第3話 咆えるアームストロング砲! 高杉晋作の猛攻!!

 白石正一郎邸にお龍を預け、龍馬が下関で桂小五郎と再会したのは、六月十四日のことであった。本当なら早くユニオン号を長州に届けるつもりであったが、長崎・中通島なかどおりしまの東、潮合崎沖しおあいみさきおきでワイル・ウルフ号とともに沈んだ池内蔵太と、社中の仲間を無視はできない。

 龍馬は江ノ浜郷の者に彼らの慰霊碑を頼んだあと、下関へ舵を切った。

 季節で言えばそろそろ長雨ながあめに入るが、この日の空は薄曇りであった。

 龍馬たちを港で出迎えたのは、桂小五郎であった。

 幕府との戦いは既に始まっており、周防大島での戦いでは高杉晋作率いる奇兵隊と、彼が乗艦する軍艦・丙寅丸へいいんまるの砲撃によって、大島の幕軍を蹴散らしたという。

 

「――さすが、高杉さんじゃ」

「高杉は久坂と並んで、攘夷でも意欲的だったからな」

 桂は懐かしげに、過去に思いを馳せている。

「いずれ――、朝敵の汚名は晴れるぜよ。久坂さんのためにも、そうせなあかん」

 

 そもそも久坂玄瑞たちが起こしたとされる蛤御門の変は、長州藩藩主・毛利敬親に着せられた冤罪えんざいを晴らすためだっという。

 ゆえに、御所の門に砲撃を加える気などなかったであろう。

 薩長同盟の盟約書には当然、薩摩藩が長州藩の朝敵返上に向けて努力することが組み込まれてある。西郷はその約束を、果たしてくれることだろう。

 

「坂本どの、手の傷の具合は?」

「もうなんちゃないぜよ。ちくっと、傷が残るたけやき」

 桂の問いに、龍馬は軽く手を振って見せた。

「着いたばかりで申し訳ないのだが――……」

 桂の渋面に、龍馬は首を傾げた。

「ユニオン号に、問題があっちゅうが?」

「いや、そうではない。戦いに参戦してほしいのだ」

「は……?」

 桂いわく、ユニオン号を動かせる人材がいないという。

 長州藩海軍は皆、戦に駆り出されているらしい。


 かくて――、急遽きゅうきょ、幕軍との戦いに参戦することになった龍馬と社中の面々である。

 このとき、鹿児島から龍馬たちとともに乗艦していた社中の面々は、千屋寅之助が艦長、石田英吉いしだえいきちが砲手長だった。

 ユニオン号は長州藩側と軍艦となると、桜島丸から乙丑丸いっちゅうまると、名を変える。

 六月十七日――、小倉口にて龍馬は、高杉晋作と再会した。

 龍馬にとって、大掛かりな実戦は初めてである。

 西洋式砲術と航海術を佐久間象山と勝海舟に学んでいて少しは助かったが、これは演習ではない。

 ユニオン号の艦砲かんぽうはカノン砲で、口径に比べて砲身が長く、長距離射撃や堅固な建造物などの破壊に適しているらしい。

 それに比べ、高杉が乗艦する丙寅丸の艦砲はアームストロング砲だという。


「アームストロング砲……? 何処かで聞いた名じゃのう」

 龍馬は腕を組み、視線を空に運んだ。

(そうじゃ。西郷さんじゃ)

 ふっと思い当たって、龍馬はぽんっと手を叩く。

 西郷吉之助いわく、まだ尊王攘夷の風が吹いていた頃――、鹿児島湾に英国の軍艦がやってきたという。

 生麦事件の賠償問題が拗れ、開戦となったらしいが、このとき英国が撃って来た艦砲がアームストロング砲だったのである。

 この国の大砲といえば、砲口から弾薬を装填する前装砲ぜんそうほうで、乙丑丸の艦砲カノン砲も前装砲である。

 逆にアームストロング砲は、砲身の後部から砲弾の装填を行う後装砲こうそうほうというものらしい。

 これに妙な対抗意識を燃やしたのが、石田英吉だった。

 

「幕府艦の土手っ腹に、大きい穴を開けちゃる」

 これに千屋寅之助が、呆れ顔で眉を寄せた。

「おまん――、大砲を撃ったことがあるが?」

「わしは出たとこ勝負が得意なんじゃ」

 石田英吉――、彼を見ていると、龍馬は亡き内蔵太を思い出す。

 無理もない。石田と内蔵太は天誅組に参加し、長州藩兵とともに蛤御門の変にも参加していた。

 高杉いわく、馬関海峡ばかんかいきょうを渡って門司・田ノ浦の幕府軍を一掃し、西へ向かって小倉城を陥落させて、豊前地方を手中に収めるという作戦だという。

 こうして龍馬が指揮する乙丑丸は、長州藩軍艦・庚申丸を曳航して門司浦に向かったのだった。

 

                ◆◆◆


 寅の刻――、まだ夜も明けきらぬ中、田ノ浦に高杉晋作が率いる長州藩軍艦・丙寅丸・癸亥丸・丙辰丸の三艦隊と、龍馬が率いる乙丑丸・庚申丸の二艦隊が集まった。

 高杉は腕を組むと、前を見据えた。

 いよいよ、決戦のときはきた。

このとき、高杉の側にいたのは山縣有朋やまがたありともという男だった。

 入塾は高杉や久坂玄瑞より遅かったが、山縣も松下村塾の出であり、現在は長州藩海軍総督となった高杉の代わりに、奇兵隊を率いている。

 

「砲撃用意! 目標、田ノ浦砲台!!」

 高杉の指示に、砲手が狙いを定める。

 轟音を響かせて、丙寅丸のアームストロング砲が火を噴いたのは次の瞬間である。

 田ノ浦を守っていた幕軍は、小倉藩であった。

 馬関海峡を挟み、長門の対岸・門司を領していたのが小倉藩なのだが、長州藩は以前、馬関海峡に面する小倉藩領・田野浦などに砲台を建設しようとして、争いになったことがある。

 丙寅丸が攻撃をしている小倉藩砲台は、異国船に対する海防強化のために築かれたものらしいが、四カ国艦隊襲来のとき、その大砲は火が噴くはなかった。

 当時から攘夷ではなく幕府の開国に同意していれば、当然かも知れぬ。

 まさか、長州藩対小倉藩の戦いがこんな形で再開するとは。

 

「命中!」

 その報せに、高杉はふっと笑う。

 丙寅丸を高杉が長崎で購入するとき――、グラバー商会のトーマス・グラバーは頻りに、艦砲の性能を自慢してからだ。


 ――あの薩摩が、開国に方針転換するわけだな……。


 高杉は、英国が薩摩藩と戦ったことを聞いていた。

 薩摩藩は長州藩ほどでないにしろ、当時は攘夷派は多かったであろう。

 それが英国との戦いにより、両者は親密な関係となったという。

 そのとき使用された大砲が、アームストロング砲だったようだ。

 高杉が視線を滑らすと、龍馬が乗っている乙丑丸も砲撃を開始したようだ。


 ――坂本どの、もっと早く、あなたと知り合っておくべきだったな……。


 自身に迫る死期――、この体はおそらく長くはないだろう。

 軽く咳き込んだだけで、胸が痛む。

 目眩が襲い、体が倒れそうになる。

 他のものに悟られぬよう船の縁に手をついた高杉は、拳で口元を拭った。


 ――この戦い、必ず勝ってみせる!!


 息を整えた高杉は、声を張った。

「砲撃を続けろ! 勝機はこちらにある!!」

 艦砲は、小倉藩砲台に次々に命中した。

 射程距離が砲台からと、最新鋭の大砲では違いすぎるのである。

 どおりで馬関海峡での四カ国艦隊に、長州藩が惨敗するわけである。

 最新鋭の大砲は、旧式の砲の比ではなかった。

 

 高杉は小倉藩の台場に砲撃を加えながら丙寅丸を田ノ浦の東側に進め、兵を上陸させた。

 これに、小倉藩兵は驚いたようだ。

 小倉口を守る小倉藩は、戦国時代さながら甲冑に身を固め、武器は弓矢や槍、鉄砲も火縄銃らしい。

 対する長州藩は、最新鋭の西洋銃だというのにだ。

 しかし、幕軍も必死だった。

 今年の夏は、これまでになく熱くなりそうである。

 そんな予感がする、高杉晋作であった。

 

                 ◆


 夏――、長州藩と幕軍との戦いが気になる龍馬だが、薩摩・鹿児島城下に戻ってきていた。そんな龍馬に、西郷吉之助が思いもせぬ報せを運んできた。

 幕軍が、停戦に乗り出したというのだ。

「それは、本当かえ!?」

鹿児島かごんまの藩庁で噂になっと。間違いなか」


 慶応二年七月――、徳川十四代将軍・家茂公が大阪城にて逝去した。

 これが幕府における、長州征伐の区切りとなるきっかけになったらしい。

 さらに幕府側の交渉役として、勝海舟が広島に来るという。

「勝センセが――」

「会いに行っと?」

「会いたいのは山々なんじゃがのう……」

 龍馬は唸った。

 このとき――、亀山社中の台所事情は火の車であった。

 やはり、ユニオン号とワイル・ウルフ号を失ったことは大きい。

 といって船を買う金は、社中にはない。

 勝に会いたかったが、龍馬にはやることはまだある。

 西郷が呟く。

「じゃっどん、こいで幕府の権威は更に失墜するこつになりもうそ」

 そもそも、幕府から仕掛けてきた長州再討伐である。

 停戦を希望する理由わけは、将軍逝去だけではないだろう。

 今回の従軍を、拒んだ藩は多かったという。

 これは幕府にとって、信じられない行為だっただろう。

 最初の長州征伐時、勝は龍馬を前に幕府を非難していたことがある。


 ――自身の傷を広げることになると、わかっちゃいねぇのさ。


 勝の言ったことは、現実となっただろう。

 徳川という世は、幕を下ろさせねばならない。

 傷が更に深くなる前に――。

 龍馬の新たな戦いが、ここに始まる。

 

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