は異国の無理難題にいまだに答えを曖昧にしている。


 ――中岡、こん国は弱虫ぜよ。こん国が強くならんことには、ほんに異国の属国になりゆう。こん国は、四方を海に囲まれちゅうがやき。


 京で龍馬と再会した中岡は、彼からそう言われた。

 龍馬はかつて、世界地図というものをある男から見せてもらったという。

 それによれば異国に比べこの国は小さい島国で、文化も文明もこの国より遥かに進み、現在のこの国がどう逆立ちしても勝てぬと、龍馬はいう。

 馬関海峡での異国船との戦いを受けて、中岡も富国強兵へ舵を切った。

 この国が異国の圧力に屈することなく、対等な交渉力と軍事力を身につける――、それが二人の共通の道にもなった。


 土佐藩の現在の藩論は公武合体から、欧米の議会制の知識を導入し、会議制度によって幕府権力の再編をはかろうとする公議政体論こうぎせいたいろんである。

 既に幕府に見切りをつけていた中岡だが、前藩主・山内容堂が四侯会議のために上洛した。だが容堂は、この会議にほとんど顔を出さなかったらしい。

 幕府との衝突を避けたとするらば 、徳川恩顧の人間らしい彼だが。

その四侯会議は将軍・徳川慶喜に主導権をとられて失敗し、薩摩藩国父・島津久光はかなり憤慨していたという。


 ――中岡さぁー、薩摩もはらを決めもうした。


 西郷吉之助は、そう倒幕の決意を中岡に語る。

 長州藩に続き薩摩藩も倒幕に傾けば、呼応する諸藩も出てくるだろう。

 中岡はすぐに、ある男に京へ来るように文を書いた。

 それが、乾退助いぬいたいすけである。

 

          ◆


「――中岡、幕府を倒すっちゅう話は本当かえ?」

 京にやって来た乾は、渋面で口を開いた。

「ほんぢゃき、乾さまを呼んだがです。四侯会議の結果は知っちょりましょう?」

「さすが酔翁すいおうさまじゃの。またあの癖が出ちょったようじゃの」

 酔翁――、山内容堂の異名である。


 酔翁の意は、見かけ上の意図とは別に、本当に求めているものがあるということで、酒とは関係ないが、乾がいう酔翁は、その言葉通りの意味らしい。

 酔えば勤王、覚めれば佐幕――、山内容堂が四侯会議でとった行動を、乾は堂々と揶揄やゆしたのである。

 現在は懐を開いて話し合っている中岡慎太郎と乾退助だが、過去にある因縁がある。


 

それは土佐勤王党が結成され、反対勢力を殺害し始めた頃である。

 当時の乾退助は容堂公の命によって、土佐藩上士による勤王隊の隊長であった。

 文久三年一月――、朝廷から江戸鍛冶橋藩邸にいた容堂公に対し、上洛の要請があったという。

 勤王隊が容堂公を警護し、品川を出港したのは七日後のことらしい。

 だが天候悪化により下田で足止めされ、そこに幕臣・勝海舟がやってきて、龍馬の脱藩放免を願ってきたという。

 この場に、乾はいたらしい。

 土佐勤王党は、別部隊となる上士勤王隊が、乾退助によって突如結成されたことに動揺した。彼らは上士勤王隊は名ばかりの勤王隊で、実際には開国を誘導するための乾の謀略ではないかと感じるようになった。


 ――こんままじゃと、上士勤王隊がわしらに対抗する第二の勤王党となりゆう。乾を放っておけんがよ。わしらが疎外そがいされるがやきにの。


 勤王党の面々は、乾も殺害対象に含めた。

 この時点では、中岡と乾は敵同士である。

 その乾が、突然失脚する。

 実は彼も、尊王攘夷派だった。

 中岡は意を決し、乾と対峙たいじした。


「おまんがわしに会いに来たがは、わしが失脚したきに、その真意を探る気じゃろう? ほんぢゃけんどその話に移る前に聞きたいことがある。以前、勤王党おまんらは京でわしを斬ろうと企てた事があっちょろう?」

 いきなり詰め寄られ、中岡は焦った。

乾を斬ると言ったのは中岡ではないが、土佐勤王党で乾を斬るという話が出たのは実である。

「滅相もございません」

 中岡は、シラを切った。

「いや、天下の事を考えればこそ、あるいは斬ろうとしゆう。あるいは共に協力しようとしゆう。その肚があるのが、真の男やきおまんも、そげな男であろう?」

 ごまかしは通じぬとみた中岡は、覚悟を決めた。

「確かに、そん通りがです」

このいさぎよさが功を奏したのか、乾が笑った。

「それでこそ、天下国家の話が出来るがよ。中岡慎太郎」

 こうして二人は、ともに手を取り合う仲となったのである。



大殿おおとのはまだ、幕府がどんな状態かわかっちょりません」

 おそらく山内容堂に、倒幕の意思は微塵もないだろう。

 関ヶ原の戦以降、家康公により一国一城の主となった山内家。

 その徳川を裏切るなど、藩士が束になって説得したとしてもこればかりは容堂公とはいえ譲らないだろう。

「ほんぢゃけんど、わしらだけではどうにもならんちゃ。勤王党にいたおまんなら、わかるじゃろう」

 乾はそういって腕を組み、眉間に皺を刻んだ。

 乾がいうには、倒幕のために奔走すれば、土佐勤王党が弾圧されたように、藩はまた弾圧してくるのではないというのだ。

「――西郷吉之助を、覚えちょりますかえ?」

「薩摩の……?」

「もし薩摩が倒幕に傾いた――といえば、どうがです?」

 この中岡の言葉に、乾が瞠目した。

「あの薩摩藩が……」

「もはや世の流れは、誰にも止められんがです。たとえ、大殿であろうと」

 四侯会議は幕府側に有利に進んだが、将軍・慶喜と薩摩藩国父・島津久光の対立により、薩摩藩が公武合体から倒幕へ傾くきっかけとなった。

 二人はその夜、東山の料亭・近安楼きんあんろうで、安芸藩・船越洋之助、土佐藩・福岡孝弟ふくおかたかちからと討幕の策を練ったのだった。


            ◆◆◆


 伊呂波丸事件に関する長崎での交渉は、次第に海援隊に有利に運び始めた。

 長崎丸山で謡われていた俗謡が、紀州藩を困らせたらしい。


 ――船を沈めたその償いは、金をとらずに国をとる。


 この謡は龍馬が考え、芸姑たちに謡わせたものだったが、御三家・紀州藩五十五万三千石を相手に「国をとる」という気概は、町人や諸藩の士から喝采を浴びたらしい。

 長崎にいる紀州藩・明光丸の紀州藩士たちは、確かにたまらないだろう。

 すでに国際法が書かれている万国公法ばんこくこうほうが通じないことは、龍馬もわかっていた。

 万国公法を和訳すれば、海援隊の方に非があるとわかってしまう。おそらく明光丸側は、もう和訳済みだろう。

 龍馬はひとり、二曵にびきの旗を手に取る。

 それは伊呂波丸のトップマストで翻っていた、海援隊の旗である。

 危機に瀕していた亀山社中から、土佐藩傘下・海援隊となった龍馬たち。

 またも訪れた崩壊の危機に、龍馬は手にした旗を握りしめた。


 ――これは戦いやき、負けられんがよ。


 しかし明光丸も必死と見えて、明光丸に乗船していた紀州藩勘定奉行・茂田一次郎は「戦も辞さぬ」と後藤象二郎に言ってきたという。

 これに怖じる、龍馬ではなかった。


 ――ほいたら、戦をするがじゃ。


 龍馬はこのとき、さらなる手を打つことにしたのであった。


 

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