第6話 恩讐を越えて

 慶応三年一月九日――、黒袍に身を包み、内裏に参内した朝臣たちの心は様々であろう。

 特にこれまで論戦を繰り広げていた、二つの勢力にとっては。

 一派は亡き孝明帝のもと、幕府と一枚岩を貫いていた公武合体派。もう一派はかつて、攘夷派と呼ばれていた反幕勢力である。

 先帝の崩御によって、一度は公武合体派公卿に抑え込まれていた反対派は、これからの朝廷を動かしていく存在となろう。

 既に幕府の威信低下は、朝廷の誰もが知る所である。

幕府と結んだ公武合体も、今や形だけのものとなりつつある。

 これに反幕派が、絶好の機会と思ったとしても不思議ではない。


 そもそも公家社会は、禁中並公家諸法度きんちゅうならびにくげしょはっとによって、京所司代による強圧的な統制下に置かれていた。これに公家の大多数は経済面において、苦しい状況に置かれていたのである。

禁中並公家諸法度は、幕府が朝廷や公家に対して、さまざまな面で介入できるようにした法令であった。

 朝廷にとっては、これまで朝廷主導で行ってきた事柄に対しても、幕府から干渉されることになり、大きな不満となった。

 だが公武合体により、朝廷の力が増した。

 公武合体に対立していた彼らだが、この政策のお陰で朝廷の権威が上がったことには、まんざらでもなかったようだ。

 さらに、長州藩の存在である。


 ――これはもしや、かの藩が徳川を倒してくれるんやないか?


 朝臣の中に、そんなことをいうものもいた。

 尊王攘夷の声が叫ばれていた頃から、尊攘派公卿にそういう期待はあったらしいが、長州征伐による幕府の敗北で、再びそんな声が漏れ始めた。

 そんな彼らを横目に、中山忠能なかやまただやすは軽く息を吐く。

 

 ――皮肉なものや……。

 

 帝がお出ましになる御座ぎょざの前でなければ、自身を嘲笑わらっていた中山忠能である。

 彼も公武合体派であったが、元治元年に長州藩が京奪還のため兵を率いて上洛した際に、長州藩を支持して同藩のために尽力した。しかし長州藩軍が敗北したことで、御所を追われ失脚した。

 あの時は、もう朝廷に復帰することなく人生を終えるものと中山忠能は思っていた。

 それが孝明帝が崩御したことにより、新帝誕生とともに忠能は復帰した。

 先帝の死は痛むが、彼にとっても好機だったのである。

 


「東宮さま、いえ――、もう主上おかみとお呼びせねば」

 朝議の前に東宮殿を訪れた忠能は、まだ即位前の東宮・祐宮睦仁親王さちのみやむつひとしんのうの前で低頭した。

 先帝の崩御により、十四歳での践祚せんそである。

 この祐宮睦仁親王の生母は忠能の娘であったため、中山忠能は帝の外祖父という立場になったのである。


 

 一新される朝廷――、いよいよ表舞台に立つときがきたのだと、忠能は実感した。

 やがて、御簾奥から衣擦れの音が聞こえてくる。

 祐宮睦仁親王改め、明治天皇の誕生である。

 

             ◆


 師走とは思えぬ、温かい刻限である。陽ざしがきらめき、柔らかな空気が障子の隙間から流れ入ってくる。


 ――真冬の蝦夷は、もっとまっと寒いんじゃろうの……。

 

 いまだ捨てられぬ、蝦夷開拓の夢――。

 その機会は、何度もあった。

 一度目は、幕府艦ばくふかん黒龍丸こくりゅうまるにて京の尊攘派志士を乗せて行こうとした。

 しかし池田屋事件勃発で、龍馬は勝海舟に迷惑がかかると蝦夷地行きを中止した。案の定、勝は江戸召還を命じられ、神戸海軍操練所は閉鎖になった。

 二度目はワイル・ウルフ号での、渡航計画である。


 だがこの船が五島塩屋崎で難破し、同志の池内蔵太ら十二人が亡くなった。

 蝦夷は四方を海に囲まれ、冬は極寒となるという。

 絶えず露の脅威に晒されているかの地は、海防強化のため松前藩が一部をりょうしているそうだが、それでも未開の地はあるらしい。

 その前に、亀山社中をなんとかしなければならぬ。

 龍馬は溝淵広之丞を通し、土佐藩参政・後藤象二郎に会うことを決断する。

 後藤が会談の場所に指定してきたのは、清風亭せいふうていという料亭だった。


             ◆◆◆


 一月も末となり、龍馬は社中の玄関で草履に足を入れ、刀を袴の帯に捩じ込んだ。

 それから敷居を跨いで腕を組み、空を見上げた。

 寒天かんてんは白く染められ、風は刺すような冷たさである。

 

 結局――、後藤象二郎と会うことに対して、社中の面々は険しい顔を崩さなかった。

 龍馬たちが下士なのに対し、後藤は参政も務めるほどの上士。

 長年土佐にて、上士に虐げられ続けた下士たちは、上士にいい印象はもっていなかった。

 しかも後藤は、土佐勤王党を弾圧した張本人である。


 

「これは、罠じゃ」

 社中の一人、沢村惣之丞がそういった。

 彼は龍馬とともに土佐を脱藩した仲だが、土佐勤王党の一人でもあった。

「龍馬を誘き出して、捕らえるつもりがよ」

 ここまで嫌われると、後藤象二郎が哀れに思えてくる龍馬である。

 それでも龍馬は、後藤と会うと言い切った。

 脱藩の罪を問われるか、土佐勤王党の一人だったことを聞かれるか、それは龍馬にはわからない。しかしいつまでも逃げ回っては、何も解決しないのだ。


 かくして龍馬は榎津町えのきづちょうにあるという、料亭・清風亭に向かったのである。

 龍馬がこの長崎で行ったことがある料亭といえば、藤屋と玉川亭、それから一力いちりきである。

 藤屋は若宮稲荷神社の参道脇にあり、もともとは日本料理店だったが、二年前に西洋料理店となった。

 玉川亭は中島川に架かる大井手橋のたもとにあり、川魚料理が名物だった。

 一力は最も古い料亭で、卓袱料理しっぽくりょうりが美味い店である。

 清風亭に着くと、龍馬は二階の座敷に案内された。

 障子を開けて、彼は驚いた。

 馴染みの丸山芸姑まるやまげいこ・おもとが呼ばれていたのである。

 唖然とする龍馬に対し、後藤象二郎が笑顔を見せた。

 

「よくぞ、参られた。坂本龍馬どの」

 これには、調子が狂う龍馬である。

 上士と下士という差別を受けてきた龍馬にとって、上士である後藤がまるで同輩を迎えるように接してきたからだ。

「わしに、話があるそうですの?」

 後藤の正面に座すと、お元が酌をしてきた。

「坂本どの、現在の土佐は薩長に比べれば遅れちゅう。そう思わんかえ?」

「はぁ……、まぁ……」

 龍馬は盃を口に運びつつ、曖昧な返事をした。

「容堂公も、ここはなんとかせんといかんと思っちゅう。ほんぢゃき、わしが長崎に派遣されたがじゃ。坂本どの、おんしの意見を聞きたい」

「意見……?」

「正直に言おう。我が藩は、薩長と繋がりたいと思っちゅうがじゃ」

 

 ここに土佐藩の迷いが見えてくる。

 土佐藩の藩論は、公武合体である。

 だが長州征伐の失敗による幕府の求心力の急激な低下、将軍・家茂公の死去、帝の崩御とたとえ山内容堂だろうと、幕府の傾きを実感したのだろう。

 このままでは土佐藩は、幕府と心中しかねない。だが土佐一国を領された徳川への恩もある。生き残る道を模索した結果が、薩長と繋がり、国力を高める手に出たのだろう。


 ――なるほど。そんでわしか……。


 龍馬は、後藤のいわんとすることがだんだん見えてきた。

 おそらく藩は、龍馬が薩長と繋がっていることを掴んだのだろう。

 といって、下士である龍馬に頭は下げたくはない。

 お元を呼んでまで龍馬の機嫌を取りに来たあたり、土佐藩の必死さが垣間見える。


「ほんで、どうじゃろうか?」

 後藤が、再び口を開く。

「なんです?」

「坂本どのの亀山社中を、土佐藩で運用したいがじゃ」

 龍馬の心は喜びに跳ね上がったが、後藤という男への警戒も解けていた。

 龍馬が二度も脱藩したこと、土佐勤王党の一人だったことも、後藤は一切触れてこなかったからだ。

 土佐藩傘下となるのはいいが、問題が一つある。

 それは龍馬を含め、社中の面々が脱藩浪人や庄屋の息子だったりと、身分がばらばらだったことだ。

 ゆえに薩摩藩は庇護はすれど、社中に仕事は依頼しては来なかった。

 だが龍馬は、藩に都合よく使われる気はなかった。

「ほいたら後藤さま、わしからもええかの?」

 龍馬の言葉に、後藤は胡乱うろんに眉を寄せた。

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