第2話 幕長戦開戦! 幕軍に生じる誤算と焦り 

 桜島協定により、桜島丸ことユニオン号を長州藩に引き渡すべく、鹿児島港を発った龍馬は下関に向かった。

 慶応二年六月四日の、ことである。

 この日の空は昨日の雨が嘘のようにやみ、鱗雲うろこぐもを撒き散らしたままからりと晴れていた。

 まもなくその長州では、藩の命運をかけた幕府との戦いに、火蓋が切って落とされることだろう。

 龍馬は潮風を受けながら、ユニオン号の甲板で腕を組んだ。

 そんな龍馬に、おりょうが話しかけてきた。

「何を考えてはりますのえ?」

 龍馬は彼女を、清末藩きよすえはんの御用商人・白石正一郎しらいししょういちろうに預けることにした。

 清末藩は長府藩の支藩で、その長府藩は長州藩の支藩だった。

 龍馬が土佐を沢村惣之丞と脱藩したとき、一時身を寄せていたのがこの白石正一郎邸だった。

 ゆえにその男なら、おりょうを安心して預けられると龍馬は思ったのだった。


「いつになったこん国は、現実に気付くのかのう……」

 威信回復に必死な徳川幕府、西洋列強と朝廷の圧力に右往左往する現在の幕府に、もはやかつてのような力は残っていないだろう。

 西郷吉之助の話では、今回の長州藩再討伐に薩摩藩のみならず、いつかの藩が出兵を拒否しているという。

 この国の末を憂う龍馬に、おりょうはいう。

「うちには難しいことはわかりまへんけど、龍馬はんの想いをわかってくれはるお人は、たんといらはると思いますえ」

「だとええが……」

 彼らを乗せたユニオン号が、下関に着いたのは十一日後のことだった。


 一方――。

 


 長州藩再討伐に乗り出してきた幕軍が、長州藩に六月四日を以て攻撃を開始するという最終通告をしてきてから、ついに当日を迎えた。

 藩の予想では幕軍は、周防大島の大島口をはじめ、芸州口・小瀬川口、石州口、小倉口から攻め込んでくるらしい。

 筒袖の上衣に陣羽織、下は段袋だんぶくろ(武士の用いた和式洋装のズボン)と戦支度で、高杉晋作は空を見上げた。

 彼が組織した奇兵隊は、数隊に分かれて各地で配置につき、臨戦態勢に入った。


 ――松蔭先生、久坂、俺は必ずこの長州を護る……!


 松下村塾でともに学んだ亡き友とその師に対し、高杉もを待っていた。

 そんな彼の耳に、砲撃の音が聞こえてくる。

 はっと振り向いた高杉の視界に、奇兵隊の一人が駆けてくるのが捉えられた。


「高杉さん……!」 

「いまの音は!?」

「幕府艦です! 周防大島へ砲撃を開始した模様――」

 切迫した物言いに、高杉は拳を握る。


大島は、北は宮島のある安芸灘あきなだに、東と南は伊予灘いよなだに面した東西に長い防予諸島ほうよしょとうの一つである。西岸は狭い海峡・大畠瀬戸おおばたけせとを挟んで本州と連絡し、南下をすると上ノ関うわのぜきの港・上関島に至る。

 この大島に上陸してきたのは、幕軍に参加している伊予松山藩だという。

「いいか! 何としても萩城下まで侵入させるな!」

 高杉の指示に、他の奇兵隊隊士も散っていく。

 だが――

 

 幕府軍艦だという富士山丸が、島の北側である久賀へ砲撃を開始すると、久賀村から幕府陸軍が上陸してきたという。

 さらに島の南側である安下庄から松山藩軍が上陸し、富士山丸の砲撃に長州藩の全軍は、夜には本州の遠崎へ撤退したという。

これを受けて、高杉に出撃の命令が下りた。

 丙寅丸へいいんまるに乗り、大島へ向かえとのことだ。

 この丙寅丸こそ、高杉が長崎にて独断で購入したあの船である。

 

 十日――、丙寅丸に乗船した高杉は下関を出港し、十二日の夜に大畠瀬戸を抜けて、幕府艦隊を発見した。

艦隊は二隻、大島の北側に停泊中であった。

 向こうは、こちら側にまったく気づいてはいない。

 

「大砲撃ち方用意! 目標、敵軍艦!!」

 高杉の指示に、砲手が射凖を合わせる。

「隊長! 発砲準備完了」

「撃て!!」

 ついに、丙寅丸の大砲が火を噴いた。

 大砲は幕府側軍艦を、簡単に揺らした。

 まさかこちらがわから撃ってくるなど、思っていなかったのだろう。

 応戦してくるも、混乱状態に陥った二隻は大島から撤退、さらに大島に上陸した奇兵隊により島は奪還できたのだった。


                ◆◆◆


 長州藩との戦端を開いた翌――、幕府老中にして、長州討伐軍西国総督・小笠原長行おがさわらながゆきは、思わぬ報せに愕然がくぜんとした。

 

「――長州藩の軍艦に奇襲されただと!?」

「そればかりではございませぬ……! 彼らは西洋の銃まで用意しております」

「馬鹿なっ! 何処の国が、長州藩に武器を売るのだ!?」

 

 聞けば大島の北側に停泊した幕府軍艦・翔鶴丸しょうかくまる八雲丸やくもまるが、長州藩の軍艦に砲撃されたという。

 さらに島はあっという間に制圧され、長州藩の手に戻ってしまったらしい。

 そんな報告を聞いたあとでも、小笠原長行はまだ信じられなかった。

 そもそも戦端を開いたのは、彼が指揮する軍艦・長崎丸の大島への砲撃からである。


 その後の報告では、翔鶴丸、八雲丸、旭日丸は久賀村を砲撃し、陸上部隊が久賀村の西の宗光より上陸し、久賀村に攻め入ると、長州藩の守備兵四〇〇名は、海、陸の攻撃によりたまらず山上に退却したという。

 さらに、残る幕府艦・富士山丸と大江丸は、津和地島つわじまで松山藩兵の乗せた跡、安下庄に攻撃を開始。

 長州軍は、大島より一掃されという

 これにより幕府が大島を占領して、大島では幕府が勝利したはずだった。

 長州藩は、武器も軍艦も買えないはずである。

 

 馬関海峡で長州藩と砲撃戦を繰り広げた英米仏蘭・四カ国は、長州藩に武器を売らぬという話であった。

 ならば、いったいどこで武器と船を調達したのか。

 思わぬ長州藩の反撃に、小笠原の手が震える。

 

 幕軍として、西国諸藩に出兵を命じた幕府だったが、広島藩、伊予松山藩、宇和島藩、徳島藩、今治藩のうち、財政難や幕府への不信感などから宇和島藩、徳島藩、今治藩の三藩は出兵せず、実際に兵を出したのは伊予松山藩のみとなった。

 

 さらに小倉藩を中心に肥後藩、柳川藩、久留米藩の兵およそ二万を目論んでいたが、これも戦いに参加してきたのは小倉藩と肥後藩だけで、佐賀藩は出兵を拒んできた。

 万が一この戦いに幕軍が負けることがあれば、幕府の権威は更に失墜するだろう。

 将軍・家茂公の体調も、芳しくはない。

 大阪で兵庫開港を迫る英仏蘭を相手にしている間に、兵の士気も下がり始めた。

 誤算に続く誤算に、小笠原のなかに焦りが生まれる。


 小笠原長行は肥前国唐津藩主の嫡男だが、藩主に就かぬまま幕府老中となった。

 しかし順風満帆とはいかず、彼は一度老中を罷免されている。

 再任されたと思えば、今度は長州藩への討伐である。

 一度は恭順を示した長州藩が、幕府と戦う気だという。

 これが、二回目の長州再討伐となる。

 

「……他の戦況は?」

小笠原長行の問いに、問われた幕臣の顔も冴えない。

長州への突破口の一つ、芸州口には彦根藩が布陣していた。

 だがこれも、結果は最悪である。

 小瀬川を渡ろうとした彦根軍は、和木村川岸わきむらかわぎしから長州藩兵の集中攻撃を受け、さらに瀬田八幡宮山から大砲が浴びせられ、壮絶な戦闘状態になったという。

 長州藩側には、岩国藩も加わっていたらしい。

 彦根軍は互角に戦っていたようだが、関戸から進入した長州軍が二手に分かれ、一隊は木野村の山から大竹村に入り、大龍寺辺りからに彦根軍を背後から挟み打ちにしたため、彦根軍はついに総崩れとなったらしい。


 小笠原は力なく、嘆息した。

「……それで?」

 

 苦の坂では、高田藩が立戸の山から苦の坂に千の兵を進めていたそうが、長州藩兵二〇〇人ほどの隊と対峙するも持ちこたえられず、小方に追い返され、玖波の港から大野四十八坂を越えて戦場から退却したという。

 圧倒的兵力の差に、幕軍の敗色は濃厚である。 


「御老中、ご指示を……!」

 悲痛な顔で指示を仰いでくる幕臣に、小笠原は次の決戦の地・小倉口へ向かう指示を下したのだった。

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