第10話 亀山社中、始動!

 強い日差しと暑さが日を追って増した七月下旬――、長崎・亀山の地で旗揚げしたその名も亀山社中の初仕事として、薩摩藩名義で購入した軍艦と武器・弾薬を、長州藩まで海路、届けることになった。

 神戸海軍塾で学んだ航海術が、いよいよ生きるときが来たのである。

 この日――、龍馬は陸奥宗光・近藤長次郎・沢村惣之丞を連れて、グラバー商会を訪ねていた。

 

「I am glad to meet you. I am Thomas Blake Glover of the Glover firm」

 グラバー商会を営むトーマス・ブレーク・グラバーは、満面の笑みで、龍馬たちを歓待した。

「なんと……言っちょってるんじゃ?」

 龍馬は、すぐ後ろにいた陸奥宗光を振り返った。

「あなたにお目にかかれてうれしい。私は、グラバー商会のトーマス・グラバーです、と言ってます」

「I've heard about that」

「話は伺っております――だそうです」

「こん男、こん国の言葉は話せんがか?」

 龍馬の言葉を通訳しようとした陸奥だが、近藤長次郎が先に口を開く。

「Mr.Glover Can you speak Japanese?」

 

 これには龍馬は驚いた。

 長次郎が英語を話せるとは、思っていなかったのである。

 これに陸奥は、ムッとした顔をしていた。

「――失礼しました、Mr.坂本。商談はほとんど英語でしたので」

「さっそくじゃが、武器を買いたいがよ」

「失礼ながら――、貴方が?」

 胡乱に目を細めたグラバーに、沢村が腰の刀に手をかけた。

 馬鹿にされていると思ったのだろう。

 龍馬は片手で沢村を制すと、グラバーと視線を合わせた。

 

「いんや。わしは運ぶだけじゃ。それに、おんしにとって、悪い話じゃないと思うがの?」

 異国と対等に渡り合うには、こちらも強く出なければならぬ。

 龍馬はこれからのこの国のあり方を、グラバーとの対面で示した。

 この龍馬の強気に、グラバーは驚いたようだ。

 口を半開きにしたまま、固まっていた。

 それから何を思ったか、

「ぜひ、協力させていただきます! Mr・坂本」

 がばっと手を握ってくる彼に、龍馬は仰け反った。

「そ、そうか。話が進んで助かるぜよ」

 これから話はすぐに進み、薩摩藩名義でのミニエー銃四三〇〇挺、ゲベール銃三〇〇〇挺を確保できることになった。

 

「――それにしても驚いたぜよ、長次郎。いつの間に異国の言葉を話せるようになったがじゃ?」

 グラバー商会からの帰り道――、龍馬は長次郎の成長に感心した。

 かつて、饅頭屋長次郎といわれ、高知城下で饅頭を売り歩いていた饅頭屋の少年は、こつこつと学問に励んでいたという。

「いやぁ……、本を読んじょっただけやき……」

 長次郎はそう言って、照れ笑いをする。

「あの異人、わしらを馬鹿にしゆうとは……」

 沢村惣之丞は、まだ怒っていた。

「ほんぢゃき、この国は強くならないといかんがよ」

 龍馬はそういって、空を仰ぐ。

 あとは、長州に向けて船出である。

 このとき龍馬の心は、大海の波の如く大きく踊っていた。

   

               ◆◆◆


 その頃、長州再討伐に乗り出した幕府だが、頭の痛い問題を抱えていた。 

 安政五年に締結された日米修好通商条約およびその他諸国との安政五カ国条約により、兵庫津の開港が予定されていたが、異人嫌いで知られる帝が、京に近い兵庫の開港に断固反対していた。このため、幕府は文久遣欧使節を英国に派遣し、兵庫開港を五年間延長することとなった。

 

 ところが、思わぬ事件が起きる。

 長州藩と米仏蘭英・四カ国艦隊との、馬関海峡での戦いである。

 敗れた長州藩は、賠償金三〇〇万ドルを四カ国に支払うこととなったが、長州藩は外国船に対する砲撃は幕府の攘夷実行命令に従っただけであり、賠償金は幕府が負担すべきとの理論を展開してきた。おかげで幕府は三〇〇万ドルを支払うか、あるいは幕府が四カ国が納得する、新たな提案を実施することとなったのである。

 このとき、陸奥白河藩第七代藩主にして老中・阿部正外あべまさとは将軍・徳川家茂とともに、大阪城にいた。

 朝廷に対し、長州再討伐の勅許を得るため、幕府は強引に兵を率いてきたのである。

 

「――いま……、なんと申した?」

 その報せに、阿部は愕然となった。

英国エゲレス仏蘭西フランス阿蘭陀オランダの三カ国艦隊が、兵庫津に向かったとのこと……!」

 そんなばかな、と阿部は唇を噛んだ。

 要するに、三カ国は朝廷との直接交渉に乗り出したのである。

 幕府を素通りされたことに憤る阿部と幕府上層部だが、異国に強く言えぬ。

 もしや艦隊の砲は、幕府に向くやも知れぬ。

 阿部から怒りは消え、恐怖が宿る。

 そんな阿部の前で、将軍後見職・一橋慶喜が口を開いた。

「老中、朝廷との直接交渉などされれば、幕府の威信は更に落ちる」

「一橋さま……」

 ただでさえ朝廷に対し、長州再討伐の許可を得ようとしているときに、朝廷を刺激されるのはまずい。

 戦う相手が長州ではなく、英国・仏蘭西・阿蘭陀の三カ国艦隊となるやも知れぬ。

「勅命を我らが得るゆえ、三カ国は速やかに横浜に戻られよと伝えよ」

 阿部は、低頭した。

 しかしこの三カ国艦隊の兵庫津来航によって、幕軍は大阪で足止めを食らうことになったのである。


                      ◆


 この日――、吉報が長崎にいる龍馬に届いた。

 長州へ向かっていた幕軍が、大阪から動けないらしい。

 長州藩への再討伐を遅らせることになったのだから、ある意味吉報だろう。

 それを龍馬に知らせてきたのは、西郷吉之助である。

 

「詳しゅう知りもはんが、異国とん間で問題が起きたごたってごわす」

「西郷さん、これは好機ぜよ」

「好機でごわすか?」

 西郷は、目を細めた。

「現在も幕府に、異国に強く言える力はないがよ。おそらく今回も、異国のいうままになるじゃろ。ほんぢゃけんど、それもそろそろ終わりにせないかん。こん国を強くするが他に、異国とは対等になれん」

「坂本さぁ、それは幕府も思うちょっやろう」

「西郷さんは、そん幕府にそげな力があると思うかえ?」

 龍馬の問いに、西郷は口を閉じた。

「…………」

「それが答えじゃ。幕府の威信は落ちちゅう。現在の幕府は威信回復ばかりに必死やき、諸藩の台所事情などお構いなしじゃ。おそらく、戦などやりたくないっちゅうのが、駆り出された諸藩の本音じゃろ」

「坂本さぁは、凄かぁこつ、考えちょいもす」

「わしは、新しい国に作り変えたいと、思うちょる」

「幕府は、坂本さぁも目の敵にしもうそ」

「覚悟しちゅう」

 龍馬の脳裏に、一人の青年の顔が浮かぶ。


 ――もし、幕府に対してよからぬことを企むならば、今度は間違いなく斬ります。


 新選組の沖田総司は、そう龍馬に警告した。

 だが龍馬は、もう誰も恐れはしなかった。

 このとき亀山社中は、グラバー商会から船を購入していた。

 この商談に当たっていたのが、近藤長次郎である。

 薩摩藩名義の船のため、実際は社中の持ち船ではなかったが。

 その船の名は、ユニオン号という。

 ユニオン号購入にあたって、長州と結んだという条約では、表向きは薩摩藩船・桜島丸、長州では乙丑丸いっちゅうまるという名前になるらしい。

 だが名義は薩摩で、用がない場合には薩摩藩にも貸してほしい。船の運用は亀山社中中心で長州藩の士官も加える。船の購入及び雑費は長州持ちという条約に、長州が憤っているという。

 要は長州が金を出して購入した船なのに、長州が自由に使えんとは何事だ! 薩摩が使う時でさえ長州が雑費を払うのもおかしい――というのだ。

 これに、長次郎も退く気がなかった。

 結局龍馬が、長州側に有利な形で条約を結び直したのである。

 

 だが――、龍馬はこのとき、知らなかった。

 長次郎の心の中にある、大きな野望を。

 

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