第6話 高杉晋作からの贈り物

 初夏――、梅雨が明けるにはまだ早すぎたが、空にはいくつもの雲があった。

 その雲の群れはその場にとどまることなく、様々なかたちと大きさの雲がやってきて、そして去っていった。中には、ずいぶん興味深いかたちをした雲もあった。 

 不意に、突然あたりがしゃをかけたように薄暗くなった。視線を上げると、いつの間にか新しい雲が現れて太陽を覆っていた。

 今日は、雲の流れが速いようだ。

 再び光が戻り、目の前が白く露光すると、龍馬は眩しさに一瞬目を細めた。

 鹿児島の地に戻ってきた龍馬は、そんな空を見上げたあと、ふっと息を漏らす。

 犬猿の仲となった長州藩と薩摩藩を結びつけるという計画は、やはり厳しかった。

 薩摩側はそれほどでもないが、あの桂小五郎でさえ、龍馬が薩摩の名を口にした途端に表情が険しくなった。

 

 とはいえ、諦める龍馬ではなかった。

 もはや他所の藩、などいっている場合ではなかった。

 この日の本を立て直すためには、皆同じ方向を向かねばならない。

 それが例え、幕府に不利なことであっても。

 このとき龍馬たち元海軍塾生らは、薩摩藩家老・小松帯刀の計らいで空き家を充てがわれていた。


「今、戻ったぜよ」

 門を潜ると、戸口近くに龍馬の幼馴染みでもある、新宮馬之助がいた。

「龍馬。長州のようすはどうじゃ?」

「見た所、そげに変わっちょらんが、実際は相当困っちょろう。小松さまからの連絡はあったかえ?」

「数日後には、長崎への船を出すっちゅうことじゃ」

 いよいよ、新天地への旅立ちである。

「これから忙しくなるがよ」

 するとつい今しがたまで笑顔だった馬之助の顔が、渋面になった。

「あの……、それは……?」

 馬之助の視線は、龍馬の足に注がれていた。

 龍馬はこのとき、草履でも下駄でもなく、別のものを履いていた。

「ああ、これか。どうじゃ? 似合うかえ? 長靴ブーツっちゅうての、異国のはきもんじゃ」

「どういて、そげなものを?」

「高杉さんからの、貰い物じゃ。まっこと便利じゃ。雨でも濡れんし、鼻緒も切れんしの」

 

 高杉晋作いわく龍馬が履いている長靴ブーツは、四カ国艦隊との戦いの時に上陸してきた西洋人が置いていったものだという。

 果たして不要になって捨てていったのか、それとも戦いの混乱で脱げてしまったのか、その詳細はわからないらしい。

 履く時は苦労するが、慣れてしまえばこれがなかなか履き心地がいい。

 だが、高杉晋作から貰ったのは長靴ブーツだけではなかった。

 黒羽二重の紋服に馬乗り袴、足だけが異国の履物で帰ってきた龍馬に、仲間たちは唖然としていた。

「そげに、変かのう……」

 龍馬は苦笑しつつ、頭をかいた。

「変というより……」

 要するに、見慣れないため、困惑しているらしい。

 さらに龍馬が懐から出したものに、どよめきが起きた。

「――異国の短筒たんづつじゃ」

 それが、高杉晋作から贈られたもう一つの品だった。


 この日の本で銃といえば、火縄銃である。

 開国以降、異国の銃が入って来たといっても、おいそれと持てるものではなかった。

 龍馬が高杉晋作から贈られたのは、米国製だという。

 


「坂本さん、これから君は幕府に睨まれることになるぞ」

 長州を救うため、この国の再建のために奔走する龍馬は、幕府に危険視されると高杉は言う。

「桂さんにも言ったが、覚悟はしちゅう」

「ならば、それは役に立とう。扱いを覚えてしまえばあとは簡単だ。狙いを定めれば一撃必殺じゃ」

 高杉が龍馬に渡したのは、米国メリケンのスミス&ウェッソン社製・第II型、中折れ式の回転式連発銃リボルバーだという。

高杉はこの銃を、上海で買ったという。

 たまを入れる穴が複数あけられた回転式弾倉を備え、あらかじめまとめて数発分の弾を装填しておくと、弾をいちいち再装填せずとも、つづけざまに撃てるらしい。

 さらに便利なのは、常に携帯しても外から見えず、怪しまれないことだった。


 ――わしはもう、誰も恐れんがよ。


 この日の本のため、龍馬は必ず二藩を結びつけると決意した。

 

               ◆◆◆


 京・伏見――。

 刻限は、亥の刻になろうとしていた。

 今宵はこれといった騒動もなく、静かな夜となった。

 とある座敷にて、男は書見台に向かっていた。

 不意に、灯明皿の灯りが揺らいだ。

 上総請西藩かずさじょうざいはん第二代藩主にして、伏見奉行・林忠交はやしただかたは、書見台から視線を上げた。

 障子の外に、人の気配がある。

 こんな刻限にやってくる人間は、林が放った密偵ぐらいである。

 

「――長州の動きは?」

 林の問いに、その気配は答えた。

「今のところ、動く気配はございません。ですが――」

「どうした?」

「気になる男を、下関で見かけましてございます」

 幕府はさらなる長州征伐を行うにあたり、長州の動きを警戒していた。

 伏見奉行である林が動いたのは、別の目的である。

「何者だ?」

「現在、調べております」

 その密偵いわく、その気になる男はこの伏見で何度か見かけた浪人だという。

 林は、眉を寄せて唸った。

「もし、幕府に対し危険な男ならば、捨てておけぬ。このところ、薩摩までおかしな動きをし始めた。あの藩が反幕につくと、厄介じゃ。久光公に限って、それはないと思うが」

 

 伏見には、薩摩藩伏見藩邸がある。

 前回の長州征伐では、薩摩は独自の動きをしたという。

 二つの政変では、先頭に立っていたにも関わらずにだ。

 お陰で交戦することなく、討伐軍は解体となったらしいが、長州は幕府に牙を剥く覚悟だという。

 今度はどう出るか、薩摩の動きが気になるのは、当然と言えよう。

 

「お奉行――」

「その男、すぐに何者か調べよ」

「はっ」

 林のめいを受けて、密偵の気配は障子の外から消えた。

 

                  ◆


 閏五月十五日――。

 龍馬たちに、土佐から悲報が伝わった。

「武市さんが……!?」

 それは、武市半平太の死を報せるものだった。

 土佐藩は土佐勤王党の弾圧をはじめ、数人を捕縛したという。

 その中にいたのが、土佐勤王党盟主・武市半平太と、京で天誅斬りを行っていた岡田以蔵であった。

 この五日前の閏五月十日、岡田以蔵ら自白組は斬首、武市は切腹となったという。

 龍馬はまたも、同郷の友を失った。

 しかも前土佐藩主・山内容堂のめいを受け、土佐勤王党を弾圧していたのが、土佐藩参政だった吉田東洋の義理の甥、後藤象二郎ごとうしょうじろうだったという。

 大監察だった彼は、いまや参政らしい。

 

「おのれ……っ、後藤象二郎!」

 元海軍塾生の中には、土佐勤王党の人間もいる。

 武市の死は、龍馬も悔しかった。

 土佐藩を、変えようとした武市たち。

 だが、吉田東洋暗殺に踏み切ったことが、山内容堂に火をつけた。

「やめちょけ」

 龍馬は、今にも斬りに行きそうな塾生を制した。

「悔しくないが!? 龍馬さんはっ」

「悔しいがよ。けんど、わしらが藩に楯突いてなんになるが? わしらのいうことなど、上士は聞かんちゃ」

「ほんぢゃけんど――」

「いつか、土佐は変わる。こんまんまではいかんと目が覚める」

「上士らが変わるわけないろう?」

「変えるがじゃ。わしらが」

「そげなことができるが?」

「武市さんは、土佐を変えるために戦ったがよ。わしらはわしらのやり方で、土佐を変えるがじゃ。口では敵わんきに、わしらの力を見せつけるがよ。下士でも、こん国のために役に立つっちゅうことをの」

 

 龍馬もかつては、土佐の藩体制は変わらないと思っていた。

 江戸開府から続くという上士と下士の身分差、龍馬はなんども悔しい思いをした。

 だからといって、故郷を嫌いになったりはしない。

 いまでも愛すべき、故郷である。

 

 ――武市さん……、もう一度一緒に酒を飲みたかったぜよ。


 目をつぶれば、幼い頃の記憶が蘇る。

 でこぼこ道を、武市たちと歩いた日々。

 これまで友を何人、失ったことだろう。

 ゆえに――、これ以上、国を憂う仲間を失ってはならない。


 それからまもなく、龍馬たちは薩摩藩家老・小松帯刀とともに長崎へ向かった。

 新天地・長崎での生活がここから始まる。

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