第8話 桂小五郎を探し出せ!

 京洛きょうらくに、暮れ六つを告げる六角堂ろっかくどうの鐘が鳴り渡る。

 西国三十三所第十八番札所として知られ、正式名称は頂法寺ちょうほうじというらしい。

 本堂を真上から見ると屋根が六角形をしているため、都では「六角さん」とか「六角堂」と親しみを込めて呼んでいるという。

 堀川通ほりかわどおりを西本願寺に向けて帰路についていた彼は視線を空に運び、ふと思った。

 

 ――怒られるだろうなぁ……。

 

 新選組一番隊組長・沖田総司――、いつものように巡察を終えて、屯所がある西本願寺に帰る途中なのだが、巡察にこれといった成果はない。

 平和なのはいいことだが、納得しない男が彼を屯所で待っている。

 蛤御門はまぐりごもんの変後――、京洛に潜伏しているだろう過激攘夷派及び、騒ぎに便乗した不逞浪士を捜索・捕縛せよと会津からも命令が出ているが、彼らの動きは、ここしばらくぴたりと収まっていた。

 

 ――土方さんのことだから、あぶり出してでも捕まえてこい……なぁんて言いかねないな。


 新選組副長・土方歳三の仏頂面ぶっちょうづらを脳裏に浮かべ、沖田はやれやれと嘆息した。

 新選組が屯所を壬生・八木源之丞邸から、浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺内に移したのは、元治二年三月十日のことである。

 巡察の結果報告をするため、沖田は副長室へ向かい、部屋の前で軽く咳払いをしてから声をかけた。

 

「――副長、只今戻りました」

 返事がなかったため、沖田は障子を開けた。

 この西本願寺に屯所を移すとき、長州藩に好意的だという西本願寺僧侶は難色を示してきたという。現在でも庭を通れば睨んでくるが、彼らの視線よりも、この男の鋭い視線には、さすがの沖田も一歩後ろへ下がった。

 

「…………」

 不機嫌そうな土方の視線をまともに食らい、総司は苦笑した。

「機嫌……、悪そうで……」

「ふんっ。その顔だと、奴らは見つからなかったらしいな? 総司」

「不逞浪士はともかく、長州の尊攘派はもうこの都にはいないんじゃないですか?」

「いや。奴らはこの都に入ってくる。現に奴らは凝りてねぇだろうが」


 蛤御門の変により朝敵となった長州藩を討伐すべく、幕府が動いたのは元治元年七月末だという。

 これにより長州藩主は幕府に謝罪し、恭順の姿勢をとったらしいが、一部の長州藩士は幕府に対して敵対の意思を示しているという。

 

「そういえば、また長州征伐が行われるそうですね」

「そっちは幕府うえに任せるとして――、俺たちは奴を捕まえる。そもそも……」

 土方が言いかけた言葉を、沖田は制した。

 もう何度も、聞いた言葉だったからだ。

「はいはい、桂小五郎を逃がしたのは我々の落ち度ですよぉ」

 

 池田屋事件の時――、池田屋には長州藩尊攘派・桂小五郎もいたという。

 しかし多くの尊攘派を捕縛、あるいは斬ったが、その中に桂小五郎らしき男はいなかった。かの池田屋での尊攘派会合にはには、桂小五郎も会合に参加すると、捕らえて自白させた、古高俊太郎の言葉があったにも関わらずにだ。

 

「てめぇ……、心から思ってねぇな?」

 おどけた沖田を、土方が睥睨へいげいする。

「言っておきますけどね、土方さん。あのごたごたで、桂小五郎がいた……なぁんて、局長こんどうさんも思ってませんでしたよ?」

 そもそも、新選組隊士の多くは桂小五郎の顔を知らないのだ。

「言い訳はいい。奴が長州尊攘派を束ねていたことを掴みながら、目の前で逃がすなんざ、俺たちの失態だ。とにかく、やつを探し出せ」

 相変わらず、この男は無茶ぶりを強いてくる。

 沖田は軽く嘆息して、話題を変えた。

「土方さん、以前変わった男を見かけたと話したのを覚えていますか?」

「それがどうした」

「また見かけたんですよ。何故か薩摩藩邸の近くで」


 沖田が以前見かけた浪人――、それは新選組がまだ、壬生浪士組と名乗っていた頃であった。巡察帰りの沖田は、町民の視線を受けつつ、屯所に向かっていた。

 そんないくつかの視線の中に、一人の浪人がいた。

 黒羽二重の紋服に馬乗り袴、髪は癖っ毛である。

 なぜその男が気になったのか、そのとき沖田はわからなかった。

 それが、今度は今出川通いまでがわどおりの薩摩藩邸近くでその男を見かけた。

 

「総司、お前の話は回りくどすぎる。これ以上、苛つかせるンじゃねぇ」

 土方に急かされ、沖田は言う。

「薩摩藩士でもない浪人が、どうして薩摩藩邸の近くにいたのか気になるじゃありませんか? あの近くに旅籠もありませんし」

 

 その男はなにをする風でもなく、藩邸近くを歩いていただけだったが、沖田の勘は「この男には気をつけろ」と教えていた。 

「……いいだろう。山崎にその男の正体を探らせる。そいつの顔と身なりを教えろ」

 土方は筆を持つと、文机に広げた。

「……まさか、土方さんが人相書きを……?」

「文句があるのか?」

 再び鋭い視線が飛んできて、沖田はやんわりと、土方の行動を止めた。

「いえ……、俳句がああですから……、画力は如何なものかと……」

 土方にすれば「やんわり」ではなかったらしい。

 どうやら藪蛇やぶへびだったようで

「うるせぇ! お前、また俺の句集を覗きやがったな……」

 と、またも睨まれた。

「いやぁ……、一段とお見事に……」

 土方がこっそりと、俳句を綴っていることは新選組隊士では沖田しか知らない。

 その出来は、上手いというより、面白いのだが――。

「……っ」

 すると土方のほうから筆が飛んできて、沖田はこれを間一髪で受け止めた。

「危ないなぁ……、物は大事にしましょうよ?」

「どうせ使い物にならなくなったやつだ。報告が終わったのなら出ていけ!」

 

 どうやら土方は、自ら人相書きを書くことは諦めたらしい。

 そもそも、諸士調査役兼監察しょしちょうさやくけんかんさつ山崎烝やまざきすすむなら、人相書きなどなくとも、口頭で特徴などを説明すれば覚えてしまうだろう。

 廊下に出ると、西の空は茜に染まっていた。

 

 ――また忙しくなるな……。


 沖田はふふっと笑って、副長室の前を後にした。


              ◆◆◆


 このとき――、桂小五郎は龍馬と共に下関の旅籠で、ある男を待っていた。

「桂さん、言いたいことはあるじゃろうが、ここは穏便に頼むき」

「あの薩摩を冷静に迎える自信はない」

「ほんぢゃけんど、ここは長州藩のためじゃき」

 

 座してから渋面の桂に、龍馬は宥めるのが精一杯である。

 もうすぐここに、中岡慎太郎が西郷吉之助を連れてくる。

 いよいよ動き出した、長州藩と薩摩藩の結束である。

「――失礼致します。お連れさまがお越しでございます」

 旅籠の者が報せる声に、龍馬たちの視線が障子に注がれる。

 だが開いた障子の外に、その西郷吉之助の姿はなかった。

 

「中岡、西郷さんは何処じゃ?」

 龍馬の問いに、中岡慎太郎は唇を噛み締めていた。

「…………」

 そんな中岡の様子を察してか、桂の目が鋭くなった。

「ふん。そういうことか……」

「桂さん……?」

「坂本どの、これが薩摩の答えだ。長州に味方する気はないということだ」

「そげなことはないぜよ。西郷さんは、わしに協力するというたがよ」

「ならばどうして、ここにいない?」

 

 桂は本気で怒っていた。

 それはそうだろう。

 これまで薩摩に苦渋を味わされた長州藩である。

 だが長州を救うためには、憎い相手でも助けを求めねばならぬ。必死に感情を抑えていたというに、土壇場で薩摩はこの会見を蹴った。

 

「すまん……。わしは説得したのだが……」

 中岡は、そう桂に詫びた。

 しかし桂は

「こうなれば、長州は自力で幕軍と戦う」

といって、部屋を飛び出してしまった。

「待っとぉせ! 桂さんっ」

「龍馬……、ほんにすまん」

 今度は、龍馬に詫びる中岡慎太郎であった。

 

「なにがあっちょった? こげなことになるとは……」

 中岡いわく、西郷吉之助は確かに京から、下関に向かう船に一緒に乗ったという。

 だが薩摩から届いた書状を読んだ西郷は、中岡だけを下関に下ろし、鹿児島へ向かってしまったという。

 だが、二藩結合は龍馬も中岡も諦めてはいなかった。

 なんとしても、幕軍が長州に向かうよりも先に、軍艦と武器を長州に届けねばならぬ。

 一旦はお互い向き合うとした長州と薩摩――、今回のことで再び拗れた関係を結び直すため、龍馬は西郷の元へ向かったのであった。

 

 

 

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