第5話 変わり始めた故郷・土佐
師走――、この頃になると長崎は季節風が吹く。
長崎の東は
陸地は平担地に乏しく、山岳丘陵が起伏し、多くの半島、岬、湾、入り江が曲折し、とにかく坂が多い。
土佐藩参政・後藤象二郎がこの長崎にやって来たのは、この年の七月末のことだった。
諸藩に比べ、土佐藩は遅れていた。
武器も船も、土佐藩は旧式だった。
これを補うべく、長崎で興したのが土佐商会である。
長崎・土佐商会――、土佐藩の貿易関係の役所で、正式名は
主な仕事は大砲や弾薬、さらには艦船等を調達することであったが、そのための資金は、土佐の
後藤象二郎はジョン万次郎こと、
以前の土佐藩なら、考えられないことである。
だが世は、刻一刻と変わりつつある。
このままでは、土佐藩は世の流れから置いていかれることだろう。
そもそも土佐商会が目指す開国貿易・富国強兵は、亡き吉田東洋の遺策だった。
後藤は上級武士の家の長男で、少年期には、義理の叔父である吉田東洋の少林塾で文武両道を学びんだ。
中濱万次郎と出逢ったのは、その頃である。
藩内の東洋派として出世街道をひた走っていた後藤だが、東洋が土佐勤王党に暗殺されると失脚。その後文久三年に藩政に復帰し、大監察にも抜擢された。
東洋の遺策、藩近代化推進機関である開成館を設立したのは、参政となった間もなくのことである。
だが、問題が一つある。
土佐商会が購入した蒸気船や帆船を、動かす人材がいないことだ。
「――後藤さま」
そんな後藤の前に、一人の男が座った。
「あの男に会ったそうじゃの? 溝淵」
溝淵広之丞――、江戸に出て千葉定吉道場で剣術を、佐久間象山塾で砲術を学んだという彼は、この長崎でも砲術を学んでいた。
後藤は、勤王党弾圧の時代から武市半平太の陰で見え隠れしている男の存在が気になっていた。
その男が土佐勤王党にいたのは僅か一年――、弾圧の網に掛からなかったが、調べてみればその男は幕臣・勝安房守の弟子になっていたというから驚きである。
しかもそれを誰から聞かされたのかといえば、土佐藩前藩主・山内容堂である。
神戸海軍操練所で航海術を学ばせてほしいとの勝の依頼で、容堂は承諾したそうだが、その神戸海軍操練所は廃止され、その男の所在は不明となった。
だが後藤は、この長崎でその男の名を再び聞くことになる。
亀山社中を旗揚げした男――、坂本龍馬と。
亀山社中は薩摩藩の支援のもと、貿易を行い交易の仲介や物資の運搬等で利益を得ているという。
しかし彼の名を聞いて、渋面となった男がいる。
土佐・元地下浪人の岩崎弥太郎である。
「わしは、あの男は好かん」
と、こうである。
さて溝淵広之丞だが、この男と出逢ったのは最近である。
しかも彼は、坂本龍馬を知っていた。
「相変わらず、変わっちゅう奴でございました」
龍馬に再会したという溝淵は、そう苦笑する。
「それで――、使えそうがか?」
後藤は亀山社中を、土佐商会に取り込もうと考えていた。
「恐らく。ほんぢゃけんど、問題がございます」
「問題……?」
「藩として使うには、あの男は脱藩浪人っちゅうことです」
そう、龍馬は一度は脱藩を許されつつも、また脱藩したという男だった。
しかも亀山社中のほとんどが、浪人という集まりだった。
なれど、このまま薩摩に上手く使われるのは土佐藩としてどうか。
「溝淵、坂本龍馬について、
後藤の言葉に、溝淵は低頭した。
◆◆◆
懐かしき友・溝淵広之丞との再会後――、龍馬は空を見上げることが増えた。
空は晴れて、やわらかい冬の日が龍馬を包んだ。朝方に比べ日射しはかなりあたたまっていたが、西から来て東に流れる風とも言えないほどの空気の流れが、纏う紋服の上から肌を刺してくる。
溝淵は龍馬の八歳上で、嘉永六年の年――、江戸へ剣術修行に出る龍馬に同行した。
後から聞いた話によれば、溝淵は先に江戸の千葉道場に入門していたそうで、一旦土佐に帰っていたらしい。龍馬について行ったのは、どうも龍馬の父・八平に頼まれたらしい。
その後彼とは、佐久間象山の元でも一緒だった。
――土佐に帰りたくはないがか?
再会した溝淵は、そう問う。
帰りたくないといえば、嘘になる。
今になり、脱藩とはどういうものかしみじみとわかるのだ。
国へ帰るには、藩に脱藩の罪を許してもらうしかないからだ。
お龍が「まだ
彼女のことは文に書いて、姉・乙女に送ってはいるが、お龍としては面と向かって挨拶をしたいらしい。
溝淵いわく、前土佐藩主・山内容堂は、洋式汽船購入に伴い、蒸気学や航海学の西洋知識を導入する機関や、国産品を統制する機関等の開成館を創設させたという。
藩として殖産興業政策を展開して積極的に貿易を行い、富国強兵を図ろうとしているらしい。
その出張所として、この長崎に土佐商会ができたという。
ようやく変わり始めた、土佐藩。
銃器も、西洋式に一新したという。
亡き武市半平太の想いとは異なるが、外に目を向き始めたことはいいことだった。
聞けば土佐商会には、岩崎弥太郎やジョン万次郎もいるという。
「龍馬――、後藤さまと会ってはどうじゃ?」
亀山社中の窮状を知った溝淵の申し出に、龍馬は答えなかった。
土佐商会の責任者は、土佐勤王党弾圧した参政・後藤象二郎だった。
亀山社中には、元土佐勤王党の人間もいる。
藩名だったにせよ土佐勤王党を弾圧し、盟主・武市半平太を切腹に至らしめた参政・後藤の力を借りるなど、彼らは納得しまい。
だが、この日の本に衝撃が伝わる。
慶応二年十二月二十五日、孝明帝が崩御されたのである。
新帝即位と同時に、おそらく朝廷は、これまでは違ってくるだろう。
――こん国を立て直す前に、社中が潰れちゅう。
万事休すとは、まさにこのことだろう。
現在の亀山社中は、荒波で揺さぶられる船同然。
このころ亀山社中は、伊予大洲藩の蒸気船・いろは丸に乗り込んでいた。
この年の八月――、長崎にやって来た大洲藩郡中奉行の国島六左衛門に対して、龍馬が仲介して購入させたのが、当時ポルトガル船籍だったアビゾ号で、これがいろは丸である。
元々英国製で、薩摩船籍となっていたが、薩摩藩の売却により、ポルトガル所有となっていたのである。
亀山社中はこのいろは丸を一航海の契約で、大洲藩から借りていたのである。
それでも、厳しい現状なのは変わりなく、龍馬はついに後藤象二郎に会うことを決断したのだった。
「後藤象二郎に会うというが?」
夜――、集まった社中の面々は予想通り、険しい顔になった。
「亀山社中のためじゃ」
「あん男がなにをしちゅうたか、知らんわけじゃないじゃろ」
「ほんぢゃけんど、このままじゃったら社中は潰れるがよ。また路頭に迷うことになるがじゃ。このまま、薩摩を頼るのもどうかと思うがよ」
薩摩藩がいつまでも、社中を庇護してくれるとは限らない。
そもそも、勝海舟の縁があってこそである。
「けんど、藩がわしらを認めてくれるかえ?」
社中の一人が、眉を寄せる。
社中には元土佐勤王党もいれば、彼らはほとんどが下士だった。
「現在の土佐藩は変わりつつあるがじゃ」
「後藤も昔の奴ではないと?」
龍馬は、後藤という男のことはよくは知らない。
龍馬が知っているのは、社中の面々と同じで、土佐勤王党を弾圧した男というだけである。
しかし、亀山社中の危機を救うためには仇敵だろうと力になるかもしれぬ。
犬猿の仲だった薩長が、結びついたように。
かくして――、慶応二年の年は暮れていった。
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