第12話 ついに実現す! 薩長同盟

 桂小五郎が京に入ったのは、慶応二年一月九日のことであった。

 薩摩藩と手を結ぶことを進言してきたのは、土佐の坂本龍馬と中岡慎太郎だったが、最終的に決断したのは藩主・毛利敬親ではなく、桂自身である。

 だが長州藩士たちの薩摩に対する恨みもわからぬわけではない。

 

「あの薩摩に頼るなど、納得できん」

 

 高杉晋作でさえ、最初は憤慨した。

 八月十八日の政変で長州藩兵の御門警備を解除し、その長州藩士を藩主・毛利敬親とも京から追ったのは、会津と組んだ薩摩だった。

 蛤御門の変でも立ち塞がって来たのは、その会津と薩摩である。

 長州藩の中には、薩賊さつぞくとまで呼んで恨む相手と組むよりは、幕府と戦って潔く散るという者も多かった。

 だが、長州藩存続を考えると――。

 

「――よく、参られもうした。心から歓迎しもうそ。オイは黒田清隆と申す」

 桂を藩邸で出迎えた男は、そう名乗った。

「ひとつ訪ねたい。まさかと思うが――」

 桂の警戒に、黒田の後ろにいた薩摩藩士が刀に手をかけようとした。

「我らが、桂さぁばのこつ、幕府の役人に売るつもりと思ってごわすか? そげんこつはなか。そいならば、桂さぁがここに来る前に幕史に告げてもす」

 

 京では現在も、所司代や奉行所、新選組や見廻組が桂たちを捕らえようと動いているという。問題は身動きがとれなくなる、薩摩藩邸に入ることだ。

 果たして、信用していいものか――。

 薩摩示現流は、一撃必殺の剣という。

 そんな使い手が、数人束になって来られたら――。

 桂はこのとき、会見の場所を他に指定すべきだったと思っていた。

 

              ◆


 その日――、この男は相変わらず仏頂面で、文机に向かっていた。

 その背では結った髪が小気味よく揺れていたが、まるでそこに一枚壁が存在しているかのような緊張感も相変わらずである。

 新選組副長・土方歳三である。

 もちろん彼にはそんなつもりはないのだろうが、平隊士に言わせると、局長の近藤勇に比べ、何故か怖くて近寄れないというらしい。

 だが、そんな土方を恐れぬ隊士が一人いる。

 このとき――、沖田総司も副長室にいた。

 

「――間違いねぇのか?」

 土方の視線は、廊下に片膝をついている隊士に向いていた。

 諸士調査役兼監察の、山崎烝である。

「はっ」

 土方の問いかけに、山崎が即答する。

 聞けば、桂小五郎を発見したという。

 だが尾行するものの、途中で巻かれたらしい。

 これに土方は舌打ちしたが、沖田は首を傾げた。

 

「妙ですねぇ。この時期に、何しに現れたんです? 土方さん」

「俺に聞くンじゃねぇ」

 桂とて、自分が幕府側に狙われていることはわかっているだろうに、危険を冒してまで京に現れた目的はなんなのか。

「それと――、伏見奉行所の役人が動いております」

「ますます妙だなぁ……」

 山崎の報告に、沖田は更に首を捻る。

 所司代や見廻組でもなく、なぜ伏見の奉行所が動いているのか。

「お前は黙っていやがれ」

「そういいますけどね、桂小五郎を捕まえろと言ってのは、土方さんですよ?」

「お前は、奉行所の狙いが、桂だというのか?」

「それはわかりませんが、この都でなにか起きようとしていることは確かでしょうね」

「それで奴は、何処で見失った? 河原町か?」

 河原町御池通かわらまちおいけどおりには、長州藩邸があるが――。

「いえ、今出川通いまでがわどおりです」

 山崎にあっさり否定され、さすがの土方も瞠目した。

「なに……」

 今出川通に、長州藩に関する屋敷はない。

「ほらね。やっぱり、妙だ」

 沖田の言葉に、土方の表情が険しくなる。

 

 伏見、今出川通――、この二つに共通している藩が一つある。

 西国雄藩、薩摩藩である。

 だがこれまで薩摩に、怪しい動きはない。

 このとき――、沖田の脳裏に一人の男が浮かぶ。

 

「山崎さん、急いで例の男を探してください」

「総司、お前は例の男が、桂の件にかんでいるというのか?」

「おそらく――、伏見奉行所が探しているのは桂小五郎ではなく、その男だと思いますよ? 土方さん」

 土佐脱藩浪人・坂本龍馬――、その男を二度目に見かけたのは今出川通の薩摩藩邸近く。

 伏見にも薩摩藩邸があり、もし坂本龍馬が伏見薩摩藩邸近くにもいたとすると、伏見奉行所も不審に思っただろう。彼が何らかの目的で、長州藩の桂小五郎と薩摩藩に近づいているならば、その目的とは――。


  ――わたしの警告は、無駄だったようですねぇ。


 沖田はあの時、本当に斬っておけばよかったと思ったのであった。

 

                ◆◆◆ 

 

 風邪が快癒した龍馬は、薩摩藩二本松藩邸へ向かっていた。

 今頃は無事に、長州と薩摩との間で同盟が結ばれている頃だろう。

 薩摩藩名義でグラバー商会から購入した武器も、長州へと渡った。

 さすがに幕軍が近くいる海域を進むのは冷や汗ものだったらしいが、薩摩藩の旗をトップマストに翻していたお陰で、怪しまれずに済んだらしい。

 もうすぐ今出川通とぶつかる路で、龍馬はその今出川通からやってきた人物に気づいた。

 

「桂さん、もう話し合いは終わっちょったが?」

「…………」

 視線を寄越してきた桂小五郎の表情は、強張っていた。

「まさか……、だめじゃったかえ?」

「坂本どの、私は危険を冒してまでこの京に来ている。話を切り出すのは、薩摩のほうであろう? だが、彼らは一向に話を切り出さん。ゆえに、これ以上の話し合いは無駄だと思ったまで」

 

 桂いわく、話し合いは二十日から始まったという。

 しかし、肝心な話になると議論は膠着状態こうちゃくじょうたいとなり、十日も無駄にしたと桂は憤っている。

 どうも、お互いの意地がぶつかり、またも会談は失敗した。

 

「では失敬する」

 長州へ帰るという桂は、軽く会釈した。

「ま、待っとぉせ! もう一度、もう一度話し合っとぉせ」

 龍馬は、桂を必死で止めた。

「いくら話し合っても無駄だよ。坂本どの」

「長州だけで、幕府と戦うのは無理じゃ。わしが西郷さんを説得するきに、もう一度話し合っとぉせ。の? 桂さん」


 龍馬は、今出川通を駆けた。

 薩摩二本松藩邸の門を激しく叩き、顔を小口から覗かせた門番がぎょっとした顔になる。

「西郷吉之助さんに会いに来たがじゃ! 土佐脱藩・坂本龍馬といえばわかるきに」


「坂本さぁ、どけんしよっと……?」

 龍馬の突然の訪問に、西郷吉之助は驚いていた。

「それはこっちの台詞ぜよ。長州も長州じゃが、薩摩も薩摩じゃ。こがなときに、意地を張っても仕方がないじゃろう」

「坂本さぁは、ほんのこて、幕府を敵に回すつもりでごわすか? 桂さぁから聞きもうした。長州は倒幕を考えとると。じゃっとん、薩摩にそげな意思はなか」


 西郷たち薩摩側に言わせると、力関係でいえば、薩摩藩のほうが明らかに上だという。

 助けてほしいと頭を下げるべきは、長州藩だというらしい。

 しかしやってきた桂は頭を下げない。話も切り出さない。

 十日も続けたという意地の張り合いに、さすがの龍馬も唖然となった。

 だが、龍馬は諦めなかった。

 なにしろ長州藩は蛤御門の変でボロボロになったうえに、諸外国からの砲撃も受けていた。そのうえ、幕府は長州征討でとどめを刺そうとしている。

 長州藩としては薩摩は憎い相手である。だが存亡のままにある現在、背に腹は代えられないというのが本音だろう。されど、意地がその本音を隠す。

 助けて欲しいが、かつての敵に頭は下げられない。

 そんな長州藩の心理を、薩摩はどう判断するだろう。

 ならば好きにしろと見放せば、この会談はもう終わる。

 ここは西郷という男の、懐の深さに頼るしかなかった。


「なぁんも、一緒に幕府を倒そうとはいうちょらん。長州征伐が始まった場合、薩摩藩に裏で動いてほしいだけじゃ」

 少し考えていた西郷は決断した。

「わかりもうした。こん話、薩摩から切り出しもうそ」



 かくして――慶応二年一月二十一日、場所を薩摩藩家老・小松帯刀の邸に変えて、長州藩の桂小五郎、薩摩藩の西郷吉之助は向き合った。

 その内容は――、

 

 一. 幕府の征長軍が長州に攻め込んだ場合、薩摩藩は藩兵二〇〇〇人を上京させる。

 二. 長州藩に勝機があれば、朝敵の汚名がそそがれるように、薩摩藩は朝廷を工作する。

 三. 長州藩の敗色が濃厚な場合も同様に、薩摩藩は朝廷を工作する。

 四. 戦争を回避した場合も同様に、薩摩藩は朝廷を工作する。

 五. 一橋慶喜、京都守護職の松平容保、京都所司代の松平定敬がこれまでの政治姿勢を改めないならば、最終的には慶喜・容保・定敬との決戦を覚悟するしかない。

 六. 朝敵の汚名が長州から取り除かれたならば、朝廷のもとで諸大名が国政に参画できる政治体制への移行を両藩は目指していく。


 ある意味長州寄りの内容だが、ここに両藩は合意に至った。

 俗に言う――、薩長同盟である。

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