第7話 意地と誇りを天秤にかけて
この時――、西郷吉之助は京・伏見薩摩藩邸にいた。
そんな西郷の前で、険しい表情の男が座していた。
西郷の古くからの友、
「――一蔵どんは、長州に手を貸すば、反対じょっと?」
「吉之助さぁ、相手は朝敵じゃ」
「じゃっどん、これ以上追い詰めれば
「
大久保の言葉に、西郷は腕を組んで畳を睨んだ。
西郷に長州のような幕府に対する敵対心はないが、無理難題な要請をしてくる幕府に些か不信感があった。
「一蔵どん、まずは長州ん桂小五郎どんに
「こちらから向こうに向かうと?」
薩摩に長州と組んだほうがいいと話を最初にもってきたのは、中岡慎太郎という土佐脱藩浪士だった。その時は気乗りではなかった西郷だが、坂本龍馬という男に会って心が動いた。
中岡慎太郎いわく、話し合いの場所は長門・下関だという。
だが大久保は、長州側からやってくるのが筋だろうという。
「一蔵どん、心配すっことはなか。監視の目ば、うまっ
西郷の決心に、大久保はそれ以上、制してくることなかった。
◆
鎖国体制であった時代には、国内唯一の貿易港・出島を持つ港町であった。
開国後、長崎港も開港し、港には多数の異国船が停泊していた。
空は晴れ渡り、
その男は以前と変わりなく、長崎・
「久しぶりやなぁ」
男は龍馬の顔をみると、そう言って破顔した。
長崎の豪商、
「わしのことを、覚えちょるのかえ?」
「もちろんばい。ばってん、こがんしてお会いするとは、思うとらんやった。今日は、勝さまはご一緒やなかと?」
勝海舟と
「ちくっと訳があっての。勝センセは江戸に帰ってしまったがよ」
「それはそれは。して、今回は何事と?」
小曽根家は、小曽根乾堂の父・六左衛門の代に、越前福井藩や肥前佐賀藩の御用商人となり、長崎屈指の豪商になったという。
そんな小曽根乾堂は、名陶・亀山焼の発展に尽力したという。
かつて長崎には、亀山焼という陶磁器の窯があったらしい。
亀山焼は文化四年から長崎・伊良林郷垣根山で焼かれはじめ、初めはオランダ船向けの水瓶などを焼いていたという。
だがこの年、廃窯となってしまったらしい。
龍馬から事情を聞いた小曽根乾堂は、亀山焼の作業場を社中本拠地として提供するという。
「……なんか、土臭いのう……」
敷居をまたいだ途端、例によって陸奥宗光が余計な一言を言った。
「おまんは、文句ばかりいいゆう」
「正直者と言ってほしいねぇ……」
悪びれる風でもなくおどけた陸奥に、沢村惣之丞が喧嘩腰になった。
「おんしゃ……」
龍馬はすかさず、二人を制した。
「やめれっ。住めるだけでも有り難いことじゃき、文句をいっちょってはいかん」
「ここが、わしらの城になるが?」
「今はボロでも、今に大きくしちゃるき」
社中立ち上げに、薩摩藩と小曽根乾堂の後ろ盾を得た。
あとは、長州藩と薩摩藩を結びつけ、長州藩の危機を回避する。
――乙女姉やん、わしはいよいよ、海に出るがよ。
夜――、文机に広げた一反の白紙を見下ろして、龍馬の心は高鳴った。
浦賀で初めて異国船を見た日から十二年年――、その西洋式船を、自分たちの力で動かすときがついに来た。
そして、その白紙に書いた文字は――。
――亀山社中。これがわしらが始める名前じゃ!
◆◆◆
その夜は、とても静かであった。
常に追っ手の目を気にしていた彼にとって、誰の目を気にすることなく畳の上に座すのはいついらいか。
長州藩士・桂小五郎――、そんな彼についた
まったく不名誉な呼ばれ方をしているものだ。
桂は杯を口に運びつつ、ふっと笑った。
桂は故郷・長門への帰国を前に、この城崎にある旅籠・松本家に
桂の逃亡生活は元治元年――、池田屋事件、続いて起こる禁門の変以降、長州藩が朝敵とされ、幕府に追われる身となったことから始まる。
二条大橋周辺に乞食の姿となって隠れ潜んでいたのは、この頃である。
それからの桂は、
実は桂を出石に逃がしたのは、対馬藩京屋敷の出入り業者だった
以後桂は名前を
確かに、よく逃げ回ったものだ。
桂は、再び笑う。
「桂はん、なんぞおかしなことでもおましたか?」
襖がすっと開いて、湯上がりの幾松が入ってくる。
「お前にも、心配かけたな。幾松」
「ええのどす。一番大変なんは、桂はんやさかい」
幾松は、そういって頬を薄く赤く染めて、視線を落とす。
桂が逃れた後、幾松は対馬藩濱屋敷に匿われていたそうだが、次第に幕府の探索が厳しくなってきたため、対馬藩士・
そんな幾松が一人で下関から出石までやってきた時は、桂はさすがに驚いた。
聞けば廣戸甚助が下関にやってきて、桂が出石に潜伏しているのを知った幾松は、村田蔵六から桂宛の手紙と五十両を預かり、当初は甚助を案内人に、出石へと向かったという。 だが途中、大阪で甚助が博打で五十両を使い果たし姿を消してしまい、幾松は一人出石まで迎えに行く事となったようだ。
「だが逃げ隠れするのも、終わりになるだろう」
「ほんまどすか?」
幾松が顔を輝かせる。
されど、長州藩の危機が、去ったわけではない。
いまだ朝敵の汚名は晴れず、幕軍に対抗できる武器はない。
――桂さん、薩摩と手を組むがじゃ。薩摩が許せんというはわかっちゅう。けんど、長州を救うためには、これは必要がよ。
土佐の中岡慎太郎も、坂本龍馬も同じことを、桂に言った。
薩摩藩名義軍艦や武器を購入する一方、兵糧米が不足しているという薩摩藩に長州藩が米を提供するという和解案である。
たしかにそれならば、長州は武器を揃えられるが、長州にも意地と誇りがある。
そんな桂に中岡慎太郎は、薩摩側から長門・下関までやってくるという。
こうして桂小五郎は、幾松とともに、長門へ帰ってきたのであった。
◆
慶応元年閏五月二十三日――、このとき京には、将軍・徳川家茂が上洛していた。
実に三度目の、上洛である。
理由はおそらく、長州への再討伐勅許を得るためだ。
幕府はこれを成功させて、威信回復を目論んでいるのだろう。
薩摩藩士・大久保一蔵は、薩摩藩・二本松藩邸の一室にて思案していた。
「一蔵どん……! どけんすっと?」
「薩摩の態度は変わりなか。長州征伐ん参加を、薩摩は拒否ばすっ」
「じゃっどん、そげんこつをすりゃ、薩摩に火ん粉が飛びもはんか?」
長州征伐に薩摩藩が二の足を踏むのは、長州討伐に投資される大量の資金により、財政悪化を招く恐れがあるからだ。
それにもう一つ――、幕府への不信感がある。
もともと薩摩藩は公武合体派だが、横浜開港を巡り、鎖港支持の将軍後見職・一橋慶喜と衝突、薩摩藩が推す公武合体は頓挫した。
まさか前薩摩藩主・島津斉彬が次期将軍にと押した一橋慶喜に、引き下がざるを得ないとは、思っても見なかったことだろう。
おそらく、一橋慶喜は今度こそ次の将軍となる。
このとき大久保は、ある人物を待っていた。
朝廷に長州征伐の勅許を出さぬため、大久保は朝廷工作をしていたのだが、一人では限界があった。
「遅くなりもうした、一蔵どん」
待ち侘びいてその声に、大久保は顔を上げた。
「待っちょったぞ。吉之助さぁ」
視線を上げた先で、西郷吉之助は頭をかいていた。
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