第7話 四賢侯、招集

 料亭・清風亭にて後藤象二郎との会談を終えた龍馬は、亀山の地に帰ってきた。

 驚いたのは敷居を跨ぐなり、社中の面々がぞろぞろやって来たことだ。

 やはり捕まったのではと、心配していたらしい。

「――大袈裟おおげさじゃのう……」

 龍馬はいつものくせで、頭をかく。

「ほんで、後藤は!?」

「なぁんも」

「なにもなかっちょったわけじゃないじゃろう!?」

「とりあえず、わしらが捕まることはないがよ」

 後藤が言ってきたのは土佐藩が諸藩に比べ遅れていること、薩長と繋がりを持ちたいこと、そして亀山社中を土佐藩の傘下にしたいことである。

「――後藤を信じるが?」

「後藤さんは、わしらの知っちゅう上士とは違うがよ」

 

 人というものは、逢わねば人となりがわからぬ。

 龍馬が会った後藤象二郎という男は、あえて昔のことを持ち出さず、将来の大局を語るに終始する要領を得たところと、話題を自分中心に仕向ける才気に富んだところだった。

 だが、亀山社中が土佐藩傘下になることは、この日は保留となった。

 たとえこの長崎で土佐商会を任されている後藤であっても、脱藩を犯している社中の面々を公に使えない。

 さらに、龍馬が提案した件が後藤を黙らせた。

 


「藩の下につく気はないがよ」

 これに後藤の口に運ぶ盃がピタリと止まった。

 予想外の返事だったらしい。

「ならば、薩摩の下につくつもが?」

「誤解してもらっちゃ困るぜよ。わしらは、どこの藩にもつかん。当然幕府にも朝廷にもじゃ。わしらの仕事は、物資の運搬や仲介業じゃ。物が足りんと困っちゅう所なら、何処へでも船で駆けつける。それがたとえ――、幕府の気に障ることでもじゃ」

 後藤は黙っていた。

 彼のことである。

 今回の長州征伐で、長州藩がなにゆえ幕軍に勝てたのかある程度は予想がついただろう。

 そして龍馬は提案したのだ。

 土佐藩に組み込まれても、自由は貫くと――。

 後藤の返事はなかった。

 


 ――ちと、誤ったかのう……。


 せっかくの機会を潰してしまった感がある、龍馬であった。

薩摩藩から社中の面々に金は出ているが、はたしていつまで続くやらである。

 しかし、後藤象二郎と会ったことに、憤慨した人物がいた。

 姉、乙女である。

 

 龍馬はなにかにつけ、乙女に文を送っていたが今回はこれが災いした。

 姦物役人かんぶつやくにんと会うとはバカタレ――と、お怒りの返書が来た。

 じつは乙女は、亡き武市半平太に想いを寄せていた。

 恋は実らなかったが、武市を切腹に至らしめた男の名は乙女に刻まれたようだ。

 彼女に、世情の云々をいったとてわからないだろう。龍馬は、国の大事に奔走していることを書き、後藤と会ったのは土佐のためだと書いて送った。

 

 土佐は間違いなく、変わりつつある。

 徳川恩顧とくがわおんこの土佐藩・山内家が幕府への幕引きに傾くには時間がかかるかもしれないが、幕府の弱体化はわかっていよう。

 龍馬は武力での、幕府終焉ばくふしゅうえんを望んではいない。

 朝廷に政の返上――、大政奉還たいせいほうかんである。

 かつて、早い時期に大政奉還を口にした男がいた。


 ――幕府は速やかに朝廷に政を返上し、朝廷の下、諸大名が一つとなり、大小公儀会を開き、国是を決定して開国に向かうべきである。そのためならば徳川は、一大名になっても構わぬ。


 そういったのは当時、御側御用取次だった幕臣・大久保一翁おおくぼいちおうである。

 ただ当時は早すぎた。大久保一翁のこの大胆な意見具申は、職掌しょくしょうを超えた越権行為とみなされ、謹慎処分となったという。

 龍馬はその後の文久三年、勝海舟の仲介で大久保一翁に会っている。

 大久保一翁は、勝を見出した男でもあったのだ。

 

 ここにきて、彼の大政奉還論が龍馬の心の中で蘇った。

 しかし幕府にも、意地があろう。

 自らの意思で、朝廷に政を返すことはしないかもしれぬ。

 だが哀しいかな、龍馬は一介の脱藩浪人に過ぎない。

 現在の幕府に、龍馬の声に耳を傾ける人間がいるとすれば、勝海舟しか思いつかない。

 しかし勝とて、将軍に訴えるほど偉くはない。

 お偉方は性分なのか、とかく身分に拘るから困りものである。


                ◆◆◆


 後藤象二郎との会談から数日後、龍馬は西郷吉之助から思わぬことを聞かされた。

 薩摩藩は長州藩の名誉回復に尽力するとともに、幕府主導の政局を牽制けんせいし、列侯会議路線を進め、朝廷を中心とした公武合体の政治体制へ変革したいと考えているという。

 

 かつて幕政改革を進めていた四人の大名がいた。四賢侯よんけんこうと呼ばれていたそうだが、その四人の名をまとめて聞くのは久しい。

 一人は元十四代福井藩主・松平春嶽まつだいらしゅんがく、二人目は前宇和島藩主・伊達宗城だてむねなり、三人目は土佐藩前藩主・山内容堂、そして四人目は薩摩藩藩主・島津斉彬しまづなりあきらである。


 四人は藩政の改革に着手したばかりでなく、積極的に幕政に参画したという。

 ところが井伊直弼が大老に就いて幕閣を率いるようになると、様相が一変したらしい。 病弱で嗣子のない十三代将軍・徳川家定の次の将軍に誰を擁立するかで、四人と井伊らが対立したという。四人は水戸藩主・徳川斉昭の子で、御三卿・一橋家の一橋慶喜を推し、井伊は御三家紀州藩主の徳川慶福を推したらしい。結局、井伊が強権を発動して政敵を排除し、慶福が将軍家世子となることが決定したらしい。

 

 やがて安政の大獄が始まり、島津斉彬は急死し、新たに加わったのが薩摩藩国父となった島津久光だったらしい。

 だがこの対立で他の三人は隠居、更には謹慎を命じられ、藩邸に押し込められたという。

 土佐藩前藩主・山内容堂が藩主から退いたのは、これが原因らしい。

 井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されて以後、謹慎が逐次解かれ、自由の身となった彼らは、隠居の身ながら幕政、藩政に影響を与えたという。

 土佐藩で言えば、土佐勤王党が弾圧され始めた頃である。


 文久三年末――政事総裁職となった松平春嶽、伊達宗城、山内容堂・島津久光が参預に任命され、将軍後見職・一橋慶喜、京守護職・松平容保らとともに国政を議する参預会議が開催されたそうが、思わぬ人物が妨げになったらしい。

 それ以前、久光を除く三人が次期将軍に推していた一橋慶喜で、彼の非協力的態度により、短期間で崩壊したという。


 西郷曰く、その四人を再び集めるという。

 彼らを京に集め、長州問題・兵庫開港問題などの国事を議する会議をさせようというのだ。世にいう、四侯会議よんこうかいぎである。

 これから土佐・高知へ向かうという西郷を見送って、龍馬は久しぶりにグラバー商会を訪れた。

 

 港から聞こえてくる汽笛に耳を傾けつつ、龍馬は茶器に口をつける。

 以前龍馬が訪れた時は、紅茶なるものを出してきたグラバーだが、今回は違った。

 入れ物は、取っ手がついた陶磁器の入れ物なのだが。

 訝しんでいる龍馬に気づいたのか、グラバーが説明した。

「それは、Mis・慶の日本茶です。Mr.坂本」

 どおりで、馴染みのある味だと思った龍馬であった。

 大浦慶は、茶貿易で財を成した女傑である。


「以前から気になっちょってたんじゃが……、あれは?」

 龍馬が気になっていたのは、箪笥の上に置かれた小さな白黒の絵だった。

 描かれているのは人物で、一人はグラバー本人だとわかるのだが、もう一人は見知らぬ異国の女性だった

写真フォトグラフですよ。Mr・坂本」

 グラバーいわく、一緒にいるのは妻だという。

「あれが、魂が吸い取られるっちゅう、かえ」

 この国では、写真を撮られると魂が抜かれるという噂があった。

「魂は吸い取りませんよ……。Mr」

 グラバーが苦笑する。

 そんな彼が、龍馬にも勧めてくる。



 場所は、中島川沿いにあるという。

 店の名前は上野撮影局といい、上野彦馬という男が営んでいるという。

 だがいざ撮影となって、龍馬はどうして魂が抜けると噂になったか理解できた。 

 撮影されるその間、同じ姿勢を保たないといけなかったのだ。

 外に出れば、もう日が暮れ始めようとしていた。

 まだ先が見えぬ、この国の末。

 確かなのは、幕府の終焉が迫っていることだった。

 

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